タレコミ

 「伊刈さんよ、灯台の喫茶店にいんだけどよ、今から来れねえかな」携帯にかけてきたのは東洋エナジア元社長の水沢だった。

 「ヴィスタマーレですか」

 「へえそんなサッカーチームみてえな名前だったのか。俺は灯台の喫茶店だとばっかし思ってたよ。来れるのかい」

 「どんな用件ですか」

 「まあ来ればわかるわ」

 「いいですよ、行きます」

 「一人でかい」

 「パトロール中ですからチームと一緒です」

 「そうかい、まあいいか」

 Xトレールは十五分で行司岬の駐車場に着いた。水沢はまぶしい日の光を浴びながら一人でオープンテラスに座っていた。

 「ああ悪いねえ」水沢のほうから声をかけてきた。

 「中に入りませんか」

 「中は禁煙なんだとよ。ここでかまわないか」

 「いいですよ」伊刈は水沢の隣に座った。他のメンバーは他の客が二人に近付かないように隣のテーブルについた。早春になっていくらかドライブ客が増えたのか店内にはそこそこ客が入っていた。テラスのほうが密談には好都合だった。

 「実はよ、小磯を動かすと聞いたんだよ。それを教てやっかと思ってよ」

 「こないだの埴輪町の情報は正確でしたね」

 「だろう。今度も無線で聞いたんだよ」

 「小磯とは?」

 「工業団地の裏にでっかい穴があっただろう」

 「ああ古い現場ですね。僕がここに来る前の日まで活動してたみたいですね」

 「ほうなるほどねえ、機転の利くやつもいるんだねえ」

 「そこがまた動くんですか」

 「西の連中がよ、またぞろ犬咬に戻りてえみてえで、あそこを開ける準備をしてんだとよ。まだだいぶ残ってんだろう」

 「どうしてわざわざ教えてくれるんですか」

 「だって俺は稜友会じゃねえからよう、関係ねえじゃん」稜友会は関西を拠点にする広域暴力団組織だった。

 「対抗組織だから教えてくれるってことですか」

 「そうじゃねえけどよ。犬咬をきれいにしてくれんのは伊刈さんだけだろう。俺はもうゴミ屋はうんざりだわ」水沢はしらじらしいことを言った。

 「わかりました、なんとかしますよ」

 「ほんとかい。お手並み拝見でいいのかい」

 「信用しますよ」

 「なるほどなあ。やっぱあんたは偉いねえ。じゃあ頼むわ」水沢は話が一段落すると吸いかけのタバコをもみ消した。

 「一つ聞きたいことあるんですけど」

 「なんですか」水沢は浮かしかけた腰を下ろした。

 「なんで僕の携帯知ってるんですか」

 「ああそのことか」

 「どうしてですか」

 「なんでも知ってんですよ。チームゼロ始めたとき、ここのサテンで張り込んで漁港見張ってたろう。それもみんなわかってますよ。あと夜中にファミレスで飯食ってただろう」

 「そのころ水沢さんは収監中だったじゃないですか」

 「俺はそうだけどよ、ここらにはダチがうじゃうじゃいっからねえ」

 「携帯番号はどうして知ったんですか」

 「買ったんですよ」

 「えっ」

 「驚くことはねえでしょう。伊刈さんの携帯知ってるやつ、いくらでも居るでしょう。そっから買うんですよ。たとえばいちばん手っ取りばやいのは県や市の職員とかね。もちろん俺が買うんじゃねえよ。そういうの集めてる番号屋みてえのがいるんですよ。なんだって集めてるやつがいるし集めればなんだって売れるんだ。命だって金さえありゃあ売ったり買ったりできるでんすよ」

