第5話 魔女の店

 早朝、墓地。

 境界池のテラスに一人の女が儚げに佇んでいた。

 女はどこか遠い目で池を眺め、涙を流す。

 そこへハーディが訪れ、軽く会釈をする。

「ご婦人、朝早くから墓参りですか?」

「あなたは?」

「墓守の者です…ここは、死を慈しむには少々危ない」

「とても、美しい池なのに」

 女は残念そうな声で返事をする。

 心ここに在らずといった様子でハーディに目もくれない。

「“よくないもの”に招かれてしまいますゆえ」

 嘆きの鐘塔と境界池はこの墓の観光地。

 かつてこの町がまだ白光の国の領土だった時代……

 異端とみなされた聖職者・魔女・医者。

 信仰を邪魔する者達は皆この池に沈められていった。


 恐ろしい由来を聞いた者は竦みあがるが、実際に訪れた者は皆澄んだ水面と映る空の美しさに言葉を忘れる。


「よろしければご案内いたしますが」

 女は涙を指で拭うとテーブルに一枚の“青い”名刺を差し出す。

「それでしたら『冥府の番犬』はどこかしら?」

 ある単語を聞き、ハーディは険しい表情へと変わる。

「依頼主様でしたか、これは失礼」

 ハーディは手帳とペンを取り出すとテーブルの上に置く。

「……墓石に刻むお名前を」

 女は手早く書き終えるとハーディに手渡し、小切手を置いてその場を去っていく。

 ハーディは手帳に目を通す。



 依頼主「アンナ・ハウエル」


 墓石の名前―


 「エフラム・エルムダート」




 時刻は昼を過ぎようとしていた。

 窓から差す太陽の光が瞼にかかると、ルークは低く唸りながら目を覚ました。

「まぶしい…ここは…」

 周囲を見渡すとガラスの器具や天秤、謎めいた機械仕掛けの道具が置かれている。

 ベッドの上で寝かされていたという事は、少なくとも捕まったわけではないようだ。


「オレは負けたのか…」

 ルークは自身が初めて剣士として負けたことに再認識する。

 意識を失う前の出来事を振り返る。

 エフラムが黄色い小瓶を飲んだ後、動きが終えなかった。

「……すさまじい速さだった」

 毛布をどけると上半身が裸になっていることに気付く。

 左肩には包帯が巻かれている。

 さすがにこの格好のまま外に出るには少し寒い。


「服が無いな」

「ふくをおさがしかね!」

 甲高い声が部屋に響く、周囲を見渡すが声の主は見当たらない。

 空耳かと思ったルークはそのまま無視をする。

「ここだよ!ここ!」

 ベッドの下を覗くと小さい黒い犬がこちらを向いて喋っている。

 つぶらな瞳にルークの姿が映る。

「犬が……喋ってる……!」

「ベッドにのせて!おまえのせいでここでねてたんだ!」

「お、おう」

 こんな犬が世の中にいるとは…とルークは犬を抱えながら驚嘆する。

 犬をベッドの上に乗せると、数秒後にまた吼え始める。

「おろして!」

(なにがしたいんだこいつは…)

