05
「そう、だな。確かに私の根源のプログラムは、人類を存続させるための最良の選択を行うことだ。人類にはできない選択をすることが、私の意義でも、あるのだが──」
流暢に言葉を紡ぎ出していた合成音声が途切れる。
うっすらと空気を震わせているノイズは残っているから、スピーカーは開いたままなのだろう。ヴィオレは思わず顔をあげるが、そこにあるのはただの金属球だった。
人工知能に許されたアウトプットは、あまりに限られている。
「ヴィオレを利用しようとしていた、と言ったら、ヴィオレは私を嫌うか?」
ようやく、レゾンは自分の言葉を継いだ。
なんだ、そんなことか──とは口に出さず、ヴィオレはもう一度腕を枕にして応える。
「ううん。嫌う必要があるの?」
「意思決定能力のない子供のころに、それが正しい道だと言い続けたからそう言えるんだ。本当にヴィオレはそれでよかったのか?」
「そりゃあ、今の状態には満足してないけど……」
言葉尻が掠れた。
レゾンの言葉は正しい。ヴィオレはレゾンに教育を受け、レゾンの言う通りにハイジアとなった。レゾンが敷いたレールの上を、疑問も持たずに歩き続けて今に至っている。それが束縛であるとも自覚していないのは、もしかしたらヒトとして問題なのかもしれない。
「ヴィオレは理想のハイジアになる素質を持っていた」
坦々と、レゾンは語り始めた。
「研究者にそれを認めさせるだけのデータなら、当時すでに出せていたのだが──問題は、ハイジアになれるだけの成長を、ヴィオレができるかどうかだった」
「すぐ死ぬって思ってたんでしょ?」
「あぁ。放射能を浴びすぎていたからな。すぐに死ぬと分かっているものを生かすだけの余剰は、
「なんで死ぬのかは、よく分からないんだけど」
レゾンは、砂をこするような──ため息のようなノイズをこぼした。
「ハイジアの適性は、放射能汚染に深く関わっている。放射能はDNAの軽微な損傷をもたらすが、その修復が繰り返されるたびに結合がゆるんでペストのDNAを仕込みやすくなる。同時に、DNAが重大な損傷を受けるリスクが高くなり、ガン化する可能性がある──と、何度も言ったはずなんだが」
「うん、そんな気もしてきた」
ヴィオレは茶化すように返したが、その内容のほとんどを理解していない。
自分はハイジアになるのに都合がよかった。それだけで十二分に意味があった。理屈や理論をこねるのは科学者の役目だし、ヴィオレはそれを得意としない。
「本来なら、ヒトはヒトが育てるべきだ。が、拒否されたなら私が育てるしかあるまい。それに──科学者は検体を検体としてしか見ないからな」
「私を育てたのは消去法だった?」
「本音を言えばな。けれど、その点において後悔はしていない」
そこで一度、レゾンはスピーカーを切った。ぷつり、という音を最後に、最下層は束の間沈黙に包まれる。
気にするほどの長さではない。けれど、言い逃げのようにも思える。ヴィオレはもう一度金属球を見上げた。
「私にとって、人間は複雑すぎてならない」
再び電源の入ったスピーカーから、レゾンがぼやいた。
「ヴィオレはハイジアになりたかったか?」
「うん」
「なんのために?」
「なんのため、って……」
難しくない質問のはずだった。
ヴィオレの前に、そういうレールが敷かれていたからだ。レールを敷いたのはレゾンで、言われるがまま、教えられるがままに生きてきたヴィオレに拒否権などないし、権利を放棄するのも当然の流れだった。
しかし、その答えは全てを語っていないような気がする。
ついさっき咄嗟にはぐらかしたなにかが、掴みとれなかったなにかが、ヴィオレの前に尻尾を見せていた。
「私がなにかの役に立てるから」
息をのむように、ノイズが消えた。
「だから、私はレゾンの計画に同意した」
「封印計画、か」
絞り出すような口調で、レゾンが言う。
「あれは──あれは確かに、ヴィオレでなければ、ヴィオレがいなければ発案しなかった。同じ環境を強制的に作ることはできるが、あまりにリスクが高すぎる。浅間に近づくペストも、操作することはできない」
ヴィオレが上層で産まれ、塔の上でハイジアに発見されなければ。
十年前、念動力を持つペストが浅間に接近し、ハイジアたちに討たれなければ。
五年前、ハイジアになるために十分な成長をしたヴィオレが、健康体でなければ。
「念動力で汚染源を埋めて、開かないようにするだけだったのになぁ」
ようやく繋がろうとした可能性の糸が、まさか念動力が体表から五センチの範囲に限定されなければという条件で切られるとは、思ってもみなかった。
当時レゾンから受けた説明によれば、現在の放射能汚染は地下深くに埋められた放射性廃棄物が開封されたことから発するらしい。封印するための物質自体はまだ残っているはずで、念動力さえあれば再封印は不可能ではない。
ヴィオレの組み替えやすいDNAがあれば、念動力を発揮したまま仮死状態に陥らせることも可能で──実現すれば半永久的に汚染物質が封印されるはずだった。
「──もう終わった話だ」
流れを断ち切るように、レゾンは言った。
そうだね、と応えた息は、ヴィオレが意識したより重い。硬く冷たい床すら、溶けて沈み込みそうなほど。
「なんで私は失敗作になっちゃったんだろう」
風のようなノイズが、強さを増した。
「中途半端に、生き延びちゃって……成功してれば、役に立てたのに」
呟いたヴィオレに応えたのは、ただの騒音と化したノイズだった。
たとえるなら、浅間の外で急制動をかけたときの、靴底が地面を噛む音に似ている。断続的に鳴るノイズとは裏腹に、レゾン自体にはなんの変化も起こっていないから、おそらく内部に異常をきたしたのだと考えられた。
レゾンは自我を持つ人工知能だ。アウトプット装置に接続した状態で電脳内に乱れが生じれば、その乱れはノイズとなって外に漏れる。仮にこれがスピーカーの故障によるノイズだとしたら、スピーカーに取りつけられたランプが赤く点灯するはずだった。
「レゾン……?」
ヴィオレの声に応えるものはなかった。
むしろ、ノイズは完全に消失した。スピーカーが切られたのだ。
「なにか隠してるの?」
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