第12話 黒霧と白光

 空は仄暗く月が真上から人々を照らす、さらに夜は更けようとしていた。

 庭園の道は背の高い木々の壁に囲まれ、綺麗な一本道が領主の館と町を繋いでいる。


 月下の林道の中には『幽霊』と『聖騎士』が対決しようとしていた。


 ルークの暗闇に溶けそうな黒い外套が風でゆらゆらと揺れる。

 所々に施された赤い刺繍、銀の装飾が野蛮な荒くれ者とは違う気品を漂わせていた。

 フードを被ったその姿にアルフレッド達には人間らしい生気を感じ取れない。


「神罰?それは“殺す”ってことか?」

「安心してください、聖女様は現世の罪で差別したりしません」

 アルフレッドは肯定を避けるかのように、『聖女』の慈悲を説く。

「白の地とは違えど、みな等しく天の国へと導いてくれます」


 歓迎するかのように微笑むアルフレッド。

 この笑顔はサラスヴァティが見せた戦闘を楽しむ様子ではない。

 心の底から白光の国の聖女とやらの存在に心酔している。

 屈託の無い笑みが、余裕と威圧を醸し出す。


「要するに、やる事はオレ達と一緒じゃないか」

「話すだけ無駄、あの国の人間は大体あんな感じ」


 ルーク達の会話を聞き捨てならないと、付き添っていた修道女が怒りを露にする。

「あんた達のような低俗な人間に聖女様のご慈悲は分からないでしょうね!」

 白光の国の人間を毛嫌いする彼女は溜息をつく。

 さも常識のように押し付けてくる彼らの宗教観にうんざりしていた。


「あら、こんなところに子供までいたの?気が付かなかった」

 白々しく初見の振りをするレイチェル。

 本当はモーガンの家を盗み見たときに知っている、例の聖騎士の付き人だ。

 修道女は無碍な扱いに怒った。

「子供じゃない!私はエステル。エステル・ライト・エクソシスト!」

 首をぶんぶんと振り、二つに下げた金髪が揺れる。



「あなた達のような“非道”と僕達の“善行”を取り違えないで下さい」

「僕は悪を裁き、正義を貫く。この剣で悪事を裁く事は、あなた達が人を殺めるのとは訳が違う」



 自身を正義と主張するアルフレッドにルークは苛立ちを見せる。

「眩しい奴だな。まるで…人を殺す事が至極真っ当に聞こえてくる」

 アルフレッド達のやり方は人殺しを、聖女の大義として目を背けている。

 それはルークの味わった後ろめたさや罪悪感を馬鹿にしていた。


 ルークは一呼吸置いた後、怒りを込めて口を開いた。


「どっちも同じだよ」

「同じ……?どういうことですか?」


「剣は人を殺す道具だ!それは、綺麗事に酔った奴が振るもんじゃない」




――ルークの口から出た言葉。

 それは初めて剣を握った十二年前、モーガンに言われた言葉だった。


「ほう?ワシに『剣を教えてほしい』とな、まだ八歳のガキが?はっはっは!」

 顎に蓄えた白い髭をさすりながらモーガンは先ほど聞いたルークの言葉を鼻で笑う。

 モーガンは腰上ほどしかない背丈のルーク、その頭をポンポンと優しく叩く。


「子どもあつかいするな!ぼくにも“剣”がふれないと……また……」

 ルークの純粋な瞳が、時折遠くを見つめるように虚ろになる。

 一年前の宗教都市の悲劇から命を救ったとはいえ、心の傷は深くそう簡単に癒える事はない。

 モーガンもしばらく考え、ルークに問う。


「あいつらがおとうさんと、おかあさんにしたように……」

「……殺すというのか?」

 モーガンに遮られ、ルークは一瞬ギクリとするが、すぐに緑色の瞳は陰りを取り戻す。

「ほう……」

 これが自分の子供の発言であれば、さぞかし頭を痛めただろう。

 しかしモーガンはたじろぐ訳でも返答に悩む訳でもなく、自然に言葉を返す。


「お前の両親は確かに命を奪われた。それは……さぞかし憎かろう」

