04

「レゾン」


「ハロー、ヴィオレ」


 間髪入れず、スピーカーから合成音声が返す。


 コンピューターに搭載された人工知能・レゾンは、ペスト発生以前から起動し続ける最古のだ。膨大な学習期間で培われた合成音声の表現力は、もはや人間と遜色ない。


「いつも同じ挨拶だよね」


「私の原点だ。。これをモニターに表示してみせたときの開発者たちの反応は、今でもメモリー深部に残っている」


 レゾンはそこで一度区切り、


「ところで、ヴィオレ。私と話をするだけなら、なにもここまで下りてくる必要はなかったんじゃないか?」


 あっさり本題を切り出そうとした。


 浅間あさま全域にネットワークを構築しているレゾンは、接続可能な入出力装置さえあればその場でコミュニケーションがとれる。研究者が持つ個人用のコンピューターでも、地上へ出るハイジアに支給される無線機器でも、電話線に繋がれている固定電話でも、レゾンと話すことは可能ではある。


「私はレゾンに会いにきたんだよ」


「そこに差異は──ある、か」


 ザザ、とレゾンはわざとらしくノイズを混ぜる。


「ハロー、ワールドが私の原点であるのと同様に、ここはヴィオレの原点だったな」


 人工知能らしからぬ言い回しに、ヴィオレは口元だけで笑いながらフードを下ろした。レゾンを支える柱に背中を預け、そのまま冷たい床へ座りこむ。


「まぁ……安心できるところでは、あるのかな?」


「光栄だ。気温も湿度も私に合わせているようなところだが、存分に安心していくといい」


 言い終えたあと、スピーカーの電源が切れる音がして、最下層は静寂に包まれた。


 ヴィオレは膝を抱え、自らの腕に頭を乗せる。話をはぐらかしていることなど、レゾンはとっくに見抜いているだろう。けれど、ヴィオレ自身もなにをはぐらかそうとしているのか、よく分かっていないのが現実だった。


 なにかが足りていないような気がする。なにかが必要な気がする。なにかが欲しいような気がする。けれど、それは形のあるようなものではなくて、意識の中で掴もうとするたびに実態を眩ませた。


 それを伝えれば、レゾンは正しい答えを返してくれるかもしれないし、逆に困惑してしまうかもしれない。どちらにしろ聞いてみるべきなのだろうが、そうやって他者の力で答えを見つけるのも、なんだか違う気がした。


 御堂みどうの言う通り、レゾンはヴィオレにとって親のようなもので、レゾンの言う通り、最下層はヴィオレにとって原点のようなものだ。けれど、その関係に甘えるにも限度や程度がある。


 ヴィオレは孤児だ。浅間の地上のさらに上、塔の上部にある見張り台で放置されているのを窓越しにハイジアに発見されて、最下層まで連れてこられた。


 科学者たちが猛烈に反対していた──と、かつてレゾンはヴィオレに漏らしたことがある。ペストや放射能の危険を顧みず見張り台で「仕事」をしているのは、浅間でも上層部に暮らす貧困層だからだ。見張り台での汚染だけでなく、地中に染みこむ雨水からの汚染も浅間の上層では問題になっている。浅間が下層に重要機関を集中させているのはそのためだった。


 そんな上層で、しかも見張り台で発見された子供が「健康体」であるはずはない。科学者たちの主張は、おおむねそのような内容だったという。


「そういえば、足の調子は?」


 スピーカーを復帰させたレゾンが、唐突に問う。


 ヴィオレも、今度は呆けた声を出さずに済んだ。御堂に気づかれた以上、浅間の電気系統を掌握するレゾンがヴィオレの怪我を感知していないはずがない。


「大丈夫だよ、処置はしてもらったし」


「……ドクター・御堂か」


 合成音声のくせに、どこか苦々しげにレゾンは言った。


 人工知能たるレゾンは、自ら人間と接触しようとはしない。緊急事態の伝達か、人間からのアプローチがあったときにようやくアウトプット装置を起動するくらいで、ヴィオレに対するように他愛ない会話をするのは稀なことだ。


 だから、レゾンと御堂の間に、それほど深い関係はない。二者は人工知能と科学者という関係しか持っていないし、深める機会も存在し得ないだろう。


 それでも口調に変化が及ぶのは、多少なりとも意識しているからなのだろうか。


 気にしていない素振りで、ヴィオレは適当に会話を続ける。


「捻挫だって」


「そうか。無理はしない方がいい。癖がつく」


「ここまで下りて来るくらいなら、別にいいよね?」


「来てから言うな。──まぁ、負担がかかっていないなら問題はないが」


 レゾンはヴィオレに、決して「来るな」と言わない。


 それはきっと、ヴィオレの帰る場所を最下層にしてしまったことへの後ろめたさがあるからなのだろう。親の代わりに知識を教えたレゾンは、ヴィオレに対して他の人間とは違う認識をしているようにも見える。


 人工知能として、それがいい傾向なのか悪い傾向なのか、ヴィオレには判断がつかない。


「レゾンは、私が怪我してると困る?」


「当然だろう」


「ハイジアだから?」


「────」


 弱い風のようなノイズが、スピーカーからこぼれてくる。


「私は全ての人間が健やかであることを願っている」


「……そう」


「あぁ、いや、ヴィオレをどうとも思ってないわけではない。ヴィオレは、」


「分かってるよ」


「ヴィオレは私にとって、もっとも繋がりの濃い人間だからな」


「ハイジアじゃなくて?」


「私からすればハイジアも人間だ。先天的にはヴィオレだって人間だろう」


 意地を張るように主張するレゾンに、ヴィオレは苦笑した。


 長い間起動し続けている割に、どこか幼い印象がレゾンにはまとわりつく。おそらく、あえて人間との関わりを浅く持ち続けてきた影響で、表面だけの空気を読み合うような関係を保っていたせいだろう。


 ヒトはレゾンの本質を読もうとはしないし、レゾンもヒトの本質を知ろうとはしない。


 互いに必要なときだけ利用し合う関係が続いていれば、それ以外の部分で成長が滞るなんてこともありえる話だった。


 顔に流れてきた髪を耳にかけ、ヴィオレはふと気になったことを聞いてみた。


「後悔してる?」


「なに?」


「私に関わったこと。ヒトはヒトとして、平等に扱うのがレゾンの意義でしょ?」


 答えが返ってくるまでには、少し間があった。


 レゾン自身すら、もしかすると意識していなかったのかもしれない。自らの行動を思い返して、今の時点から評価するという行動を、人工知能は行うのだろうか。

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