第一章③

「そ、そんな!」

『お前にはもう、我の術を使用するための鼓が未来分を含めて残っていないのだ』

それは、スパイクからの離別宣告だった。それを聞いたシンの顔は、自分の運営していた会社が倒産したと知らされた経営者の表情をしている。

「嘘、そんな、嘘だ……」

だが、そんな絶望の表情を浮かべているシンに、スパイクは追い討ちをかける行動に出た。


金を借りた相手には、ちゃんと金を返さねばならない。


「それではこれより、シンの鼓を回収する」

スパイクは既に、氷の外に出ていた。契約が破棄されたため、今は実体化していない。そのため、氷をすり抜けて移動できるのだ。

その体は半透明で、悪魔というよりは幽霊と言った方が、今のスパイクには似合っていた。

「やめろぉぉぉおおおおっ!」

両手を振り、シンは必死な形相でスパイクを追い返そうとしている。だが、そんな抵抗は実体がないスパイクには、何の意味もない。

スパイクは難なく、シンの目の前にやってきた。

それでもシンは諦めず、両膝をつき、両手を合わせてスパイクに懇願する。

「頼むスパイク! アイツさえ、あのガキさえ倒せば、俺はマリーンになれるんだ。そうすれば、鼓なんていくらでも、」

シンの話が終わる前に、スパイクの四本の腕がシンの体を貫いた。

「あ、あぁぁああ、あああぁあああ……!」

シンが奇声を発した。鼓を奪われる時、痛みは感じないはずだ。普段悪魔に鼓を支払っているのと同じ要領なのだから。

だから、シンが今声を上げているのは痛みからではない。無念による怨嗟だ。

魔術師がまだ術師と呼ばれていた頃、術師は術を使うことを目標に、日夜鍛錬を行い、鼓を増やしていた。

では、悪魔との契約という裏技によって術が使えるようになった魔術師が魔術師になる理由は何だ?

術を使うため、というのもあるだろう。だが、ほとんどの魔術師は別の目的があるのだ。

それは、神と謁見すること。

より正確に言えば神の元に至れば与えられるというあるモノを、魔術師たちは求めているのだ。

それは、権利だ。この世全ての創造主たる神から、一つだけ何でも願いを叶えてもらえるという、奇跡を起こす権利。

では、どうすれば神と謁見できるのか?

その方法は、神に自分の力を示すこと。奇跡を起こすに値すると認められるほどの力を神に示せば、謁見を許されるのだ。

その力が、例え借り物の力だったとしても。

かつて悪魔と契約せず、あらゆる術が使えたと言われる歴代最強の魔術師、マリーンが存在していた。

マリーンは桁はずれの鼓を持っていた。その力は人間の枠を越え、マリーン自身が神に至ったとも、自分の力の強さを過信し新たな神となるため、神と敵対するために悪魔になったとも言われている。

そのため魔術師の間では神に謁見を許されるほどの力を手に入れた魔術師を、『マリーン』と呼ぶようになった。

そして現在も、魔術師たちは神と謁見するために、マリーンに至るために力を求め続けているのだ。

魔術師が生まれた当初は、より強い悪魔を探し出し、より強大な力を、術を手に入れようとしていた。だが、姿の見えない悪魔探しは難航した。

そしてある時魔術師たちは気が付いてしまったのだ。強い魔術師は強い悪魔と契約している、と。

そう。魔術師たちは神に力を示すために、より強い悪魔を魔術師同士で奪い合うようになったのだ。

悪魔は人間のことを金になる木としか見ていない。だから契約していた人間が殺されて、その人間を殺した相手と契約を結び直すのに、何ら良心は痛まない。

魔術師の方から悪魔側に契約の破棄を申し出るのは、こうした強い悪魔と契約を結び直す時だけだ。だが、普通魔術師が強い悪魔と契約することは出来ない。

強い悪魔と契約しているということは、魔術師も強い術を使えるということだ。術の相性がよほど良くなければ、こうした下克上は発生しない。

しかし、それでも魔術師たちは奇跡を追い求めて殺し合いを続けるのだ。例え悪魔に自分の鼓を捧げ続けることになろうとも。

だが、ほとんどの魔術師は鼓を最後の一滴まで搾り取られた後、悪魔から捨てられる。

今のシンのように。

スパイクの四本の腕が、シンの体から引き抜かれた。スパイクの足元にシンが崩れ落ちる。シンは、泣いていた。

「もう、お終いだ……。鼓がなければ、ボクは別の悪魔と契約を結び直すことも出来ない。マリーンになれない。神に謁見できない。奇跡を、娘を生き返らせることができない……!」

シンの嗚咽が聞こえる中、スパイクはそれを愉快そうに眺めながらこう言った。

「シンよ。そこまで力を求めるというのであれば、我も再度契約する用意がある」

スパイクの言葉に、シンは一筋の希望を見出したように顔を上げた。だが次の瞬間、シンの顔はまた絶望色に塗り替えられる。

「で、でもボクには鼓が……」

「案ずるな、シンよ。今回の契約で要求する代償は鼓ではない」

そのスパイクの提案に、俺は少なからず動揺した。

悪魔が人間に要求する代償は、ほとんどの場合が鼓だ。

しかし、まれに悪魔は鼓以外のものを代償に要求することがある。ほとんどそういった契約はしないのだが、その場合魔術師に鼓の支払い義務はない。

悪魔が実体化するときに必要な鼓も、悪魔が術を使うときに必要な鼓も、魔術師が悪魔から上書きされた術を使うときに必要な鼓も、全て契約した悪魔が用意してくれる。

悪魔と契約出来た者を魔術師と呼ぶのは、そのためだ。

術が使えるようになれば、鼓があろうがなかろうが、人は魔術師になれるのだ。

「ほ、本当かい!」

「ああ。本当だとも」

スパイクの提案を聞いたシンの顔が、ほころんだ。

「ありがとうスパイク! 君はやっぱり最高の悪魔だ! 君とまた契約出来ることを誇りに思うよ!」

まだ契約も結び直していないにもかかわらず、シンはまるで神との謁見が決まったかのようなはしゃぎっぷりだ。

何せ、諦めかけていた神との謁見が叶うかもしれないのだ。

奇跡を手にするチャンスがめぐってきたのだ。

でも、シンは忘れてしまっているようだ。

自分が一体、ナニと契約しようとしているのかを。

「それで、契約の代償は何だい? ああ、別に何だってかまうものか。ボクには契約するという選択肢以外残っていないのだから!」

「そうか。では、我の求める代償だが……」

そして、スパイクは笑いをこらえるかのように顔をゆがませ、こう言った。


「お前が、死んだ娘を生き返らせることを諦めることだ」

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