「でも、モーガンのおかげで助かったんじゃないか!だから―」


「その通り、ワシがお前をこの剣で守った」


 モーガンの皺だらけの顔にさらに皺が寄り、どこか悲しげな表情になる。


「……だが守るためにワシも同じように、この剣でたくさんの人を死なせてしまった」

「わるいやつならいいじゃんか!」


「ならもし、自分の両親が“わるいやつ”だったら。どうするのかね」

「なんだと!このくそじじい!」

 ルークは両親を侮辱された事に激しく怒り、テーブルに置かれたモーガンの剣をどうにか引き抜こうとする。

「わっ!」

 しかし身の丈を超える鋼の重さに八歳のルークは体制を崩し、剣先を床に着けて持つだけで精一杯だった。

「どうだ、重いだろ」

「……その剣で命を奪われた奴らは、ワシが“わるいやつ”だと、憎んでいるだろうな」

「いみ……わかん……ない!」

 八歳の子供にはまだ早いであろう自身の道徳を語るモーガン。

「剣を握ればみんなが、同じ様に自分が正しいとそう思い込む」

 どうにか剣を持ち上げようと必死になるルークを見やり、構わずモーガンは説法を続ける。


「それは人を殺す為の道具だ。正義などという志を掲げて戦うものなどではない」


 最後の言葉は今までの自分へ向けた独り言のように呟いた――





 剣は命を奪う道具、その事実は信仰や正義でも誤魔化せない。

 発せられた言葉には本人の自覚がなくとも、モーガンの志は技術と共にルークへと引き継がれていた。


「……え!?それはフレッドの……」

 エステルは口癖のように出ていた『剣聖』の教えがアルフレッドではなく、ルークの口から出たことに驚く。

 似たようにアルフレッドも碧目を見開き、動揺した素振りを見せる。

 自分には理解できなかった教義を語る男が目の前に現れたことに関心を見せる。

「そうですか……あなたにも、あなたなりの道義があると」


 レイチェルがルークの怒りに驚きつつも注意を促す。

「あなたも怒る事があるのね、でも熱くなりすぎないで状況を理解して」

「……相手は白の国の最強の一人、青の国で言うなら元帥格に匹敵するのよ」

 レイチェルは親指を立て、後ろを差す。

「戦う事が正解とは限らない」

 依頼は既に達成しているため、ここに留まる意味はない。

 レイチェルは暗に『逃走しろ』と言っているのだ。


「そんな例えを持ち出されてもオレには分からない」

「もっと分かりやすく言うと、モーガンと同じ位強いって事」

 モーガンと同じ強さと聞き、ルークは高揚する。

「面白い、やってやろうじゃないか」

 完全に冷静さを欠いたルークは柄に手を掛け、戦闘態勢を取る。

「はぁ!?私の話ちゃんと聞いて――」


 アルフレッドの声が二人の会話を遮る。


『光よ!我が盾に集いて悪しきを隔てん……顕現せよ』


 黒霧を払いのけた時のように大声で何かを叫んでいる。

 怪訝そうな顔で後ろを振り向き、ルークが訪ねる。

「さっきもそうだけど、あいつは何を叫んでるんだ?」

「あれは“呪文”魔法に才能が無い奴が唱えるダサい独り言」


『ディバイン・ジェイル!』


「……え!ごめん、前言撤回!」

 アルフレッドの魔法を聞いた途端、レイチェル頬に一筋の汗が流れる。

 ルークとレイチェルを隔てるように盾が地面に突き刺さり、まるで間欠泉を開いたかのように盾を中心に突風が吹き荒れる。

 眩い光を宿した盾が二人を分断する。

 光は鮮やかな色を放ち、極彩色の硝子の障壁がルークとアルフレッドを包み込む。





 吹き飛ばされたレイチェルは空中で体を捻らせ、飛ばされた勢いを殺しながら浮遊の魔法で宙へと停滞する。

「おっとと……あっぶな……」

 帽子のつばを指先で軽く抑えながらルークの安否と先ほどの魔法を確認する。

 形は違えど、レイチェルの氷の棺を生み出す魔法「コフィン」と同じ程度の現象に近い。

