04_たとえ演説が成し得ずとも

 少し前まで誰一人助けてくれない空の上で慌てていたガステイル、今度は久々に体に鞭打って走っている。いや、訂正しよう助っ人は現れた。次は彼が“何とかする”番だ。


「はぁ、ふぅ、」


 金属を叩く筋肉はともかく、体力は昔と比べて明らかに落ちている。だが後悔も後回しにひたすらに駆けてやっとラピス広場が見えてきた。ラピス広場はほぼ円形の広い空間に石畳が敷いてあり、金属製のモニュメントが中心ではなく端に設置してある。今はこれが実に都合が良い。この広場は時々催し物に使われるものの、普段は物好きな女が歌っていたり主婦たちが雑談に興じる程度。今ざっと見渡しても人影は十程しかない。すると気掛かりなのは気球を追ってやってくる人間たちの方だ。


(とは言え説明して説得……か)


 ガステイルの表情が少々険しくなる。


『これからいつ落ちてもおかしくない気球がやってくるから、すぐにこの広場から離れてくれ』


 そう皆に伝えればいいのだが、気難しそうな初老の男が、しかも少々煙や油に汚れて汗もかいて詰め寄ってきたら? 当然警戒され怪しまれるのではないかと考えてしまう。しかしそうこうしているうちに野次馬たちもやってこよう、それなら実際に気球が見えるまで待ってから……


(ん? あれは……)


 金属製の車輪が軋み転がる音。目を向けると知った顔があった。ジバル・ラスターノ……金にものを言わせて珍しいものを揃えては皆に披露することで評判の若い男だ。連れの大男二人と共に何かを台車に乗せて運んで来たようだ。その様子を少年二人と老婆が訝し気に見ている。


「まさか、何を考えて……」


 ガステイルは真っ先にジバルをどうにかする必要があると判断した。あろうことかジバルたちが運んできた機械は小型蒸気機関を積んだ“大砲”の形をしていた。



「……ジバル!」


「お、ガステイル……さんか」


 切り揃えた前髪の下で切れ長の目がまずガステイルを睨む。それから疑問符を浮かべる。


「……あれ? なんでアンタがここにいるんだ」


「私の説明は後だ、お前は何をしようとしている」


「そりゃ、珍しい気球が制御不能になってこの辺りに向かって飛んできてるって聞きつけてさ。僕の情報網で。変なとこに落ちる前にこいつで穴を開けて降ろしてやろうと思ったんだ。でも気球に乗ってるのはガステイルさん、アンタだと聞いてたんだけど……」


「馬鹿なことを言ってないで、今すぐ他の人たちを避難させたいから手伝ってくれ! 乗っているのは私じゃないが、気球がここに来るのは間違いないんだ!」


「おっさん、うるせえぞ」


 スキンヘッドの大男がガステイルとジバルの間に割って入った。今にもガステイルの胸ぐらを掴みそうな威圧感だ。


「いいさ下がってくれガジー。ミゼキも。よく分からないけどやっぱり気球が来るんならこの広場で撃ち落とせばいいだろう」


「撃ち落とさなくても気球は安全に降りられる!」


「その保証はどこにある。言っちゃ悪いがアンタの気球なんだろう? 僕のこいつの方がよほど信頼できるね」


 確かに自分もそう言いかけた、私の下手な気球だ、だがコルが……。ガステイルの焦りが募る。厄介なことに今ジバルの頭にあるのは彼自慢の大砲を発射したい、披露したいという気持ちだろう。その結果気球が広場に降りるのでも落ちるのでも変わらない、と。相手がジバル一人なら力ずくで止めただろうが、彼に、ジバル様に反対しない取り巻きの男たちがいる。


「……ーぃ」


 広場の反対側がざわつき始めた。


「よし、あいつらもそろそろ来るぜ」


「このっ……」


 ガステイルの剣幕に、今度は一度制された長髪の男が無言で距離を詰める。何も喧嘩をしようというのではないのに、これでは話すら聞いてもらえそうにない。


「こうなったら他の皆に片っ端から……」


 意を決して視線を巡らせるガステイルの焦りは更に膨らみ始めた。向こうの入り口辺りに集まり始めた数人の若い集団、どうも嫌な予感がする。たまらず駆けだしたガステイルにジバルたちが滑稽なものを見るような視線を向けた。



「……らしいぜ、早く呼んでこい」


 走り寄ったガステイルは自分の不安が的中したことを知る。“面白いものが見られそうだから人を集めろ”と若者たちは言っているのだ。


「あれじゃないか?」


「ねえ、ほら見て!」


 そしてついに遠くの空に気球らしき影が見えた。ガステイルの思考が曇る。一体誰がこの萎びた男の話を聞く? どうすればこの場を仕切れる? 威厳のある大声など出ない、枯れた声がせいぜいだ、聴衆を引き寄せる言葉など扱ったことがない、あるわけがない。このままでは皆一歩でも近くで気球を見上げようとする。密集した高揚がピークになって、やがてジバルの大砲の引き金を叩く……。


