第二章④

学校からの帰り道。俺は住宅地をのんびりと歩いていた。

既に日が沈み、辺りは暗闇に覆われている。

その暗闇を押しのけようと、家の窓から、等間隔で並んでいる街灯から人工的な光があふれ出し、雲ひとつない空からは月が俺の帰り道を照らしてくれている。

今朝の天気予報では雨が降るかもしれないと言っていたが、晴れてくれたようでなによりだ。

俺はポータブルゲーム機でゲームの続きを、今度は音量アリでプレイしながら下校しているところだった。

「こんばんは」

ゲーム機から顔を上げると、そこには先ほどまで存在していなかった男が、街灯三つ分先に立っていた。

「初めまして。私(わたくし)、カーネル・ビレッジと申します。以後お見知りおきを」

黒い燕尾服をまとい、カーネルと名乗った銀髪の神経質そうな男は被っていた黒いトップハットを脱ぎ、俺に向かって一礼した。

気が付けばあたりに人影はなく、虫の音すら聞こえない。

魔術師の存在を秘匿するための術、結界が張られているのだ。つまり、カーネルは魔術師だ!

「モロ!」

「何じゃ? コーイチ」

俺の鋭い叫びと共に、モロが姿を現した、はずだ。

何故そんな中途半端な表現になってしまったのかと言うと、今の俺には後ろから絡み付いてきたモロの二本の腕しか見えないからだ。声も左耳から聞こえてくるので、実体化はしてくれているはずなのだが……。

「なぁ。何で実体化してすぐに抱き付いてくんの?」

「よいではないかぁ。妾ゎ、今日一日コーイチとイチャイチャしておらんかったので、寂しかったのじゃぁ。わーらーわーさーびーしーいー!」

ええい、うっとうしい! 今朝キスしただろうが!

俺は左手でポータブルゲーム機をズボンの後ろポケットにしまい、右手で頬をうりうりとすり寄せてくるモロを引き離し、互いに向き合う。

よし。格好は昨日シンと戦っていた時と同じだ。まだ裸エプロンだったらぶっ飛ばしてやろうと思っていたところだ。

「おぉ! 姫よ! そこにおられましたか!」

モロの姿を見て、カーネルは両手を大げさに広げ歓喜の表情。まるで離れ離れになった彼女と、ようやく再会できた彼氏ような笑顔をしている。

「さぁ姫! 私と共に、神の玉座へと行(ゆ)こうではありませんかっ!」

「……コーイチ。あやつは一体何を言っておるのじゃ?」

「さーね。お前の熱狂的なファンなんじゃね?」

モロは最強の悪魔だ。

その強さは、モロには苦手な術がない、と言えば伝わるだろうか?

逆の言い方をすれば、モロは全ての術を得意とする、オールラウンダー。RPGで言えば全パラメーター全スキル上限までカンストしている存在と言える。

そのため多くの魔術師たちがモロと契約しようと躍起になり、中にはその絶対的な強さに、モロを神聖視する魔術師もいるのだ。

そいつらは口をそろえてこう言う。

その強さは神にも勝り、その美しさは天使もひれ伏す、と。

俺に言わせれば、寂しがり屋でかまってちゃんな、メンヘラ一歩手前の悪魔なのだが。

「さぁ姫! 私と契約を! 私をマリーンへと導いてくださいっ!」

だが、モロの信者であるカーネルにとってはそうでもないらしい。

孔雀が求愛するかのように両腕を広げ、片膝を付き、モロを呼び続けている。

それを見たモロは、非常に嫌そうな顔をしていた。

「何じゃさっきから姫姫うるさいのぅ。そもそも姫とは誰のことじゃ?」

「それはもちろん姫のことです姫!」

「……おいコーイチ。こやつ話が通じんぞぅ」

「モロもよーやく、俺がモロと話している時の気持ちを理解してくれたみたいだねー」

「どういうことなのじゃ!」

モロが学ランの襟をつかんで俺をガンガン揺らしてくる。

ああもう! お前とじゃれあうために呼んだわけじゃないのに!

