第9話 ヒドゥン

「あの世へ案内してあげるわ、幽霊さん」

 目に前に突如現れた、サラスヴァティと名乗る女。

 見ず知らずの相手に名乗る辺り、それ相応の自信が見られる。

 ルークは迂闊にレイチェルの名前を言ってしまった事を懸念する。

「あなたは名前を教えてくれないの?」

 慣れない守秘義務にルークは戸惑いつつも、口を硬く結ぶ。

 殺伐とした空気。

 寡黙を貫くのは気圧されているからなのか、ルーク自身も分からない。

「返事は無し、か…お手並み拝見といきましょう…うふふ」

 サラスヴァティは高らかな笑い声と共に、ルークへと斬り掛かった。


 赤と青の双刃が左右から迫る。

 ルークは紙一重で姿勢を低くして避け、足払いをする。

「なっ……」

 足をとられたサラスヴァティは床に背を打ち付ける。

 痛みを見せる様子もなくこちらを見たまま笑顔を向けている。


 まるで殺し合いを望んでいるかのような笑い方。

“手を抜いたら死ぬ”という思考がルークの躊躇いを消す。


 迷いなく振り下ろされたルークの剣。

 サラスヴァティは仰向けのまま赤い刃で受け止める。

「残念、惜しい」

 鍔迫り合う二人の剣、しかし剣が動かない。

 重みを掛けてみるが、ビクともしない。


 優位な状況に立ったはずなのに、ルークはまったくそんな気がしなかった。

 フェイスベール越しの狂気を含んだ笑顔は一向に変わらない。

 大木をあっさりと斬り倒したこの剣が目の前にある首筋に届かない。


(女の癖になんて馬鹿力だ……!)

 恐らく、この剣も普通の代物ではないのか。

「あら……?」

 サラスヴァティの真紅の瞳がフードの下を覗き込む。

「……意外と若いのね」

(顔を見られたッ……!)

 動揺と同時に交じり合う剣から微かに火の粉が飛び散る。

「…!」

「あまり近づくと火傷しちゃうわよ?」

 次の瞬間、燃え盛る火炎が剣を包み込みルークへ襲い掛かる!



 ルークはとっさに身をひるがえし、ホールへと後退した。

(只者じゃない、今度こそ赤い髪の関係者か……!!)

 自然と肩に力が入る。

 今まで戦ったことの無い、強者に表情が強張る。



 炎の渦に包まれる領主の部屋。

 揺らめく炎の中心からうっすらと影が人の形を作る。

 炎の渦からサラスヴァティが闊歩して現れる。

「青の国の“抑止力”も、大した事ないのね」

 左手の青い剣から冷気を放ち、たちまち炎が消えていく…

「……所詮おとぎ話の一人歩きかしら」


 サラスヴァティは姿勢を低く屈めると勢いよくルークへと走り出す。

 二人の剣がすさまじい速度でぶつかる。


 青い剣の一撃を受け止めると、今度は接した刃部分が凍り付いていく。

 数回、剣を受け流すうちに気付くとルークの剣は氷塊を纏っていた。

「これで、おしまい」

(剣が……重い!)

 凍りついた剣が急激に重みを増し、勢いよく振り下ろされた剣が地面に突き刺さる。

 腕で持ち上げようとするが想像以上の重さに硬直する。



 サラスヴァティは氷で覆われた剣の刃を踏み付け、軽い身のこなしで跳躍する。

 ルークの頭上を軽々と越え、視界から外れる。

 ホール内が赤く照らされ、ルークの背後からぼうっと炎が焚きつく音が聞こえる。


「灰となって散りなさい」

 赤い剣先から炎が迸り、火柱となってルークへ襲い掛かる。

 直撃は避けられない!

 一面を真っ赤に焼き焦がし、ルークへ浴びせられる炎の奔流。




 やがて火柱の勢いが止まり、反動で発生した蜃気楼を青い剣で薙ぎ払う。

 跡形も残らず、火の粉に混じり、灰が舞う姿が目に浮かぶ…

 しかし、目の前の光景はサラスヴァティが想像した物とは違った。


 晴れた視界に黒衣の幽霊が何事もなかったかのように毅然と立っている。


「……なっ!?」


 瞬きを繰り返すサラスヴァティ。

 蜃気楼を払いきれていないのか錯覚し、冷気が帯びた青い剣を再び振り回す。

「あら……」

 同時に、足元へ自身の赤い髪が切れ落ちる。

 とっさに周囲を見渡すと、背後には石柱に突き刺さる一本の短剣。

「残念、外してるわよ?」

 必殺の一撃が効かなかった事に動揺しまいとへらず口を叩く。

 だが苛立ちは隠せず、初めてサラスヴァティの表情が歪んだ。



 気付くと周囲に黒霧が湧き出していた。

 サラスヴァティは腹を立て、再び赤い剣に炎を宿す。

「何度やっても同じよ、燃えなさい!」

 剣先で弧を描くと、なぞる様に炎が軌跡を作る。

 炎はしなり、まるで鞭のように目の前の黒霧を払いのける。

 しかし、溢れ出す黒霧は一向に止む気配を見せない。

「……」

 気付いたサラスヴァティは顔元をさする。

 フェイスベールが破け、口元が露出している。

 先ほどの斬り合いで傷を負った覚えは無い、だとすれば答えは簡単だった。

「さっきの短剣……!?」

 時既に遅し、気付けばサラスヴァティは幻覚を見るには十分な黒霧を吸い込んでいた。




(正直あの火柱は死ぬかと思ったけどな……)


