第6話 冥府の門

 酒場の地下は一階の喧騒ほどではないものの、そこそこの賑わいを見せていた。

 卓の上に置かれた容器はジョッキではなくグラス。

 貴族用の交流場のようにも見える。

 従業員は一様に青く、使用人の服装。

 ブルースも同じ様に青い紳士服。

 まるで青い異国に迷い込んだかのようだ。


「今回は個人依頼が二件かの」

 ハーディは手帳を二枚分破って卓の上に置く。

「我々からの委託は一件です。」

 同じ様にブルースも内ポケットから一枚の羊用紙の依頼書を置く。

 依頼書のほうには盾型の印章が押されている。

 見た事もない紋様にルークは不審を感じる。


「計三人、今回は分かりやすく全員エルム領ですね」

「新入りには丁度いいんじゃない」

「こちらは騎士団長と武器商人だ。そっちは……ついに領主を『冥府送り』か」

 ハーディがつまんだ羊用紙には人相が描かれており、下の名前には…

 エルム領主『エルムッド・エルムダート』の名前が添えられていた。

 ドレッドが横から口を出す。

「いきなり大仕事だな。領主は俺が引き受けよう」

「ドレッド、お前はこっちの商人だ」

「おい本気か?また小遣い稼ぎかァ?」



 ブルースは今回の依頼の全容を明かす。

「エルムといえば今まで多少の荒事は見逃しては来ましたが」

 エルム領で起きている行方不明者・多発する原因不明の急死。

 出所不明な資金、自警騎士団の急激な組織拡大。

「どうやら地方役人まで買収されたようで、正確な情報が回ってきません」

「違法な薬物を精製した跡もちらほら」

「これのこと?」

 レイチェルは懐から一つの小瓶を取り出す。

「相変わらず仕事がお早い。そうです、我々はこれを危険と見ています」

「エルム領は化け物の軍隊を作るつもり?」

「この薬を利用し、国家反逆を企てようとしているのは明らかです」

「我々の諜報員も二人死んでいます、正式に発表できないのが悔やまれます」

 法を無視した違法な捜査の中殉職してしまったブルワークの局員。

 日の目に出す為の証拠と共に揉み消され、政府から手を出す事ができないという。

「……そう」



 ルークは少し硬直していた。

「エフラム…」

 ハーディが出した依頼の名前に、見覚えがあった。

「……あなたは領主のほうを受けなさい。この騎士の依頼は貰う」

 レイチェルはエフラムの件について、ルークに釘を刺す。

「こいつも結構な額だ、『エルムダート』ってことはお家芸の親族贔屓か」

 屈辱を晴らしたい気持ちを抑え自分の立場を考える。

 初めての仕事でいきなり我侭を言うのも気が引ける。

 ルークは大人しくレイチェルの提案を受けた。

「分かった、オレはエルムッドの方を受けるよ」

 三人は依頼書をそれぞれ預かると懐にしまう。

「期限は二日以内でお願いします」

「大体固まったかの。それじゃあ準備があるから一時間後、墓地に集合しておくれ」

「……ルーク、後の細かいことはそのエセ紳士に聞くといい」

 そういうとハーディ達は席を立ち店を出て行った。



「親子揃って口が悪い人達だ」

 ブルースは綺麗に揃った口ひげをさすり、鼻で笑う。

「胡散臭いのは確かだけど、あなたは元々何かの役人だろう」

 ルークが指輪を指差すとブルースは驚いた顔をする。

「その印章用の指輪なんて、持てる人物は限られる」

「私とした事が外し忘れてました……あなたは、目がいい人ですね」

 そういうとブルースは軽くウィンクで返した。


 ブルースは懇切丁寧に仕組みを説明してくれた。

 ブルワークはあくまで情報を受け渡しする仲介人だという事。

 ハーディの元へ来る個人依頼も多少は彼らが斡旋しているという事。


「情報には価値があります。下らない婦人同士の噂話や、絵本のおとぎ話でも」

「それなら新聞記者でもいいんじゃないか」

