第三章⑦

「ジャック。いや、ミツチカ。お前らの敗因は、俺に触れられたことだ」

ミツチカに捻りあげられていたカーネルの腕は、まるでミツチカなどこの世に存在していないかのように、するりとミツチカの手から抜け出した。

いや、あれは通過したといった方がいいのか。

ブチが俺を貫いたのと同じように、カーネルの腕がその腕をつかんでいたミツチカの手の中に沈み込んでいく。

カーネルは、壮絶な笑みを浮かべていた。

「まずは、お前からミツチカを奪ってやる」

「しまった!」

ミツチカが自分の後悔を叫ぶが、もう遅い。

契約した悪魔の術は、魔術師に上書きされる。カーネルも、魔術師と悪魔の間に結ばれた契約の強制破棄が使えるのだ!

カーネルの術が発動し、ジャックとミツチカの契約が切れた。ミツチカの体が半透明となり、ミツチカの顔にはもうジャックを守れないことへの絶望が浮かんでいた。

「ちっちっちっちっち! ご主人様、流石だっち!」

「ふん! お前との契約では、追加の代償としてより多くの絶望の顔を見せる、というのがあるからな。絶望の顔をするのなら、別に人間じゃなくても構うまい?」

「もちろんだっち! 人間だけでなく、悪魔にすら絶望の表情をさせるなんて、やっぱりご主人様は最高だっち!」

ブチの耳に触る甲高い声に答えながら、カーネルは自分の腕をミツチカから引き抜いた。ミツチカが自分の体を触っている。そこに痛みを感じている様子はない。俺の時とは症状が違う。

「何も、感じない……?」

ミツチカも俺と同じことが気になったようだ。俺は今、自分から溢れ出る喪失感と戦っている最中だが、ミツチカにはその様子はない。

俺とミツチカは別の術が使われたのか? それとも、俺だから反応が違うのか?

「ブチの強制契約破棄は段階を選べてね。そもそも契約は、魔術師から悪魔へ代償の供給するという契約と、悪魔から魔術師へ術を提供するという契約、この二つの契約の元成り立っている。あの小僧に使った術は、姫からの術を提供する契約だけ破棄させるものだ。すぐに私と新たな契約を結んでいただくことになるとしても、その間姫に届けられるはずだった代償が届かないという事態にはしたくなかったのでね」

カーネルが見下すように俺を見ていた。お前は地面にへばりついているのがお似合いだと、カーネルの蔑んだ目が言っている。

そんなに見たいのなら、好きなだけ見ればいい。それよりも、さっきカーネルの話した内容の方が重要だ。

俺からモロへの代償の供給は、止まっていない。

これは俺にとって、かなり有益な情報だった。

「逆にジャックとミツチカの契約は二つとも完全に破棄している。小僧が痛がっているのは、姫に代償を届けているからか、あるいは契約が不完全な状態で結ばれているからかのどちらかだろう。もしくは、私に蹴られたのがまだ尾を引いているのかもしれないがな」