「姫? どうされたのですか? そんな男など放っておいて、早く私と契約を!」

その様子を見ていた、と言うよりモロに無視されていたカーネルはめげずにモロに呼びかける。

それを聞いたモロは、

「……こんな男、じゃと?」

先ほどまで俺とじゃれあっていたとは思えないほど冷たい眼をして、カーネルを睨み付けた。モロの体からは怒気があふれ出し、周りの温度を下げる。

「コーイチは妾と契約し、唯一妾に触れられる存在なのじゃ。貴様のような雑魚が逆立ちしようとも、コーイチには指一本触れれんわ! このドたわけめっ!」

モロの一喝が空気を震わせ、その怒号に射抜かれたカーネルは一歩後ずさった。

「ひ、姫は、私よりもその男の方が優れているとおっしゃるのですか!」

「その通りじゃ。お前では話にならん。とっとと消えうせぃ」

「ば、かな! ビレッジ家の、この私が、こんなクソガキに劣るとおっしゃられるのですか……?」

モロに契約を断られたことよりも、俺に劣ると言われたことの方がカーネルにとってはショックだったようだ。先ほどまでの紳士的な態度は、もうなくなっている。

それよりもカーネルの話しが本当だとすると、この男、思ったよりも厄介な相手になりそうだ。

ビレッジ家と言えば、術師の時代から続く魔術師の家系の一つだったはず。今は落ちぶれたと聞いているが、術師だった頃から代を重ねていれば鼓の量も多いはずだ。昨日のシンのように、戦闘の途中で鼓切れなど起こさないだろう。

まぁその分、カーネルの魔術師としてのプライドも高いようだが。

モロにプライドを傷つけられたカーネルは、怒りに身を震わせていた。

「こんな親の七光りの分際で、スカーレットから姫を引き継いだだけの小僧に、出来損ないに、私が負けているはずがなぁぁああぃぃいいいい!」

がなり立てるカーネルの目は血走っており、俺に憎悪を向ける。

「姫よ! ならばここでこのクソガキを殺して、私の強さを証明しましょう! こんな出来損ないよりも、私の方が遥かに優秀だとっ!」

「やっぱそーなるよねぇ」

俺としては、モロにフラれたカーネルにそのまま引き下がってもらいたかったのだが。

「しゃーない。じゃ、まず場所を移動すっかねぇ」

昨日に引き続き二連戦か。めんどくさい。

そう思いつつも、俺はカーネルに場所を移すことを提案した。

俺たちが今いるのは下校中に通っただけの住宅地。いくら結界を張ってあるとはいえ、こんなところで戦うわけにはいかない。術の痕跡を消すのが面倒だ。

それにここでは、結界内にいる人間が多すぎる。鼓を持っている存在は結界内でも動くことが可能なため、人が既にいる状態で結界を作っても効果が薄いのだ。

逆に結界の人払いの力で結界内から出て行こうとするため、移動中魔術師の存在に気付かれる可能性が高くなる。そうならないようにカーネルの結界は薄く張られているのだが、そうなると逆にモロが全力を出し辛くなる。モロの力が強すぎて、結界を壊してしまう可能性があるからだ。

だが、俺の話を聞いたカーネルはこともなげにこう言った。

「何を腑抜けたことを言っているんだ? さっさとここで終わらせるぞ」

その言葉に、俺は思わず振り向いた。

「……ちょっと何言っちゃってんのー? こんなところで術使ったら大変じゃん。証拠残りまくり目撃されまくりだぜ?」

「ふん! 貴様のような二流、いや三流魔術師にとってはそうかもしれん。だが、超一流の魔術師である私にとっては術の痕跡を残さずお前一人を始末するなどたやすいこと。その間延びした口調も、二度と叩けないようにしてやろう!」

この口調は癖みたいなもんなんだから、ほっとけよ。

しかしカーネルのやつ、ここで戦うというのは本気なのか? 魔術師の秘匿はどうしたんだ?

いくら鼓の量に自信があったとしても、正攻法じゃどう頑張ったって普通の悪魔がモロに敵うわけがない。

普通魔術師なら結界が壊れる可能性も考慮する。逆にそれを気にしてこちらが手を出せないと思っているのか? だとしたら甘すぎる。

ここは速やかにカーネルと契約している悪魔を動けなくする必要がある。もしくは今すぐモロの術でカーネルを瞬殺し、術を発生する時間すら与えないかのどちらかだ。

……悪魔同士の術の打ち合いを考慮した場合、後者だな。

俺はモロと目配せをして、互いの意思疎通を図る。モロも同じ考えのようだ。

「殺れ。モロ!」

俺が指示するよりも先に、モロは術を発動させていた。昨日スパイクに放った暴風だ。威力は抑えているので、一時的な強風なら近隣の住人にもまだ誤魔化しが効く。天気予報で雨が降るのは外れたが、その代わり強い風が吹くぐらいなら気にされないはずだ。

