第三章③

鼓膜が破れるかと思うほどの轟音に、俺は全身を浸していた。あまりにも大きな音に一瞬俺は、平衡感覚を失った。

次に俺が感じたのは、熱だ。

温かいとは程遠い、灼熱と呼べるほどの熱を感じながら、俺はどうにか立ち上がった。

あまりにも強烈な白と言う色に塗りつぶされた俺の視覚が、やっと本来の機能を取り戻した。

俺の目の前に現れたのは、白だった。地獄の業火すら塗りつぶせるほどの白い炎を、俺が術で発生させたのだ。久々に自分で術を使ったため、自分の術に驚いてしまった。なんとも情けない話である。

生みの親すら焼こうとする炎を、俺は常時術を使いながら中心に半径五メートルほどに展開した。強力な術のため、この炎を制御するには術を使い続ける必要があるのだ。

術を使いながら、俺は辺りを見回し、状況の確認を行った。

ミツチカの姿はない。俺の術で巻き上げられた砂煙の中に隠れているというわけではない。炎の熱が強すぎて、灰すら残さず蒸発したのだ。消し去られた肉体を元に戻そうと、何もない空間が泡を立ている。再度ミツチカが実体化しようとしているのだ。

それを俺が許すはずもなく、すぐにその泡に目掛けて白い炎が過剰に殺到。泡と空気中の水素、酸素を貪り食う。水が蒸発するような音が立ち、ミツチカの実体化は叶わない。

ミツチカが実体化しようとしているということは、ミツチカと契約しているジャックは生きているということになる。

確かに、ジャックは悪魔ですら一瞬にして蒸発してしまうような炎を何とか回避し、生き残っていた。だが、それも辛うじて、と付くような状態だった。

元々まとっていた黒いぼろ布は完全に燃え尽き、横になって立ち上がることが出来ないでいた。そんな状態のジャックの肌が無事でいられるわけもなく、ジャックの金髪は全て燃え、右上半身は醜く腫れ上がり、水疱に覆われていた。左上半身は皮膚が完全に欠損し、壊死していた。そのまったく同じ人間だとは思えないほど変異した左右上半身をつなぎとめるように、胸の真ん中に歪な星が描かれている。星型のネックレスをしていたであろうものが炎に溶かされ、ジャックの上半身と同化しているのだ。

ジャックの上半身は、見るも無残な状態となっていた。

上半身が悲惨なら、下半身も悲惨だった。だが、下半身についてはあまり語ることはない。炭化したそれは、もはや下半身とは呼べない状態になっている。もう二度と自分の足で立ち上がることは出来ないだろう。生きているのが不思議なぐらいだ。

とっさの判断で風を起こし、自分の体を炎に垂直に立つようにして上半身のダメージを減らしたのだろうが、あの傷では逆に生きている方が辛いはずだ。もう楽にしてやるのが優しさと言うものだろう。