カーネルは、俺が腹を押さえているのを痛がっているからだと勘違いしている。俺は痛いからではなく、アレが溢れ出ないようにしているだけだ。

だが、ミツチカはそれで納得したようだ。

「そうか。だから痛みを感じていないのか」

「ああ。そしてもう何も感じなくなる」

ミツチカに応えながら、カーネルは懐から拳銃を取り出し、ジャックに向かって無造作にそれを突き出した。

そして、銃声が採石場に響き渡った。

発射された弾丸はジャックの左目に到達し、脳漿をぶちまけた。弾丸を受けたジャックの体がゆっくりと倒れ、二度と起き上がることのない屍となる。

「小僧を無力化したとはいえ、何が起こるか分からないからな。私の計画を邪魔されないよう、確実に殺して、」

「ジャック様!」

既にジャックとの契約が破棄されているミツチカは、半透明の体になりながらもジャックのそばに擦り寄る。

「ジャック様! ジャック様!」

ミツチカは、何度も何度もジャックに呼びかけ続け、倒れた体を起こそうと手を伸ばし続ける。それが無駄な行為だと知りながら。

ミツチカの慟哭が響く。

ジャックは既に死んでいる。脳みそを吹き飛ばされて生きている人間などいない。ジャックがミツチカの呼びかけに応えることは、もう二度とない。

ジャックとミツチカの契約は既に破棄されている。半透明となったミツチカの手がジャックの亡骸に触れることはない。

それを見て、カーネルは笑いを堪えることができないと言わんばかりにふきだした。ブチはもう隠す気もないのだろう。腹を抱えて笑いながら転がりまわっている。

「ちっちっちっちっち! 可笑しすぎるっち!」

「何をやっているんだミツチカ。ジャックはもう死んだ。お前がここに留まる理由はもうないだろう? 別の人間と契約してくるがいい。さっさと消えうせろ」

「何だ、その物言いは!」

カーネルのその物言いに、ミツチカは激怒した。

「ワタシはビレッジ家初代当主の魔術師と契約してから、今まで代々引き継がれてきた悪魔なのだぞ! いわばビレッジ家の歴史はワタシの歴史。長年ビレッジ家と共に歩んできた、功労者であり家族も同然のワタシに向かってさっさと消えろとは無礼にも程がある!」

「ミツチカがビレッジ家の功労者だという点は私も賛成しますが、家族、ですか」

カーネルは苦笑いをした後、ミツチカを突き放すようにこう言った。

「悪魔のお前が、家族? 笑わせるな! お美しい姫ならまだしも、貴様のような醜い存在が、私たちビレッジ家の家族であるわけがない!」

「なんということを!」

「大体貴様ら悪魔は人間を都合のいい道具として今まで扱ってきたではないか。それを今更家族だと? ふざけるな! 悪魔であるお前たちの方こそ、魔術師の便利な道具に過ぎん!」

ミツチカの抗議を、カーネルは鼻で笑って受け流す。それを聞いたミツチカは、苦虫を噛み潰した表情をしている。

「やはり、ジャック様を当主に選んだティムとステイシーの判断は正しかった。こんなやつに、ビレッジ家の当主を任せるわけがない。鼓が並の魔術師より多いというだけで傲慢になり、鍛錬も怠った。ジャック様が術を使えるようになればそれに嫉妬し、金とビレッジ家の力を無尽蔵に使い、道具のように悪魔を集める。だから自分の契約している悪魔を平気で身代わりに使えるのだ!」

「ふん! 父上と母上は見る目がなかったのだ。たかが一つ術が使えるというだけで、私よりもジャックを選んだのだからな。これではビレッジ家が衰退するのも頷ける。だが安心しろミツチカ。お前も、ジャックもいなくても、ビレッジ家は再興する。私と、姫の二人でなっ!」

高笑いするカーネルを見ながら、ミツチカは悲しそうに目を伏せた。

「そうか。もう何を言っても伝わらないのか。そもそもビレッジ家が衰退したのは、お前が金に物を言わせて悪魔を集め始めたからだというのに。それでも兄さんと自分のビレッジ家を憂える気持ちに違いはないと、兄さんを最後まで信じるとおっしゃられて、ジャック様はここまで来たというのに……」

そのミツチカのつぶやきは、勝利を確信し、狂喜の笑みを浮かべているカーネルの耳には届かない。

だが、顔を上げたミツチカの目には、まだ力が宿っている。

「だからこそ、こんなやつに力を持たせるわけにはいかない! 例えビレッジ家がここで潰えようとも、悪魔であるワタシよりも悪魔らしいお前は、ここで殺す!」

「ほう。どうやって? もうすぐ消えようとしているお前に、一体何が出来るというのだ?」

カーネルの言葉につられてミツチカを見ると、半透明だった体が先ほどよりも薄く、透明になっている。

ブチも釣られて笑っている。

「ちっちっちっちっち! 今のお前では、出来ることなんて、何もないっち!」

契約を破棄された直後や、契約を望む人間がいる場合、悪魔は半透明の状態で人間の前に姿を現すことが出来る。だが、その状態で誰もその悪魔と契約を望まず時間が経過した場合、悪魔は半透明の状態すら保てなくなる。

モロの場合、俺から代償を供給する契約が残っているためまだ半透明の状態を保っていられるのだ。

だがミツチカの場合、ジャックとの契約が完全に破棄されているため、今も刻一刻とその姿が薄くなっていく。ミツチカが完全に消えてしまうまで、もう時間がない。

「確かに、ワタシに残された時間はもう少ない」

「分かっているじゃないか」

「ちっちっちっちっち! だったら潔く、とっとと消えるっち! 姿を消すのは、お前一人でも出来るっち!」

ここぞとばかりにブチがカーネルに賛同し、ミツチカを挑発する。

どうやらブチは、自分に脅威になる存在がいないと分かり、態度がデカくなっているようだ。

「いいや、まだ手はある」

しかし、ブチの挑発など気に留めもせず、ミツチカは俺のほうに振り向いた。

「コーイチよ。ワタシと契約して、この男を殺してくれ」

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