 「番号売るやつなんて県庁にいるかな」

 「伊刈さん、女を使うんですよ。役所の女って案外尻が軽いからねえ。伊刈さんもだいぶお世話になってんでしょう」

 「それはないよ」さすがの伊刈も語気を強めた。「自慢じゃないけど職員とは遊んだことがないんだよねよ」

 「なんでっすか」

 「責任取れないからね」

 「みんな知ってるよ、伊刈さんの女のこと。仕事も手際がいいけどあっちのほうも手が早いみたいじゃねえのよ」

 テラスの前に車がついた。ピンクのホンダ・フィットだった。運転席に池沼麗子のすました横顔が見えた。

 「ムショに入ってる間に免許がなくなっちまってね。今はこれなんだわ。ちょいと話し過ぎたみてえだわな」水沢はテラスから飛び降りて、およそ風体と似合わないピンクのドアを自分で開けた。

 「どうですか班長」長嶋が伊刈のテーブルに移ってきて水沢が積み上げた吸いがらの山にタンブラーの水をかけた。くすぶっていた脂から立ち上るえぐい臭いが鼻をついた。

 「小磯工業団地の裏の捨て場を開けるってタレコミだったよ」

 「隣からもよおく聞こえました。あいつ密談ってことできないっすねえ。やっぱバカですねえ」長嶋が呆れ顔で言った。

 「誰の現場なんだ」

 「白州が帰ってきたってことっすかね。だけどなんでそんなことわざわざ言いに来たんすかね」

 「こっちの出方を試してんじゃないかな。ゴミから足を洗ったなんてのはたぶん嘘だしな。ほんとに関心ないならダンプ無線なんか聞かないだろうし」

 「違いないすね」

 「小磯の現場は見たことないけどどんなとこ」

 「でっかいすよ。白州ってのは地元のチンピラなんですがね、今は行方をくらませてますね」

 「稜友会が買ったみたいな口ぶりだったよ」

 「なるほど」長嶋は考え込むように腕組みした。

 「大規模現場の再開はなんとしても阻止したいな。ちょっとでも油断したら流れが元に戻りかねない」

 「そうっすね。しかし、あのバカ野郎すっかりタレコミ屋気取りっすね。何たくらんでんだか。あんまり乗せられないほうがいいっすよ。ああいう連中は信用ならないっす」

 「とにかく現場に行ってみないか」

 「わかりました」長嶋はキーをつかんで立ち上がった。

 「コーヒー代払っとくから車を店の前に回しておいて」

 「すんません、ごちになります」

 伊刈は伝票を二枚持って店内のカウンターに向かった。

 小磯工業団地裏の市道を五百メートルほど行くと周囲をぐるりとトタン塀で囲った捨て場が現れた。南京錠と鉄鎖で何重にも封鎖された門扉の正面には農協の共同出荷場があった。工業団地の境界から外側は市街化調整区域になっていた。もっとも都市計画線の外周には家が建てられるので捨て場の北側の高台にはミニ宅造地があって数軒の住宅がすでに建っていた。がん細胞が転移するように住宅地は市街化調整区域を無軌道に侵食していくのである。

 「硫黄臭ですね」遠鐘が伊刈を見た。「硫化水素だと思います」

 「まずいんじゃないか」

 「見てきましょうか」

 「みんなで行こう。ガスの発生源を確認しないと」この程度の硫黄臭に怖気づくメンバーはいなかった。

 古い捨て場にはたいてい塀を破った跡があるものだ。ここの塀には目だって壊れた箇所がなかったかわり古材を利用した安普請のトタン塀なので足がかりはいっぱいあった。遠鐘が最初に塀をよじ登った。いつもながらの身軽さだった。喜多も自分なりの流儀で後に続いた。伊刈と長嶋は喜多が見つけた足がかりを利用した。

 塀の中は想像以上に広大だった。奥の休耕田に向かって二十メートルほどの落差の斜面が続いていた。道路側は塀で囲われ、斜面の周囲は土砂採取の跡なのか赤土が露出した崖になっていた。全体として天然のコロセウム(円形競技場)のような形だった。そこに少なくとも二十万立方メートルの産廃が捨てられていた。道路側の平場はダンプを通行させるために覆土されていた。奥は積上げた廃棄物が崩落し十五メートルのゴミの壁が露出していた。