 柱に突き刺さった短剣は刃の部分が砂のように零れ落ち形をなくしていった。

 過剰な魔力を込めた痕跡が全てを物語る。

 魔断で火柱を切り裂いていたのだ。


 ルークはお節介な魔女の講義に感謝していた。

 以前のままなら、剣に魔力を帯びる前に確実に炭と化していただろう。


 ルークは氷塊と化した自分の剣の柄を握り、魔力を込める。

「エンチャント……よし」

 剣は魔力の光を帯びると氷塊を弾き飛ばす。

 光は以前の耳障りな高音と違い、ゆっくりと一定の間隔で低音が鳴り響く。


 サラスヴァティは精神を乱され、剣を振り回し小さな火の粉を周囲に撒き散らす。

 端から見ても、黒霧に囚われたのは間違いない。

 ルークが初めて口を開く。

「お前は何者だ」

 サラスヴァティの黒霧を払い除けた行動。

 対策したかのように顔半分を隠していた事。

 それらの要素は明らかに『幽霊』の手段を知っている。


「……この声……まるで胸の奥まで響いて……」

 サラスヴァティの体は膝を着き、うなだれる頭を手で支える。

「何を知っている」

「教える訳……」

 ルークは剣で一閃を描くとサラスヴァティの後ろの大きな石柱を両断する。

 音を立て、柱が切れ目から滑り落ちる。

「次はない、質問に答えろ」

 人間離れした剣技が拍車をかけ、警告としては十分すぎる程だった。

 その気になれば簡単に殺せる、ということを本能へ悟らせる。


「私達は……ヒドゥン、欲に駆られた者達に背中を押す者」

「何故、黒霧の効果を知っている」

「……今更?あれだけ邪魔をしてきたら、嫌でも覚えるわよ」

 今更という言葉に引っかかるルーク。

「十三年前、シルバーリッジの大虐殺は誰の仕業だ」

「シルバーリッジ……?私は知らない……本当よ」


「そこのお前!何をしている!」

 騒ぎに駆けつけた騎士によりルークは追究を諦める。

「柱を斬ったのはやりすぎたな」

 目を離した隙にサラスヴァティはその場から消えていた。

 上からガラスの破片が落ち、割れた天窓から風が吹き込む。

「……逃がしたか!」

「一番の目的はもう果たしたわ。また会いましょう『幽霊』さん」

 逃走するサラスヴァティを追おうとするがレイチェルの言葉が頭をよぎる


『どんな事があっても冥府へ送る事を優先して頂戴』


(……もしかしてこの事を知っていたのか?)

 ルークは深追いを避け、駆けつけた騎士を尻目にその場から退散した。




 突如現れたサラスヴァティにより混乱させられたが、当初の目的は果たした。

 ルークは廊下を走り、ドレッドの元へと向かう。

 やっと復讐の手がかりを掴んだルーク、しかし不審な点は増すばかりだった。

「ヒドゥンか」

 恐らくブルースなら知っているのだろう。

 そしてもう一人知っている人物がいる。

 ヒドゥンが幾度も戦いを交えてきたという幽霊…

「モーガン……何で黙ってたんだ……」



 結果的にエルムッドは死んだ。

 正確にはトドメを刺したのはサラスヴァティだ。

 話の様子から最初から幽霊への囮に使う予定だったのだろう。

 でなければ事故とはいえ『聖血清』により一命を取り留めたエルムッドに追い討ちをかけ、殺したのは不自然だ。

 対幽霊への知識や準備が出来ていた事も囮が前提なら合点がいく。

「オレの始末以外に、もう一つの目的があったとすれば……」



 一つの結論が思い浮かぶと同時に、地面が大きく揺れる。

 地響きと共にパーティ会場のほうから複数の悲鳴が上がる。

「『聖血清』の後始末か……!」

 ルークは踵を返し、パーティ会場へと急いだ。




 会場には凄惨とした光景が広がっていた。

 四散したテーブルの破片やグラス。

 床に開いた大穴から巨体の人間が四方八方へと飛び出していく。

 その容姿は『聖血清』を使った者達の姿に酷似している。

 彼らが取り囲んでいたのはレイチェルだった。

「私とした事が、しくじったかな」

 襲い掛かる巨人達の拳を軽やかにかわしながら魔法を発動させていく。

「ハルバード!」

 周囲に『斧槍』を模った雷がいくつも降り注ぎ、精密な動作で巨人達の頭から顎を刺し貫く。

 巨人達は倒れた様子を見せるがレイチェルの表情は険しいままだ。

「これも時間稼ぎにしかならないか」

 頭を貫かれているのにも関わらず、巨人達は挙動不審な動きを見せる。

「本当、生命力に特化した化け物ね……」


 その時、巨人の一体が死角から襲い掛かる。

「うそっ……」

 防御姿勢を取ろうとするが間に合わない、その時。

 視界に影が飛び込み、巨人が床に倒れる。



「随分派手なパーティになったな」

「ルーク……!」

 突如現れたルークに感謝しつつも、レイチェルはへらず口を叩く。

「踊りのお誘いが多くて、手伝ってもらえる?」

「足を踏まれただけでも致命傷になりそうだ」


 二人は背中合わせに武器を構え、巨人達を迎え撃つのだった。

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