「……こぅいちぃ」

そこに、モロがやってきた。その瞳には涙を浮かべ、今にも雫が零れ落ちようとしている。

「こぅいちぃ。すまんのじゃ。御主に、御主に術を使わせてしまったのじゃ……」

「……気にすんなって」

俺とモロが契約している以上、モロの術も、俺に上書きされている。だから当然、俺もモロの術を使うことが出来るのだ。

だが、俺が自分から進んで術を使うことはほとんどない。

モロだけで大体の魔術師には勝ててしまうというのも理由の一つだが、単に俺が術を使いたくないのだ。

俺がモロを手伝えば、ジャックとミツチカの連携もものともせず一瞬で勝負をつけることが出来たはずだ。

だが、それでも俺は、自分で術を使いたくないのだ。

そして、その俺の気持ちをモロも汲んでくれている。

「じゃがぁ、今回は妾の所為で、妾が焦っておらねば、コーイチは、」

「だーから気にすんなって。こうなっちまったら、しょーがねーだろ?」

俺の気持ちを知っているからこそ、俺が術を使えばモロが自分を責めると分かっていた。だから俺は術を使う前に、先にモロに謝ったのだ。

それでもモロは、自分の失態を責めた。モロは何も悪くないのに。

その姿を見て、珍しくも俺はモロを慰めてやろうと思った。モロの頭をなでてやろうと一歩を踏み出したところで、

「?」

俺を、何かが穿った。

冗談で誰かを脅かすために、背中をちょっとだけ押したような衝撃に、俺の体は揺れた。その揺れに合わせるように、俺の生み出した白い炎もまるで初めから存在していなかったかのように、ろうそくの火を消すように、ふっと消えた。

衝撃を受けた俺の腹からは、鼠のものと思われる腕が飛び出ていた。そしてそこから、何か大事なものが抜け落ちていく感覚。いや、これはアレが漏れ出しているのか!

底に穴が開けられた樽からワインが漏れ出すように、俺の中からアレが急速になくなっていく喪失感を感じながら、俺はモロの叫び声を聞いた。

「コーイチ!」

まだ落ち着かない砂煙を、モロが叫びと共に風を起こして振り払う。視界が回復した俺は、恐る恐る自分の背中を確認した。

そこに、俺の背中に飛び乗り、自分の右腕を突っ込んでいるブチが見えた。

「そ、うか。あの、時……」

俺の口から漏れ出した言葉は途切れ途切れになってしまうが、思考まで途切れさせるわけにはいかない。

モロの太陽に追いかけられていた時、カーネルがブチを蹴り落としたのは重さを軽くするためじゃない。罠を仕掛けるためだったのだ!

カーネルはわざとブチを蹴落とし、悪魔を炭に変え、そのまま実体化させなかった。

実体化していない状態から悪魔を実体化させるのには、実体化を維持するよりも鼓が多く必要になる。

だがカーネルはそれを気にせず、ブチが炭になった場所に、俺は誘導されていたのだ。

ジャックが術を使わず、ナイフだけで攻撃してきたのは俺をいたぶるためじゃなく、ここに誘導するためだったのだ。最後のジャックとミツチカのナイフと術のたたみかけは、俺に術を使わせて油断させる作戦だったのだ。

でも、一体こんな作戦、いつ打ち合わせをしたんだ?

「に、い、さん。や、った、よ」

ギリギリ生きている状態のジャックが、息も絶え絶えにカーネルに微笑みかける。それを見たカーネルは、満足そうに頷いた。自分の策が思い通りに動いていることを見届ける、策士の顔だ。

「あの爆発音の中、伝わっているか心配だったが、よくやった」

カーネルのその言葉に、俺はカーネルたちがいつ打ち合わせをしていたのか悟った。

そうか。モロの太陽を爆発した時かっ!

カーネルが怒鳴っていたのは、癇癪を起こしていたからではない。この作戦をジャックとブチに伝えるためだったのだ。

自分が三体の悪魔と契約しているようにこちらに勘違いさせたことといい、自分の契約している悪魔を一度灰にしてまで罠を張ったことといい、カーネルは魔術師の常識を逆手に取った戦略を次々に仕掛けてくる。

情けない話だが、カーネルのペースに乗せられて対応が後手に回ってしまっている。

だが、問題はない。俺には最強の悪魔、モロがついている。どれだけ策をめぐらそうが、モロがいて負けることなんて、俺には考えられない。

まずは、ブチから受けた傷をモロの術で治療しよう。

俺が死ぬ前なら、モロの術で傷を治療することが出来る。早くブチを振りほどいて、モロと合流しなければ。いや、モロにブチを術で撃ち抜いてもらい、その後治療してもらった方がいいかもしれない。

何にせよ、俺はモロに呼びかける必要がある。

俺はモロの方に視線を送り、硬直した。

「な、なんじゃ、これはっ!」

モロが自分の体の異変に対し、悲鳴を上げた。


モロの体が、半透明になっていたのだ。

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