 今度はベッドから降ろすと犬は嬉しそうに尻尾を振る。


 起きて初めて言葉を交わした相手が犬とは。

「お前、名前は?」

 ルークは面白半分に意思疎通を図る。

「おいらのなまえは、ナティ!バーミリオンにようこそ!」

「バーミリオン?」

 聞いた事のない単語にルークは首を傾げる。

「このみせの、なまえだよ」

「…おまえ、おきゃくさまじゃないのか?」

 ナティは小さい前足で器用にドアを開け、後ろを向いて誘導するそぶりを見せる。

 廊下に出ると、階段を下りていく。


 一階に降りるとそこには沢山の黒と白を基調とした奇抜な服が並べられていた。

 どこかの誰かが着ていたようなドレスもちらほら見える。

「ここ仮装服専門店?」

「レイチェルがおこるよ」

「え、ここレイチェルの店なの?」

 どうやら表の顔は服屋のようだ。

 肝心の店主はどこにいったのか、モーガンを探しに行ったのだろうか。

「それにしてもその…なんていうかな『凄い』センスだ」

「いっておくね」

 皮肉が分かる、賢い犬だ。

「これは褒め言葉。いいな?」

「……」

 ナティは無言でこちらを見続けている。

「本当だって」

 ルークは必死にナティの頭を撫でた。


 さすがに商品を借りる訳にもいかず、ルークは考えあぐねていた。

 するとナティは店の奥へと進み、これまた器用にクローゼットを開ける。

「これなんかどう?おきゃくさま」

「ふるくて『しょうひんじゃない』っていってた」

 つたない口調でナティは中に掛かった黒い外套を勧める。

 外套には銀の装飾や帯剣用の吊革を差す穴が付いており、明らかに戦闘服である。

 店内においてある商品用の服と比べると妙に浮いている。

「それにしては埃一つないぞ」

「まほうのいとで、できてるんじゃないかな」

 ルークは外套の内側を探ると金属のタグを見つける。

 大抵こういうところには持ち主の名前が刻まれている。

 ルークが目にしたのはM・Wの二文字だった。

「…隠し事の多いジジイだ」

「おまえ、これとおなじにおいがするな」

 ナティはくんくんとルークを嗅いでくるくるとその場を回る。


「じゃあ、これ借りていくぞ。裏口はこっちか?戸締り頼むぞ」

 ルークは肌着の上に外套を羽織るとドアノブに手を掛ける。

「まって!そっちはフェイクで“びりびり”が―」

 ナティの注意を聞く間もなくルークはドアを開ける。

「わお!」

 口を開けたまま驚くナティ。

 ドアには何の異常も起きていない。


「何か言ったか?」

「……レイチェル、まほうじんかえたのかな?」

「これなら、必ず返すから安心してくれ」

 そう言うとルークはドアを閉めた。

 不思議に思ったナティは追いかけようとドアに近づくが、

 鼻先にバチッと音を立てて電流が流れた。

「ぴっ!」

 やはり防犯の魔法が機能している事を確認したナティは首を傾げる。

「へんなひと」




 モーガンの家には複数の兵士達が現場を調べていた。

 その様子を遠くの木陰からレイチェルが覗く。

(エルム絡みの事件なのに珍しく気合が入ってる…)

 レイチェルは魔法の掛かった眼鏡を掛ける。

 すると視界が拡大され、遠くの景色も鮮明に見る事ができる。

(うわ、何あれすっごい浮いてる……)

