第54話 陰謀と少女7
顔に何かがピチャピチャ落ちる感覚で目が覚める。
空中にアクアが浮いていて、その小さな手で、私の顔に水をかけてくれている。
「アクア、ありがとう」
「メグミ アリガトウ アクア ウレシイ」
上半身を起こした私の周りをアクアが飛ぶ。
目の前に噴水のプールがある。
どうやらピーちゃんが連れてきてくれたのは、城下町の中心にある噴水広場のようだ。
なぜか噴水は水が噴きだしていなかった。
お城の方を見ると、巨大な生き物の足が見えた。
街の人たちも、呆然とした顔でお城の方を眺めている。
「ふんっ、ふんっ」
そんな音がする方を見ると、ピーちゃんが噴水プールの縁に座り、顔を水面につっこんでは、鼻と口からぴゅっぴゅっと水を吹いている。
「ピーちゃん、大丈夫?」
「ふんっ、メグミは、ふんっ、いいよね、ふんっ、気を、ふんっ、失ってたから、ふんっ」
「どうしたの、いったい?」
「ふんっ、どうしたかじゃ、ふんっ、ないよ、ふんっ。
すんごく、ふんっ、臭かった、ふんっ、だから、ふんっ」
そういえば、気を失う前に玉ねぎのようなニオイがしたような気がする。
「あっ!」
私が叫んだのは、また足元が揺れだしたからだ。
ただ、今度のは、それほどひどくないし、少しすると完全に揺れが停まった。
「お城が戻ったぞ!」
「よかった!」
「皇帝陛下は無事かっ!?」
街の人々が、口々に叫ぶのが聞こえる。
お城の方を見ると、確かに元の場所にある。
巨大生物は、一度立ち上がった後、また座ったのだろう。
今の揺れでプールに落ちてしまったピーちゃんを布で拭いてやる。
「あー、やっと匂いが取れた気がする。
ひどい目にあったなあ」
「ピーちゃんは、あれが何か知ってるの?」
「多分、竜の里で先生から聞いた『オペーレ』だと思う」
「オペーレ?」
「うん、ドラゴンが戦ってはいけない生き物の一つだね」
「森の学校ではそんなことも習うんだね」
「それはそうだよ。
危険な生き物は最初に習うよ」
「そうなんだ」
「でも、それを見たドラゴンは、まだいないって先生が言ってた」
「見たことないのに、よくそれだって分かったわね」
「神樹様に教えてもらったって言ってた」
「それじゃあ、間違いないわね。
オペーレか。
この世界には、凄い生き物がいるのねえ」
「他にもいろいろ凄いのがいるらしいから、会いにいってみる?」
「い、今はもうお腹いっぱいだわ。
凄い生き物は、十年くらい見なくていいわね」
「ボクもあんなに臭い生き物には、もう会いたくないな~」
「フンスイ、フンスイ」
アクアが、透明な羽をきらめかせ噴水の方へ飛んでいく。
再び噴きあがりはじめた水が、虹のアーチを描いていた。
◇
クーデターに参加した三万の兵士は、オペーレの吐息を直接浴び、全員意識を失った。
城内にいたフルーマルの手勢もあっさり降参したそうだ。
サイラスは捕まり、城の地下にある牢に入れられている。二度と出さない方がいいだろう。
城は崩れた箇所を直すのに時間が掛かるという話だが、建築魔術でなんとかなるそうだ。
◇
私と仲間たちは、皇帝陛下の前に並んでいる。
私は立ったまま、仲間は片膝を着いた姿勢だ。
私たちの両脇には、着飾った貴族たちが立ちならんでいた。
「竜騎士殿、この度は敵の襲撃を退けてくださり、誠にありがとうございました」
「いえ、私は何もしていません」
「まさか、この城があのようなものの上に建っていたとは……」
「オペーレは、一度動くと千年近く動かないそうだからご安心ください」
「オペーレ?」
「ええ、あの巨大な生物の名前らしいです。
ドラゴンの間では知られているようです」
「なるほど、ここにこの城が造られてから、まだ百年足らず。
我らが知らぬのも無理はありませんね」
「お城が崩れなくてよかったですね」
「宮廷魔術師が調べたのですが、あの事で城が崩れなかったのは、まさに奇跡だということでした。
そして、なにより、街がほとんど何の被害も受けなかったのは、さらに奇跡だそうです」
それはそうよね。
「ところで、竜騎士メグミ殿、今日はお礼を用意しています。
お受けとりください」
「でも、私、何もしてないから――」
「ご謙遜は、その辺にして。
宰相モラル、頼むぞ」
「はっ!」
白いローブを着た宰相は、部屋の隅に置いてあったものから黒い布を取りはらった。
その下から出てきたのは、山のように金貨を載せたワゴンだった。
「す、すげえ!」
「なんだ、ありゃっ!」
ライとレフが、ささやき合っている。
「竜騎士メグミ殿、これをお受けとりください」
困ったわね、これは。
あっ、そうだ。
「分かりました。
では、このお金を二つの事に遣ってください。
一つは、この度、家が壊れた方へのお見舞いとして。
もう一つは、今もティーヤム国内に残されている、この国の元兵士を救うために」
「メ、メグミ様っ」
トルネイの声がしたので振りかえると、だーっと涙を流している。
見まわすと、他の仲間も涙を滝のように流している。
ど、どうしたの?