 従業員が近づき、グラスにワインが注がれる。

「それは違います、彼らが売るのは紙。我々は情報を売るんです」

「……例えばさっきワインを注いでくれた女性」

 ブルースは薄目で従業員のほうを凝視する。

「彼女の下着の色を知りたい人が居るかも」

 従業員は視線に気付いたのか嫌そうな顔でこちらを向く。

「彼女はさっき厨房で彼氏と会う話をしていたから……」

「今夜の為にきっと“赤色”ですよ…!」

 下らない談義にルークは笑ってしまう。

「誰がそんな情報欲しがるんだよ」

「では下着じゃなくて“髪の色”でしたら、買う方もいらっしゃるでしょうか」

「そうですねえ……十三年前くらいの話になるんですが」


 赤い、髪の色。

 特定の言葉にルークはたちまち真顔になった。

「いくらで売ってくれるんだ?」

「金銭では等価に値しません、我々の依頼を達成すれば教えましょう」

 情報を生業とする相手に得体の知れなさを感じるルーク。

「これは取引ですよ」

 どこで自分の話を知り得たのか、なぜ第三者がそれを知っているのか。


「優秀な人材を簡単に手放してしまったら困りますからね」

「あんたが皮肉を言われる理由が少し分かったよ」

 ルークは捨て台詞を吐くと、その場を後にした。


 先ほどの従業員が近づき、卓の空いた食器を片付ける。

「局長、気持ち悪いです。それと、もう少し流行を知るべきかと」

「もしかして黒でした?」

 女の怒りを買ったのか食べかけの食器も下げられていく。

「…怒ってるんですか?あっそれ食べ掛け…あの…待って!」



 店を出るとドレッドがドアの横で待機していた。

 ルークの疲れた顔を見て様子を伺う。

「どうだった?」

 睨み付けよるような目つきでルークは一言。

「クソ野郎だった」

 ドレッドは無邪気な笑顔を見せるとルークの背中を勢いよく叩く。

 ブルースを快く思ってない気持ちがよく分かった。

「お前さんとは気が合いそうだぜ」


 ブルワークという謎めいた組織のせいでルークは他人の眼を気にする様になった。

 自身の過去の話を知っているのは当事者のみ。

 つまりモーガンとルークだけが知り得る情報だった。

 今思えばハーディも勧誘の口上に使っていた事を思い出す。

 赤い髪の男は有名なのか……それともモーガンが喋ったのだろうか。

 情報を理由に、誰かの掌で踊らされているような錯覚。

 ルークの復讐の意思は深い霧が掛かり、燻り始めている。


「なんだかオレの知らない世界ばっかりだ……」

 こぼした独り言をドレッドが察したように口を開く。

「人間ってのは皆暢気に暮らしてるもんだ」

 ドレッドはポケットから煙草を取り出すと火を点けはじめる。

 細く白い煙が夜空へと立ち上る。

「現実を知らないし、知ろうともしねェ」

 復讐や剣技ばかりを磨いて来たルークには耳が痛い。

 何の知識も当てもなく、傭兵として彷徨うつもりだったのだから。

「幸せな奴は本気で『神様』が居るとか思ってるし」

「どっかの真っ白い国では『魔女』ってだけで処刑だ」

 嫌われる事に慣れていると自嘲したレイチェルをふと思いだす。

「……それにお前は昨日までモーガンの正体すら知らなかった」

 身近にいた人間の事も半分程度しか知らなかったルークに、ドレッドから出た言葉は歳相応の重みを帯びていた。

「これは誰にも知られない仕事だぜ…ちゃんと覚悟しとけよ」

「そうだな…」

 そういうとドレッドは煙草をこちらに差し出す。

「吸った事あるか?」

「ない……けど一本貰うよ」




 墓地に着き、全員合流したがルークは疑問に思っていた。

 エルム領へ行くには少なくとも東側の門から出発しなくてはならない。

 それに期日は二日以内、馬を走らせても仕事をこなす時間があるか怪しい。

「なあ…よく考えたら間に合わなくないか?」