「……テイルさん……、ガステイルさん!」


 遠のいていく喧騒の中で誰かに呼ばれている。


「おぉ……」


 顔を上げると、ペンを投げてコルの指示を届けてくれた少女の姿があった。彼女もここまで全力で走ってきたのか肩で息をしている。


「どうしました、早く皆さんを……、安全に……」


 少女はガステイルの表情、周囲の様子を瞬時に探る。ガステイルは状況をかいつまんで伝えた。自分で並べたはずの言葉は言い訳にさえ聞こえる。


「ジバルさんの、大砲は、……あれですね、ごめんなさい……呼吸が」


 深呼吸をする少女。


「ガステイルさん、大砲の……機械の事は分かります?」


「分かるとも……昔の普及機の改造品だ。あいつが扱えるとは思えんが、今それは……」


「ジバルさんよりも詳しい……ですね?」


「ああ間違いない。だがお嬢さん、」


「ナギサです、名乗っていませんでした。……私に考えがあります」


 言いながらナギサは何かを取り出した。小型の拡声器……と言っても円錐の先端を切ったような簡易なもので、町中で声高らかに喋る思想家たちが使うような道具だ。


「知り合いから借りてきました。上手く行くかどうか分かりませんが、私も精一杯やってみます。……その、私を……」


 肩車できるか、とナギサはガステイルに聞いた。



* * * *



「皆さん、聞いてください!」


 響いた声に何人かが振り向く。気難しそうな初老の男が少女を肩車して、少女は少女で拡声器を持って真剣な眼差しだ。振り向いた視線を一瞬固定するには十分に“妙な”様相。


「これから気球が飛んできます!」


「知ってるよ、みんな待ってるんだ」


 くせ毛の少年が答える。


「私たちは今気球に乗っている操縦士から指示を受けてここに来ています! 皆さんにはこの広場から避難して欲しくて、少し離れるだけでいいんです!」


「それはできねえよ、気球って珍しいだろ」


「ジバルさんたちが何かやってくれるらしいし」


 若い男が断り、隣の腰に手を回された若い女が同調する。


「ジバルさんの大砲はダメです。気球はちゃんと安全に降りてこれます。だから……」


 ナギサも、ナギサの下で口をつぐんでいたガステイルも、彼らの期待が悪い方向に膨らんでいることを痛感した。数回言葉を投げ合うが、選ぶ言葉を間違えれば途端に“二対多”の構図になりかねない。まだ広場の反対側にできた人溜まりがいくつもあるのに。


「どうした?」


 自分の範疇にない人だかりを見つけたジバルがやってきた。ガステイルを認識するなり今度は少女を持ち上げて何を企んでいるのだと途端に怪訝な顔。


「ジバルさんですね? ジバルさん、あなたの大砲の旧型番を教えてください!」


「……は?」


 聞き返すジバル。ガステイルも驚いて両肩の上を覗こうとした。


「砲塔の口径はいくつですか?」


 拡声器の大声でナギサは一体何を言っている?


「答えられないでしょうか。では代わりにガステイルさん、旧型番と口径を教えて下さい」


「あ、あぁ。旧型番はZB-5型、口径は14センチ。昔の反逆者たちの主力だ。蒸気圧縮装置が威力を上げる仕組みだが……」


「この通り、ガステイルさんは名のある技師の方です!」


 それは実に効果的なやり方だった。当然誰もが“信用する”。


「ガステイルさん、気球を撃ち落とすことの危険性を、私たちがとるべき行動を教えてください!」


「おい、何を勝手に……!」


「待てよジバル」


 一部始終を聞いていた男が一人ジバルを制する。スキンヘッドと長髪のジバルの取り巻きが駆け付けたが、技師と思しき工具入れを付けた若い男も一人やってきた。


「ちっ……」


「まず、気球を大砲で撃ち落とすのは非常に危険だ。それは分かってくれ」


 ガステイルは焦りを押し込んでゆっくり言葉を続ける。


「そもそもあれはしっかり固定しないと照準がぶれる。大きな反動もある。火薬は何を使おうとしたのか知らないが、気球に積んである機械は……」


 少しだけ安堵したナギサはガステイルの肩を降りて彼に拡声器を託した。更に彼の言葉を、集まった人々の言葉を聴き分けてほんの少しずつ付け足していく。


 ガステイルの主張を理解した者たちが一人また一人と別の人溜まりに向かっていく。真摯で真剣な態度で(少々強引でもあったが)言葉を選べば聴いてくれる人は必ずいる。いつもなら紙に載せるそれを声にすることに慣れていないだけで、言葉はナギサの武器に成り得る。ガステイルもナギサも経験したことのない緊張と高揚の波を懸命に掻き分けていった。

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