俺は術の結果を見届けようと、モロのそばまで下がった。

抑えているとは言っても、あれに触れればカーネルの体など粉微塵になってしまうだろう。

だが、そうはならなかった。

空気の壁とも言えるほどの風がカーネルに届くかというところで、カーネルの足元に一匹の鼠が現れたのだ。

その鼠は全身茶色の毛で覆われており、二本の足で立ち上がっている。大きさはカーネルの腰辺りまであり、どことなく卑屈そうな顔をしていた。

そしてその鼠が現れた瞬間、モロの起こした風がかき消された。モロと同じ強さの術で風を起こし、ぶつけられたのだ。あの鼠が、カーネルと契約している悪魔なのだ!

最初の一撃でカーネルを仕留め切れなかった以上、悪魔を動けなくした後にカーネルを倒すしかない。

あの鼠が得意な術は風だ。先ほどモロが放った風では効果が薄い。

指示を出そうと、俺はモロの方に振り向いた。

そこで俺は、モロの背後に信じられないモノを見た。

「モロ! 後ろだ!」

「なぬ!」

飛び掛ってきた何かを、モロは体を捻ってかわした。モロに襲い掛かったのは、上半身が裸の女だった。

女の髪は撫子色をしており、髪は腰の辺りまで伸びている。一糸まとわぬ上半身には、大きさ、形共に抜群の胸が揺れている。下半身が蛇の形をしていなければ、もう少しゆっくりと眺めていたかったほどだ。

「二体目の悪魔じゃと!」

そう。モロに襲い掛かったのは、紛れもない悪魔。この場に俺とカーネル以外魔術師がいないことを考えると、この蛇女の悪魔もカーネルと契約した悪魔ということになる。

「あやつ、複数の悪魔と契約しておるのか!」

その事実に、俺とモロは愕然した。

悪魔との契約だが、一人の魔術師が一体の悪魔としか契約できないという縛りはない。そのため、複数の悪魔と魔術師が契約することが出来る。

だが、そんなことは普通の神経をしている魔術師なら行わない。

何故なら複数の悪魔と契約するということは、契約した悪魔の数だけ鼓を支払う必要があるからだ。つまり、一体の悪魔と契約するよりもずっと早く自分の鼓が枯渇することになる。

鼓の消費量が多ければ多いほどマリーンを目指せる期間が短くなり、それは奇跡を追い求めるためのタイムリミットが短くなることを意味している。

魔術師は奇跡を追い求めるために魔術師になるのだ。わざわざそのチャンスを減らそうだなんて普通は考えない。

だが、複数の悪魔と契約することによって得られる恩恵もある。

それは、悪魔から上書きされる得意な術が増えることだ。上書きされる術はより強い悪魔のものが魔術師に上書きされることになっており、契約した悪魔の弱点を補うことが出来るのだ。

例えば、水を使った術が得意な悪魔Aと、炎を使った術が得意な悪魔Bと契約したとする。

この場合魔術師に上書きされる術は、水の術はAの、炎の術はBの悪魔の術を使うことが出来る。

より強力な術に上書きされることはあっても、弱い術の方が上書きされることはない。

それでも、このメリットより鼓の消費量が増えるというデメリットを魔術師は気にして、複数の悪魔と契約するものはほとんどいない。自滅するだけだ。

仮に複数の悪魔と魔術師が契約を結べるとすると、一体の悪魔の代償に鼓を支払い、もう一体の悪魔に対しては別の何かで代償を支払うケースが考えられる。

しかし、そんな都合のいい話は存在しない。

鼓を要求しない悪魔に出会える確率もほぼゼロと言ってもいいし、出会えたとしてもスパイクがシンに要求したように、魔術師になった理由を諦めさせるような、悪魔的な取引を持ちかけられるだけだ。

では複数の悪魔と契約するには、自滅覚悟で契約するしかないのか?

一つだけ正攻法で複数の悪魔と契約する方法がある。

その方法とは、複数の悪魔と契約してもすぐに枯渇しないほどの鼓を魔術師が保有していることだ。

術師の時代から代を重ね、大量の鼓を持った魔術師なら例え複数の悪魔と契約しても鼓切れを気にしなくてすむことがある!