「我らが同胞のため、お心をお砕きくださり、感謝の言葉もありません」
トルネイが絞りだすような声でそう言った。
なんか、みんなすごく泣いてるなー。
どうしよう。
「みんな、ティーヤムでは、大変だったんでしょ。
他の人も、早くこの国に戻れるといいわね」
「「「べぐびざばー!!」」」
たぶん、「メグミ様」って言ってみたいだけど、みんな涙と鼻水ですごいことになってる。
「さすが竜騎士殿よ!
騎士たちよ、メグミ殿にお目にかかれたのは、一生の宝ぞ。
そして、貴族たちよ、今のメグミ殿のお言葉を忘れるでないぞ」
「「「ははーっ!!」」」
陛下の言葉に、全員がこちらに頭を下げた。
これは、もうダメね、早くティーヤムに帰ろう。
私は陛下に頭を下げ、その場を去ろうとした。
ところが、その私の動きを制するように、陛下の横に女性が立った。
ブロンドで色白の美しい女性は、腕におくるみを抱いている。
「お、お后様っ!」
トルネイが、涙でぐちゃぐちゃになった顔で礼をする。
「おお、タニア。
この方が、我が国を救われた竜騎士殿だよ」
「タニアです。
これは、我が息子ニーナスです」
おくるみを抱えたまま、彼女は優雅に礼をした。
「陛下、例のお話は?」
「今するところだ」
陛下とお后は、何か打ちあわせていたようだ。
そして陛下が立ちあがると、よく通る声で次のように言った。
「皇太子任命の儀は、竜騎士殿におこなってもらう」
会場が一瞬シーンとした後、すごい歓声が上がった。
お后に手招きされ、私は玉座がある上段へ登った。
「聖水を、指で息子の額につけてください」
ぱっちりした目をした美しい王妃が、やさしく微笑む。
ローブ姿の老人が、水の張られた金属製の入れ物を両手で掲げ、運んでくる。
ピーちゃん袋から、アクアがさっと飛びだすと、その水を潜り、赤ちゃんの頬にキスをした。
赤ちゃんが、薄青く光る。
「こ、これはっ!」
陛下、お后、ローブの老人が、驚いた顔で動きを停めている。
「水の妖精からの祝福です。
この子は、私の友達アクアです」
「に、任命式に我が子が、妖精様からご加護を頂いた……」
陛下が小声でつぶやいた。
「皆の者っ、竜騎士殿のお陰で、我が息子ニーナスは、水の妖精から祝福を授かったぞ!」
陛下は、つぶやきに続き大声でそう叫んだ。
「「「うおーっ!」」」
その後は、貴族と騎士がこちらに押し寄せたので、私はお城の窓から外に飛びだした。
◇
「メグミー、この飛び方にも慣れてきたんじゃない?」
腰のベルトを掴んで飛んでいるピーちゃんが、話しかけてくる。
「そ、そんなわけないでしょ!
とにかく噴水広場に降ろしてちょうだい!」
「もう、メグミは。
このままティーヤムまで、飛んじゃえばいいのに」
「冗談言わないで!」
ピーちゃんは、ぶつくさ言いながらも、私を噴水の横に降ろしてくれた。
さっそくアクアが、噴水に飛びこむ。
すごく嬉しそうだ。
ピーちゃんも、この前、水に落ちたのがきっかけになったのか、噴水プールでお腹を上にして、気持ちよさそうにぷかぷか浮いている。
「ねえ、ママー、あれなーに?」
「うーん、なんだろうね。
お母さんも初めて見るなあ」
通りかかった親子が、ピーちゃんを指さして、そんな会話をしている。
アクアとピーちゃんが楽しそうに水遊びしているのを、私は穏やかな気持ちで眺めていた。
「メグミさーん、待ってくださいよー」
「置いてくなんてひどいですよー」
大通りの向こうから、レフとライが駆けてくる。
夕焼けにオレンジ色に染まった噴水は、まるで大きな花が咲いたようだった。
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