 眼鏡に映るのは盾を背負った純白の騎士。



「感謝致します、僕のような部外者を調査に入れていただいて…」

 眩いくらい真っ白な鎧を着た青年は兵士達に頭を下げる。

「とんでもない!アルフレッドさん、頭を上げてください」

 老兵は両手を仰ぎ青年をなだめる。

「むしろ、あなたのおかげでエルム絡みの事件も捜査ができるんです」

「かの光の『聖騎士』はすごいな。どっかの成金騎士とはえらい違いだ」

 兵士達は笑い声を上げてアルフレッドを歓迎した。

「恐縮です」

 アルフレッドは軽く謙遜すると話を切り替えた。


「モーガンさん、やっぱり見付かりませんね…」

「あの爺さんどこいっちまったんだろうなあ」

「報告にあった、筋骨隆々の男もみつからねえっす」


 家の前は黒い霧はすでになく、鎧の残骸や何かが地面を蹴った大きな足跡。

 そして傍にはレイチェルの放った氷の槍が刺さった後も見える。


 皆証拠探しに手をこまねいていた中、地面を調べていた少女がアルフレッドに手を振る。

「どうした?」

「フレッド、やっぱり証拠が見付からないのよ」

「…何かがここに刺さってたと思うの」


 遠くから見ていたレイチェルは独り言を呟く。

「足跡を残さないのは暗殺者の基本だからね」

 レイチェルが放った魔法の槍は既に溶け、物的証拠を残していなかった。

 残っているのは地面に開いた穴だけだ。


 見つかったのはエルム領の家紋が刻まれた鎧片、それに小瓶と…

「…この折れた剣がどうかしたのかエステル?」

「この剣、変よ…無理に魔力を流した跡が」

 エステルは剣の中心部分を指差す。

 規則的な縦線のヒビ割れが何本も入っている。

「剣に魔力を…?どうして魔法を素直に使わないんだろう?」

「知らないわよ!この剣の持ち主に言ってあげなさいよ」


 再びレイチェルが心の中で独り言を呟く。

(それは私も言いたい)