「だから言ったではありませんか姫。私の方が、そのクソガキよりも優れているとっ!」

カーネルの雄たけびと共に、蛇女が術により雷(いかずち)を放った。雷鳴と共に、一筋の閃光がモロに向かって走る。

「ビレッジ様のために死ね!」

「ええい! うっとうしいのじゃ!」

モロはそれをかわしつつ、二筋の雷を放った。向き先は蛇女と、鼠。

蛇女は慌てて自分の雷をぶつけ、モロの放った雷を相殺。鼠の方は奇声を上げながらそれを回避していた。

「ほうれ。もう二発追加じゃ!」

モロは嬉々としてさらに雷を追加で投擲した。数的不利な状況下であっても、最強の悪魔は優位に戦況を進めていく。

だが、状況的にはこれは非常にまずい。モロと蛇女の放った雷の跡が道路や壁に影より黒い焦げ目となって残っている。住宅地で戦っているのを考慮してか、雷の威力は抑えられており幸いにも民家が破壊された形跡はない。

だが、それでもモロの術は強すぎる。木造建ての建物に当たれば火事になってしまうだろう。そうなれば魔術師の秘匿なんて不可能だ。

それに、風だけではなく雷までしたのだ。結界の外にいる人は聞こえないかもしれないが、結界の中にいる人には恐らく雷鳴が聞こえてしまっているはず。これで不審に思わない人はいないだろう。どうにか誤魔化さなくてはならなくなった。

カーネルは術の痕跡を残さず俺を倒すと言っていたが、まったく出来ていないじゃないか!

まぁ、倒される気はさらさらないのだが。

俺が心の中で悪態を付いている間に、モロが放った雷は今度はカーネルと蛇女へと突き進んでいた。

蛇女は術の発動が間に合わないことを悟り、瞬時に回避に移った。紙一重でかわしたものの、その衝撃波からは逃れられず吹き飛ばされる。

一方カーネルはというと、

「ブチ。たまには私の役に立つがいい」

なんと、悪魔を自分の身代わりにしたのだ!

カーネルはブチと呼ばれた悪魔の首根っこを持ち、自分に向かって進んでくる雷に放り投げた。

モロが放った雷が、今自分が何をされたか理解していない顔をしたブチの体に直撃。ブチからは甲高い悲鳴と、肉が焦げたような臭いが漂ってくる。死ぬことはないとはいえ、実体化した悪魔は痛みを感じるのだ。

その光景を、起き上がった蛇女が恐怖にゆがんだ表情で見つめている。

「ご、ご主人様! 痛っち。オレっち、痛いっち!」

「ふん! 私の役に立てたことを光栄に思え、この愚図が! 貴様には通常の契約よりも多い鼓に、さらに追加で別の代償を支払い契約しているのだ。この扱いが嫌なら、とっとと契約を破棄するといい。お前の代わりなど、掃いて捨てるほどいるのだからなっ!」

魔術師が悪魔に契約で優位に立っているところを、初めて見た。鼓の量が人よりも多いため、悪魔に対して強く出れるのだ。

だが、代わりがいくらでもいると言うのは、どういうことだ? 目に見えない悪魔を探し出し、契約するのはそう簡単ではないのだが……。

それに追加で支払っている代償とは、一体何なんだ?

「ほら、ミツチカと姫が放った雷の跡を消してこい。このうすのろめ!」

「はいっち。ご主人様……」

ブチは素直にカーネルの言葉に従い、隠蔽工作をするために駆け回り始める。

俺はそのカーネルの指示も引っかかった。何故ブチを戦闘に参加させないんだ?

浮かんだ疑問の答えを見つける間もなく、俺は前転して回避運動をとった。その途中で見えたのは、街灯に照らされた黒の煌き。

「コーイチ!」

叫び声と共に、モロが先ほどまで俺が立っていた場所に雷を放つ。しかし、俺を背後から強襲した相手は余裕を持ってそれを避けてみせた。

俺を襲ったのは、カーネルより少し背の低い、全身を黒いぼろ布で体を包んでいる、恐らく男だ。顔まで布で覆われておりはっきりとした性別は分からないが、体の凹凸から俺は男だと判断した。

両手には、これまた漆黒のナイフを握り締めている。

「いいぞジャック! そのガキを殺せば、私たちの勝利だ!」

「……」

無言で俺ににじり寄ってくる、三体目の悪魔。

そんな馬鹿なと思うものの、今目の前で起きていることが真実なのだ。カーネルの鼓は底なしなのか? まさか悪魔三体と契約しているなんて!