 「これ見てください。すごいですよ」遠鐘が見つけたのは硫化水素が噴出している十センチほどの地割れで、析出した硫黄で土が黄色に染まっていた。長嶋が割れ目にはまっていたコンクリートガラを蹴飛ばすと、ガラの下面に硫黄の結晶がこびりついていた。

 「すごい、黄鉄鉱みたいだ」地質が専門の遠鐘は興味深そうにガラを拾い上げた。

 「こっちはもっとすごいです」喜多が見つけた噴出孔には硫黄の析出物が蟻塚のように盛り上がっていた。高さは十五センチもあった。風下に立つと息苦しさに咳き込むほどのガス濃度で長時間現場に居続けるのは危険だと思われた。周囲に住んでいる住民への健康被害が心配された。

 「まるで火山だな。これじゃ風向きによっては民家まで臭気が行くだろうな。苦情はないのかな」

 「迷惑な話っすね」長嶋が伊刈に応えた。「俺はこの近くの駐在にいたことあるんすけど、こんなことになってるとはなあ」

 「この下に石膏ボードが大量に埋まってるってことですね。覆土したんで熱がこもってガスが上がってきたんですね」遠鐘が言った。

 「こんな人家の多い場所で不法投棄を何年も続けていたなんて大胆不敵ですね」喜多が言った。

 「まだ県庁が担当だったころ残土条例の許可を出したのがきっかけらしいっすね」長嶋が言った。

 「残土は一台も来ないで県庁が許可した日から産廃が入ったとパトロール記録に書かれてました」遠鐘が言った。

 「偽装残土処分場と気づかずに許可した県庁の不手際ってことですか。こんな状態でなんにも措置しないまま市に引き継ぐなんてひどくないですか」喜多が言った。

 「県庁も止めようとしたけど警戒網を突破して持ち込まれてしまったようですね」遠鐘が冷静に言った。

 「環境は結果ですよ。頑張りましたではだめですよ」喜多がダメ押しを言った。

 「どうしますか」長嶋が伊刈を見た。

 「とにかくここを再開させるわけにはいかない。調査もしたいけど今日中にまず杭打ちをやろうか」

 「水沢を信用するんすね」

 「わざわざ言ってきたんだから何か意図があるんだろう。乗せられてみるよ」

 遠鐘が土木事務所に協力を要請し、その日の午後一番に古電柱四本が捨て場の入口に運ばれてきた。

 早速作業に取りかかったものの予想した以上に杭打ちは難しかった。数万台のダンプが通行した路肩はガラと残土がガチガチに固まっていて素人がツルハシを立ててもびくともしなかった。どうしようかと思いあぐねているとユンボを積んだ回送車が通りかかった。広域農道北側現場を杭打ちで閉鎖したときのハクホーと同じだと全員が思った。犬咬の人間はおもしろいことをする。

 「やってるねえ、手伝ってやろうか」運転席から首を出したのは水沢だった。偶然に通りかかったふりをしていても猿芝居は見え見えだった。わざわざ重機を積んで様子を見に来たのだ。

 「固くって掘れやしねえよ」長嶋が汗をぬぐいながら答えた。

 「だろうねえ」水沢はまだ頼みもしないうちに回送車を降りてツルハシで傷をつけただけの路肩を見た。「こりゃあ百年かけてもムリだわ。ちょっと待ってな」

 「わざわざ助けに来てくれたのか」

 「そうじゃないですよ。偶然偶然」

 「貸しを作ったと思うなよ」長嶋が釘をさした。

 「まあまあ貸し借りなんてけちな話はなしってことで。ほらボランティアってやつですよ。俺だってたまにはいいこともしたいかんね」

 水沢は回送車の荷台に飛び乗りユンボの運転席に座ると、スロープも使わずにアームで器用に車体を支えながら車体を道路に降ろした。コンマ7と通称される土砂採取用のバケットがついた大型のユンボだった。さすがにユンボのパワーは百人力だった。ダンプで踏み固めた程度の地盤を掘り起こすくらいは造作なかった。二か所ある門扉の前に二本ずつ合計四本の古電柱を打ち込む作業は三十分で完了した。

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