 この林道を塞いでしまうほどの障壁の広さ、並大抵の魔法使いには真似できない。

「まさか“ラウラ”の加護……?」


 レイチェルの憶測を邪魔するように、耳元に羽虫が飛ぶような音が通り過ぎる。

「ん?」

「余所見する余裕なんてないわよ!」

 レイチェルが音のした先を見ると、矢を模した光の塊が日差しのように頭上へと降りかかろうとしていた。

「あの国は相変わらず、視力が下がりそうな魔法を好むのね」

 絶体絶命の光景に動じる事もなく、なぎ払うように手を仰ぐ。

「オブシダン・ミスト」

 目の前に視界を覆うほどの黒い霧が光の矢を飲み込んでいく。

 普段の霧と違い、まるで宝石を散りばめたようなキラキラと輝く粒子が見える。

 次の瞬間、飲み込まれた数多の矢は磨り潰されたように光の粒となって空から降り注ぐ。


 花びらの様に散る光と灰の様な粉が舞う中、優雅に地面へ降り立つ。

 その異様で美しい光景は、只者ではない雰囲気を放っていた。


「浮遊に無詠唱の魔法……まさか『魔女』!?」

 目の前に立つ禁忌の存在にエステルは戸惑いを隠せない。

「魔女狩りで絶滅したはずじゃ…」

「それは、あなた達が信じる“天啓詩”とかいう妄想の中での話でしょ」

 白の国では天啓詩という宗教文書によりその信仰をさらに強めている。

 彼らの中ではその天啓詩の教えが信念であり、絶対の教え。

「聖女様が嘘を付いたって言うの?なんて罰当たりな事を」


 エステルは短杖を握り締め、早口に呪文を唱え始める。

『風よ!咎人に罪を刻め!ブラスティング・エッジ!』

 周囲の空間が歪み、刃をかたどった縦長の衝撃破が地を抉り、胴を狙う。

 レイチェルは体を少し傾け、最小限の動きで風の刃を避ける。

「甘いわ!」

 刃は地を離れ空へ浮かび上がると、くるくると旋回し横向きになり、背後に狙いを定める。

「無駄だよ」

 虚空に指先で文字を書くような仕草を見せ、瞬く間に炎の玉が出現する。

「フェニックス!」

 炎はまるで命を宿したかのように震え出し、翼を生やす。

 羽毛のごとく火の粉を散らし、鳥の形を成して飛び立っていく。

「……不死……鳥!?」

 灼熱を帯びた翼が風の刃を燃やし尽くし、刃は破裂し周囲に爆風を巻き起こす。


「ま、まだ終わってないわ!」

 風の刃を発動中にエステルは予め詠唱を終え、別の魔法を展開させていた。

 間髪を要れず、月と見間違えそうな輝きを灯した大剣が空に浮かぶ。

『ルナ・ソード!』

 頭上を見上げたレイチェル目掛けて斜め一直線に発射される。

「魔法を二つ使えるんだ……あの騎士に付いてるのも少し分かるかな。素質はありそう」

 輝く剣先が胸元まで届き、そのままレイチェルを貫く。

 ……かと思いきや時が止まったかのようにぴたっと静止する。


「アブソリュート」

 無傷の肌から冷気を放ち、光の大剣がまるで白い返り血を浴びたように“霜”に染そめられていく。

 絶対零度のごとく凄まじい速度で凍りつき、大剣はただの氷塊と化す。

「でも、少しセンスがないかな」

 杖で氷塊を叩くと、硝子細工のようにばらばらに崩れ落ちた。


「そんな、私の最強の光魔法が……こんなの白の国が……祓魔師全員が束になっても勝てないわよ!」

「当たり前でしょ、指で数えるくらいの存在なんだから。その様子じゃ魔女の名前も知らなさそうだ」

 体内の魔力を使い果たしたエステルは、がくっと両膝を着き敗北を認める。


 目の前の『魔女』は舞い降りてきた炎の不死鳥の頭を撫で、息一つ乱さず平然としている。

 一方エステルは息を切らし、肩を上下させながら圧倒的な実力の差に畏怖を抱く。

「白の国にはこんなデタラメな人いないわ」

「ちゃんといるでしょ?君達が大好きな“ラウラ”が」