 アルフレッドは剣を指で叩いたり、エステルと二言三言交わしていた。

 しばらくすると兵士達に別れの挨拶をし、その場を去っていった。



 レイチェルは隙を見て木陰から小瓶に向かって手を突き出し、魔法で引き寄せる。

「眩しい騎士サマと頭の悪い聖職者、か」

 小瓶を空に透かして見ると黄色い液体が僅かに残っている。

「…実物は初めて見たかも」

 小瓶にコルクで蓋をするとレイチェルは懐にしまう。

「あの様子じゃ家に入れないし…おまけにモーガンは行方不明だし」


 一旦帰ろうと後ろを振り向くと、視界に黒い人影の姿が入る。

「……誰!」

「やっぱり、爺さんいないのか」

 人影に陽の光が差し、見知った顔が現れる。

「文句を言うのは当分先になりそうだな」

「ルーク…!どうやって外に出たの?」


「どうって、裏口から」

 レイチェルの不思議そうな反応に対し平然と答える。

 言葉の意味を汲み取り、店の心配かと思ったルークは一言付け足す。

「戸締りならナティに任せてあるよ」

「そうじゃなくて、あの扉には―」


「隊長!証拠品が一つ見当たりません!」

 兵士の一人が小瓶が無くなっている事に気がつく。

「馬鹿野郎!辺りを探せ!」

 周囲がざわつき始める…

「……いこう」

「……ああ」

 ルーク達は目配せをすると一目散にその場から姿を消した。




 バーミリオンに戻ってきた二人、店に入るとナティが素早く迎えに来る。

「おかえり!」

「よしよし!お留守番よくできました!」

 レイチェルは指で弧を描くとカップやソーサーが宙を行き来し、あっというまに茶会の場が出来上がる。

「とりあえず一杯どう?」

「お言葉に甘えて」


 モーガンの家の様子を一部始終語り終えると、レイチェルは一つ指摘をする。

「昨日の敗因はあの魔剣と薬のせいだね…剣は魔断を使えれば折れていなかったと思う」

「あなた骨と戦ったとき、魔断に何て唱えたの?」

「エクステンド」

 しばらくの沈黙が流れる。

 何かまずい事を言ったのか、レイチェルは深い溜息を付く。

「…それ延長魔法」

「モーガンを見よう見まねで…試行錯誤したつもりだけど」


 ルークが『魔断』の一連の流れを伝えると

 レイチェルは指を鳴らし、小さな黒板が家具の隙間から宙を浮いて現れる。

 チョークを持つと見たこともない記号を書きなぐりながら早口に語る。

「物体に魔力を掛けるなら、エンチャント。これなら時間を必要としない」

「エンチャント?なんだそ――」

「剣気状態の時間が短すぎる。エグジスタンスで顕現行使を命令して…」

「エグ…エグジス?」

 相手の理解を得ないまま共通言語の単語を立て続けにだしていくレイチェル。

「そして放出に適切なエグゾーストをしないから、外壁の修理費が必要になったの!!」

 この説教に一番言いたかったのは最後の部分だけじゃないだろうか。

「そもそも骨動かして横槍入れたのが悪いだろ!」

 険悪な空気が流れた後、ぽつりとレイチェルが弱音を吐く。

「…ないの」

「よく聞こえなかった」


「お金の余裕がないの。今月も……服があんまり……売れなくて」

 無理もない、服にさほど興味がないルークでもここの服はすごいと分かる。

 もちろん、斜め上の方向に。

「曲芸団にでも勧めてみたらどう?」

「ナティ、噛み付いておやり」

「がるるる!」

 いつのまにか足元にいたナティはルークの左手に軽く噛み付いた。

「痛いって、こら、やめろ!」

 その後、『魔女』による魔法の講義はしばらく続いた。



 ルークは服のことをレイチェルに聞かれなかった為、不思議に思い尋ねる。

「そういえば、この外套返すよ。オレの服はどこ?」

「燃やした」

「は?もう一度言ってくれ」

 今度のは聞こえなかったから、聞き返したのではなかった。

 信じられなかったからだ。

「魔剣に呪いがあったら困るし、幸い体に大事はないようだけど」

 レイチェルは例として魔剣にどんな効果があるか分からない等、自身や他人に影響を及ぼす可能性は全て根から断つのは常識だと説明を加えた。

「私は体に異変があっても治せないからね、治癒魔法はどっかのお白い国の専売特許」

 もし左肩が重症だったら腕ごと切り落としたのだろうか…

 なんとなく、この魔女の価値観ならしてしまう気がした。

「バルムンクは一介の騎士が持てる物じゃないし…色々疑問点が残ってる」

 どうして最初にそれを言わないのか。

 呪いの様子見でもしていたのか、とルークの思考が巡る。

 魔女の感覚はやはりぶっ飛んでいる。

「勝手に家を飛び出したあなたが悪い。それにそのコートどこから持ってきたの?」

「おれがかした!」

 ナティが胸を張るように座りアピールする。

 本人は『困った人を助けて偉い事をした』と自慢げに思っているようだ。

「こんなの家にあったんだ?おばあさまのかな…」

 レイチェルが首を傾げるとナティも真似する。

「私はこっちの服を貸してあげようかと思ったんだけど」

 そう言って手に持ってきたのは黒いカッターシャツに所々フリルが付いた踊り子のような衣装。

 ルークは恐る恐る一言で評価した。

「時代が早すぎるんじゃないか?」

「周りが遅すぎるのよ」

 再びナティがルークの左手を噛んだ。




 時刻は夜、酒場。

 昨日ハーディに言われた通り、酒場の中に訪れるルークとレイチェル。

 相変わらず店主はカウンターで暇そうに新聞を読んでいた。

 一面には『巨人、現る!』と書かれている、昨日の事だろうか。

 目線をこちらに配ると少し微笑み、声を掛けてきた。

「いらっしゃい『番犬』なら中で待ってるよ、入りな」

 店主はカウンターを開けると『従業員専用』の扉を指差した。

 扉を開けるとそこには地下室への階段が続いている。

「『番犬』って誰の事だ?」

「ハーディの事、由来はそのうち分かる」

 階段を下り今度は重そうな鉄の扉を開くと、一階とさして変わらない広い客間に出る。

「この店は従業員まで持て成すのか?」

 ただ少し違うのは花が置かれていたりテーブル、椅子に渡って気品が高そうな物が並んでいる。

「バカ正直に扉に『お得意様用』って書く必要もないだろ?」

 横を見るとドレッドが腕を組んで壁に寄り掛かっていた。

「ドレッド、ここはなんなんだ」

「盗賊“まがい”のたまり場」

 ドレッドの嫌味が聞こえたのか、紳士服の男がこちらへ向かってくる。

「国家情報局『ブルワーク』といってくれたまえ」

「…あなたがルークさんですね?私の名前はブルース」

 ルークは一枚の“青い”名刺を渡され、握手に応じる。

 ハーディと同じテーブルに着くと彼は開口一番こういった。

「仕事の時間だ」

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