03
右足に軽く体重をかけてみると、テーピングはほどよい圧迫を足首に与えてくる。痛みはかなり軽減されていて、ヴィオレは
「それはよかった。無理な運動はしばらく禁止だけどね」
「……うん」
もう一度頷いて応え、ヴィオレは最後の身だしなみを整える。ニーハイソックスとロングブーツで足元を固めて、ようやく人心地ついたような気がした。
ハイジアとしての扱いに慣れたとはいえ、それを全く気にしないことはいまだできない。実験対象や戦略兵器と同様のものとして自分を見る多くの人間がいると同時に、あくまで人間として扱おうとする者が一人いるからだろうか。
御堂は科学者仲間からも白眼視されているが、ヴィオレからしても考えの読めない男だった。二人の関係は、実験対象と科学者以上のものではない。そもそも、御堂がハイジアを人間として扱うこと自体、ヴィオレに限った話ではない。
ハイジアとなる施術を自ら施したか否かすら問わず、御堂は全てのハイジアを人間扱いしている。だから彼の研究室の応接スペースはハイジアたちの領域と化しているし、研究室らしからぬハーブの香りもハイジアたちに趣味を作るために御堂が持ち込んだものだ。
ここまでくると、さすがに常軌を逸している──と、ヴィオレは思う。
ヴィオレの認識で言えば、ハイジアは人間ではない。培養されたペスト細胞を体内に取り込み、成熟済みの体を作り変えた「ペスト寄りの人間」だ。
そう考えてみれば、御堂以外の科学者がハイジアを避けることにも納得がいく。自分で培養したものであっても、天敵の細胞を体に埋めこまれた者へ拒絶反応を示すのは当然のことだからだ。
「みんなが帰ってくるまで、ここで待つか?」
御堂が椅子から立ちあがりながら問う。彼の言う「みんな」は、
山頂付近にある浅間の塔から少し下ったところへ行ったはずで、そろそろ帰投予定時間になるころだった。
とはいえ、予定は三十分から一時間は前後することを考慮しなければならない。地下と地上の間では通信機器も充分な働きができないからだ。浅間直上にいたヴィオレでさえ地下との通信でノイズを聞き続けていたのだから、さらに距離をとれば通信状況がどれだけ劣悪になるかは容易に想像できる。
ヴィオレは数瞬迷ってから、部屋の出口を見た。
「ん……ちょっと行きたいところがあるから」
「レゾン、かな」
問いかけるような言葉だが、御堂は半ば確信している口調で言った。残念そうに、ため息が混じる。
「苦手?」
「いや……そういうわけじゃない。ヴィオレにとって親みたいなものだからね」
言って、御堂は苦笑に似た複雑な表情を浮かべる。
ヴィオレの知る限り、御堂は嘘が下手な男だ。正直と言うべきなのかもしれない。他人に、というよりは、自分に。
だから、ヴィオレは御堂にレゾンの認識を改めてもらおうとは思わなかった。確かに彼の言う通りレゾンは親のようなものだが、誰かの評価など気にするような性質の持ち主でもないからだ。
その点では、御堂とレゾンには似たところがあるのかもしれない。
「みんなが帰ってきたら、戻ってくるよ」
「あぁ、いってらっしゃい」
御堂の声を背に、ヴィオレは研究室を後にした。
廊下に出て扉を閉めると同時にパーカーのフードをかぶり、視線を落として足を速める。その程度でヴィオレがハイジアであることは隠せないが、目線を合わせる必要がなくなるだけでも充分な効果がある。
向けられるのは、大抵が軽蔑に似た同情の視線だ。伴って吐き出されるため息を消す術は持っていないから、白衣や黒衣の誰かとすれ違うたびに大げさな吐息の音だけがフード越しに聞こえてくる。
ハイジアに向けられる、生物としての苦手意識とはまた違う。ハイジアを管理する、あるいは運用する人間としての、期待が外れた軽蔑が、彼らの中にはある。
ヴィオレは、ハイジアとしての失敗作である。
実戦に投入可能という意味では、一定の成功は収めている。ただし、それは他のハイジアとは違う運用方法で、限られた状況下でのみ、という注釈がついた上での話だ。
本来、ハイジアがペストに触れられるほど接近する必要はない。今日ヴィオレが戦ったネズミ型ペストは炎を操っていたが、その細胞を加工・培養して少女に埋めこめば「炎を操るハイジア」が出来あがる。
有効射程に個体差はあるものの、ヴィオレのように「体表から五センチ」などといったふざけた短さなど他には存在しない。炎は体にまとって戦うものではなく、遠方へ向けて放射して使うものだ。
ヴィオレの念動力も、本来は広い範囲に有効な能力であるはずだった。元となったペストは、その脅威を存分に発揮している。技術が確立して以来ほとんどハイジアの損耗がなかった百年以上の常識を、たった一匹でひっくり返すほどの脅威だった。
ヴィオレが宿しているのは、十年前、四人のハイジアを犠牲にして浅間が手に入れたペストのDNAである。
その結果が、もはや必要のない近接戦闘型にしかならない失敗作だとしたら──ハイジアに関わる人間が失望するのも無理はない。
ヴィオレは自然と人の少ない道を選んで歩く。各所にある階段でも特に利便性の悪いものを選びながら、神経質に白で統一された科学者の領域からさらに下層へ。次第に人の気配は消え、住みやすさや居心地のよさを無視した金属色が目立ち始める。
浅間の最下層を陣取っているのは、ひとつの巨大なコンピューターだ。八脚で支えられた金属製の球体から血管や神経のようにケーブルが生え、柱を伝って上層へ続いている。人間が下りるための階段はケーブルを避けるように取りつけられていて、だから利便性など欠片も考慮されていない。
曲がりくねった階段を降り、ヴィオレは浅間の最下層へ辿りついた。定期的に行われるハードメンテナンス以外、人の出入りはほとんどない場所だ。
それもそのはずで、巨大コンピューターには、人が外から操作するためのキーボードやタッチパネルといった入力装置はもちろん、液晶画面などの出力装置すらない。代わりにあるのは、マイクとスピーカーだけだ。
巨大な球体を支える柱の一本へ手を触れ、ヴィオレはマイクへ声をかけた。
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