「そういえば言ってなかったか、門をくぐればすぐだ」

 あたりを見回すがそれらしき物は無い。

 目の前には綺麗に切られた大きな長方形の墓石があるだけだった。

「ルーク、少し血を採らせてもらうぞ。腕を出せ」

 ハーディはそういうとルークの腕に針を刺し、血液をインクの瓶と混ぜる。

 黒い紙を取り出し、羽筆をルークへと渡す。

「…これを書いたらどうなるんだ?」

「門を通る許可が下りる」

「どこの門だよ?もしかしてオレには見えないとか?」


 突然地響きが鳴り、目の前の大きな墓石が埃を立てて奥へと滑る。

 地面から金属の門が出現し、扉からは怪しい光が漏れ出ている。


「これがゲート・オブ・ハデスだ、行き先はエルム郊外の墓地」

「こ、これをくぐるのか…?」

 不気味がるルークにレイチェルが後を押す。

「血で盟約書にサインしたでしょ、冥府の門はあなたを記憶した」

「サインしてないとどうなる?」

「身体が魔力に耐え切れずバラバラになる」

 冷淡な返答に腕や足が吹き飛ぶ光景が目に浮かぶ。

「…オレちゃんとサインしたかな?」

「時間が勿体無い、早く行く!」

 ルークは背中を勢いよく押され、不気味な光の渦へと飲み込まれていった…




 エルム郊外・墓地


 新月の夜、僅かな星の光が空を照らし不気味な雰囲気を醸し出してた。

 そんな中二人の若い男女が墓地を歩いていた。

「ねえあなた……もう帰りましょうよ……」

「なんだよ、ビビってんのか?お化けなんているわけないって!」

 男には墓石がただの石片に見えており、幽霊など信じていない様子。

「この石なんて古過ぎてひどいもんだ。名前すらない、見てみろ」

 男が振り向くと女の姿は消え、気付けば周りの墓石が消えていた。

「な、なんだこれ……おい、どこいった!!」

 目を凝らすと墓石は消えたのではなく、暗さが増して視界が狭まっている事に気付く。

 何も見えず、気のせいか僅かに息苦しい。

 男は辺りを歩き回ると壁にぶつかり、床へと尻を着く。

「これは…門?」

 突如どこからか声が響く。

『墓に入れてやろうか』

 声が内臓まで響き、背筋が凍り、体が震え始める。

「う、うわーーー!!!」

 男は震える足から力を必死に振り絞り、その場から逃げ出した。



 黒い霧が晴れると三人が姿を現す。

 レイチェルが気絶した女性に近寄る。

「大丈夫ですか、もしもし」

「ん……あれ……あなた達は?」

「この墓の管理者です、連れの方なら先に帰りましたよ」

 女性は瞬きを繰り返すと我に帰り、墓地の外へと走り出した。

「あれは長続きしないだろうね」

 レイチェルは深い溜息を付いた。


 ドレッドはスカーフを降ろすと深呼吸をする。

「結構強い霧だっただろ……俺もちょっと気持ち悪いぞ」

「情けない男」

「お前も口元隠してただろうが…!」


「ルーク……何してるの?」

 ルークは自分の体を見下ろし、異変がないか見ている。

「ちゃんと……手足は付いてるな……」

 体の安全を確認すると胸を撫で下ろす。

「いやそれよりお前、霧吸って平気なのか」

「霧?別になんとも……首も大丈夫だな……」

 聞かれた事などそっちのけで、首元をさすったり落ち着かない様子。

 あっけらかんとした、ルークの態度にドレッドは驚嘆する。

「こ、こいつ……モーガンよりすごい逸材だな」

「変な男」


 丘の上から煌びやかに照らされた建物とそれを囲む町並みを遠望する。

 初めてエルムの地を訪れたルークでも、あれが領主の館だと一目で分かった。

「恐ろしいほど分かりやすいな」

「昔は静かな所だったっておばあさまに聞いたけど」

「今じゃ眠らない町って言われてるぜ」


 三人は丘を下りると闇の中へと溶け込んで行った。

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