 エステルは驚愕した、告げられた事実は疲れた体に追い討ちを掛ける。

「その名前……聖女様を愚弄する気!?」


 信仰への侮辱に激昂し、残った力を振り絞って呪文を唱え始める。

『光よ――』

 呪文の声を掻き消すように天が激しく吠え、雷鳴が轟き地に落ちる。

 一振りの斧槍がまるで警鐘のように地面へ雷を迸らせる、エステルはこの行為で全てを悟った。

「ひっ……!」

 この『魔女』は自分を殺そうと思えばいつでも殺せるのだと。


「いつもそうやってあなた達は、現実から目を背け……耳を塞いで聖女サマへ祈りを捧げ始める」

「だって、魔女には……人を惑わす力もあると聞くわ!騙されないんだから!」

 確かにレイチェルも赤い瞳を宿らせ、他人を惑わす事ができる。

 だがもっと罪深い人物を彼女は、魔女達は知っている。


白光はっこうの魔女ラウラに信仰を捧げ続ける限り……あなたは私には勝てない」

 レイチェルは理由なく白光の国を毛嫌いしている訳ではない。

 自らを『聖女』と名乗り、魔女狩りと称し自身以外の『魔女』を排他した事が一番気に入らないのだ。

「ラウラは信仰という魅了で人を惑わし、信者という奴隷が国を作り上げた」

「でも……そんな……ありえない……」

「君のような魔力の強い祓魔師ですら、詠唱を強いられるのは加護という“呪い”を受けているからだよ」

 この事実は、魔女達にしか知り得ない。

 なぜなら真実に辿りついた者は皆、ラウラの魔法で記憶を消されてしまうからだ。



「もう無理……さっさと殺しなさいよ。会場の人達のように……」

 元々、襲ってきたのはあちら側で、対応しただけだというのに。

 今度はパーティ会場の事まで魔女の仕業だと勘違いをしている。

 あれだけ人間離れした事を見せれば、何でもかんでも魔女がやったと思われるのも仕方ないが。

「いや、それ私じゃないし。あっちの人だし」

「……え?」

 レイチェルが指差すのはアルフレッドが作り上げた結界の中、極彩色の硝子に透けて映る黒い人影。

「さっきから嘘ばっかり……」


 言葉の意味がわからず、理解が追いつかない様子のエステル。

 疲弊した頭脳は理性を欠き、目の前の魔女に問いかける。

「もし、聖女様がその白光の……『魔女』だっていうなら……あんたは何の魔女なのよ」

 白光の国であれば、聖女を魔女と仮定した時点で不敬罪で審判に掛けられるであろう。

 それでも尚エステルは問う。

 彼女をそこまで駆り立てたのはエステルの純粋な魔法への探究心だった。

「私?いいよ、教えてあげる」


 レイチェルは黒い羽飾りの仮面を取り出し、目から鼻にかけて上半分の顔を隠す。

 黒いドレスがうっすらとぼやけ始める、エステルは目をこするが一向に焦点が定まらない。

 次第に暗くなり、自分の目ではなく蜃気楼のような霧が原因だと気付くころにはもう遅かった。


「私は色の極地に至る一人、黒霧こくむの魔女」

 その名に違わぬ黒い霧が立ち込め、エステルは意識が混濁し魔女の姿を見失う。

 先程アルフレッドは難なく打ち払っていたが、こんな魔法は見たことも聞いたこともない。

 不思議と不安を煽るこの空気に耐えられず、ぱたりとその場に倒れ込んでしまった。


「他にも青海のルーシー、紫電のロザリー…って聞こえちゃいないか」

 レイチェルが指を鳴らすと炎の不死鳥が瞬く間に小さくなってポンと軽い音を立てて破裂した。


 一介の祓魔師に見せた圧倒的な強さ、人の記憶に焼き付きそうなほど派手な魔法。

 しかし、戦闘の痕跡はエステルが生み出した風の刃で地面を抉った箇所のみ。

 レイチェルは足跡一つすら残していなかった。


 その有様は、架空や伝説に存在する『魔女』そのものだった。

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