普通の魔術師同士の戦闘ではありえない、悪魔が三対一のこの状況。さらにその悪魔と契約している魔術師の鼓は膨大だ。絶体絶命とは、この時のための言葉なのだろう。何せカーネルを倒すためには、この三体の悪魔の動きを同時に止めなくてはならないのだ。

しかしそれでも、最強の悪魔の優位は揺るがなかった。

「雑魚が一匹、二匹に増えたところで、何がどうなると言うのじゃ?」

うるさいハエを追い払う手つきで、無造作にモロは三つの術を発動。ミツチカと呼ばれた蛇女の悪魔には雷を、俺を襲った黒ずくめの悪魔、ジャックとブチには風を放った。

モロが放った術を、ミツチカは雷で相殺し、ジャックは風をぶつけ、ブチは無様に逃げ惑い対処していた。

ジャックも風が得意な悪魔なのか。だとすると、風の術が得意な悪魔を、カーネルは二体契約していることになる。

得意な術が被っている悪魔と契約したとしても、相乗効果で術が強力になるということはないはずだ。より強い術が有効となり、魔術師に上書きされるのだから。

だとしたら、カーネルは何故ブチとジャック、共に風が得意な悪魔と契約しているんだ? どちらか片方に、風以外にも得意な術があるのか?

「コーイチよ。次はどうするのじゃ?」

三体の悪魔に術で牽制を加えながら、モロが俺の元にやってきた。

「ここら一帯の壁や道路の強度を上げる術を『結果』に追加してかけておるのじゃが、そろそろもたん。早ようせんと、そろそろ誰か出てくるぞぅ?」

「わーってるって。つーかお前もその対処法に検討が付いてるから、さっきから風と雷の術しか撃ってねーんだろ?」

不得意な術のないモロは、当然風や雷以外にも炎や氷などの術を使うことが出来る。

それなのにもかかわらず、モロは今までカーネルたちとの戦闘では風と雷の術しか使ってこなかった。

その理由は、これらの術ならまだ結界内の人間にごまかしが、隠蔽が可能だからだ。

そう。ある事象が発生すれば、突風も腹に響くような雷鳴も、誰も不審に思わない環境が出来上がる。

俺の言葉を聞いたモロは、うれしそうに、とろける様な笑顔でこう言った。

「以心伝心とはこのことじゃ。やはり妾には、コーイチ、お前しかおらん。お前しかいらん」

「ほいじゃ、いっちょ頼むわー」

俺の言葉に頷き、モロは俺を左脇に抱えて飛び上がった。そしてそのままカーネルたちを見下ろすように浮遊する。

それをミツチカとジャックが術で迎撃するも、あっさりとモロの術で相殺された。

「おお姫よ! 私を置いて、どこに行かれるというのですか!」

「このドたわけがっ! この状況を見るのじゃ! これ以上ここで戦闘など出来まい!」

モロが空中に退避したため自分との距離が開いたカーネルは嘆きの声をあげ、モロがそれを一蹴する。

「そこで愚鈍な貴様らの失態を、妾が帳消しにしてくれよぅ。よく見ているのじゃ!」

モロは空いている右腕を突き上げ、術を放つ。すると、

「これは、雨?」

一番最初に変化に気が付いたのは、カーネルだった。

確かにモロが術を放った直後上空に雨雲が立ち込め、既に空は半泣き状態となり、ぽつぽつと雨が降り始めている。

カーネルのその解答は、半分正解だ。

雨雲は一日中空を映していた映像を早送りする速度で集まっていき、積乱雲となる。

それもただの積乱雲ではない。回転する上昇気流を伴っているそれは、スーパーセルと呼ばれる雷雲群。ただの雨ではない。なじみの深い言葉で言い表すとすると、これは嵐と呼ばれる気象現象だ。

モロが呼び出した嵐は、暴風と雷鳴を伴い、雨を撒き散らしながら右回りに渦を巻いていた。

最強の悪魔は、気象現象すら操るのだ。

「かっかっかっかっ! これで強風も雷も、どれだけ吹いて鳴いたところで誰も不審に思わんのじゃ!」

モロの術によって発生した嵐の所為で俺の髪は乱れ、学ランはびしょびしょ。使い古したぼろ雑巾のようになりながら、俺は今モロに抱えられている。

一方モロはというと、俺と同じように全身びしょ濡れ。これでは意味がないとばかりに髪をまとめていたかんざしを抜き、ふりほどいた髪を風に遊ばせている。モロの陶器のように白い頬と蠱惑的な唇に、そのうち何本かがまとわり付いた。

モロの髪から頬、顎、首の順に雨の雫が蜜のように落ちてくる。その蜜は重力に逆らうことなく、それが自然の摂理だと言わんばかりに、モロの谷間へ艶かしく流れ落ちていった。

水を吸い込み、濡れて、またモロの着物は重くなったはずだ。しかしモロはその重さを感じないのか、それとも濡れて寒いのか、左脇に抱えている俺を優雅に、さらに強く抱え直した。

「……ちょっと強すぎじゃね?」

「安心するのじゃ。誰も家から出たがらん程度の強さに調節しておる。それに、これぐらいやった方が、妾たちの姿も闇にまぎれて見難かろう。ただ、ここら一帯の取り込み忘れた洗濯物は、ダメになりそうじゃがのぅ」

確か朝食の時に見ていたテレビでは、今日の夜は降水確率三十パーセントだったはず。ここまでひどい雨が降るとは想定していなかったであろう今日の天気予報士には、悪いが泣いてもらう必要がありそうだ。

「おお! さすが姫! なんと素晴らしい力なのでしょう!」

術により気象現象すら操るモロに、カーネルが賞賛の声をあげる。

「いーからさっさと場所移動しよーぜ」

「黙れクソガキ! こんなものを出しては、魔術師の秘匿性など皆無だ馬鹿者め!」

「……それ俺じゃーなくて、アンタの愛しのお姫様がやったんだけど?」

「貴様のような三流魔術師と契約していらっしゃるからだ!」

「……マジ話通じねー」

そもそも魔術師に階級なんて存在しない。

強い悪魔と契約すればそれが魔術師としての強さになるので、契約できた悪魔の強さが魔術師の階級とも言えなくもない。だが、そうすると最強の悪魔であるモロと契約している俺は階級の最上位にいるということになる。

カーネルの言っている二流、三流とは、どれだけ魔術師として代を重ねたとか、鍛錬を続けてきた結果の鼓の量がどうとか、そういったことなのだろう。こつこつ努力して積み上げてきたものを、認めてもらいたいのだ。

そんな努力をする必要もなく最強になってしまった俺からすれば、努力する機会すら奪われた俺からすれば、まったくうらやましい話である。

しかし、カーネルの初対面での紳士っぷりは一体どこにいったんだ? 俺がモロとくっついてるからあんなに俺に対して怒ってるのか?

いや、それは流石にないか。

「おいクソガキ! さっさと姫から離れろ! 姫が穢れてしまうだろ!」

……その通りかよ。

でも、流石に俺も頭にきていた。カーネルが初めから場所の移動に合意してくれていたのなら、こんな面倒なことをしなくてもすんだのだ。

大体、マリーンを目指していない俺にとって、魔術師の秘匿とかはあまり必要がないのだ。俺たちを襲わなければ、魔術師がいくら増えようが関係ない。襲ってくるのなら容赦なく、今まで通り殺すだけだ。

俺たちが隠蔽工作をしながらカーネルと戦っている理由は、ひとえにここが俺の日常生活圏内だからだ。魔術師同士の戦いで、俺の日常を壊すわけにはいかない。シンと戦ったような生活圏外の採石場だったのなら、すぐにでもカーネルの存在を消している。

俺の日常生活に手を出した以上、必ず殺す。

だからカーネルを殺しやすい場所に移動しよう。モロが本気を出しやすい場所に誘導しよう。

「それじゃー移動すっから、ついてきてね?」

俺の言葉に従い、モロは嵐の中空を飛んで移動を始める。その後をカーネルたちが続々と続く。

「待て! この出来損ないがっ! 姫と契約していなければ、貴様一人では何も出来ないくせにっ!」

カーネルの叫びが聞こえる。

カーネルの言ったことに、俺は心の中で頷いた。

そうだ。俺はモロと契約していなければ、一人では何にも出来ない。戦闘もモロにまかせっきりだ。

だから、カーネルはあんなに必死にモロを狙っているのだろうか?

お前には相応しくないと。

落ちこぼれのお前には、最強の悪魔は相応しくないと。

そんな俺を殺してモロを奪おうとしているカーネルが、移動中に何も仕掛けてこないわけがない。

カーネルの怒りに追われるようにして、俺たちの攻防は空中戦へと突入していった。

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