第10話 続・狂っている
目が覚めてから何をするわけでもなく、傍から見ればぼーっとしているだけだが、ソファに座って考えないようにすることを考えることに努めていた。どのくらい考えていたかは分からないが、長く静かすぎる空間で一人考えごとをするのは今の自分にはよろしくないという意見が脳裏を掠めた。自分の内ではなく外に目を向けることも重要ということだ。
そう思いたって意思が消えないうちに行動に移した。外出はハードルが高すぎるから手っ取り早い方法としてテレビをつけた。テレビから放たれる音は静寂を破壊し、数多の必要ではない情報を与えてくれる。全神経を研ぎ澄ましてテレビを観れば自分のことを考えずに済むだろう。言葉を頭の中で反復してみたり、画面を見ずに再現画を描けるくらい食い入るように画面を見てみたり、テレビを余すことなく見ることに集中すれば、今考えないようにしていることを忘れられると思った。
その頃は夕方のニュースの時間だったようで、どのチャンネルにしてもニュースだった。今流れているチャンネルでは、過労のため自殺した新入社員のニュースが流れている。大手企業に就職できたにも関わらず、死んでしまったそうだ。
人を死なすような会社は潰れてしまえば良いのにと心の隅で毒づきながら見ていると、この企業名を身近などこかで見た記憶があることに気付いた。どこだっただろうか。そう思いながら自室に行って机の上にある書類に手を伸ばす。それは就活ガイダンスで配られた履歴書の書き方が載っている書類だった。そして、志望動機の書き方についての例文にその企業の名前が載っているのを見つけた。
過労自殺に追い込んだブラックな大手企業に合格した人の志望動機を例として挙げるとは、考えものだ。企業の実態を把握せずに大手だからという理由で例文を載せたのだろう。
就活ガイダンスの講師に、キャリアセンターの人たちに、不審を抱いた。
キャリアセンターとは大学にある就職支援をしてくれるところだ。主に就活ガイダンスの講師の手配や履歴書の添削などをしてくれていた。しかし、そう頼りになる人たちではなかった。やることは機械的なことばかりで、どちらかというと不安解消といった人間的なサポートをして欲しかった自分としては、がっかりする結果だった。
やはり学生を数字として見ているのだろう。就職率100%という数字を目指し、学生をとにかくどこかへ(ブラックであろうが)就職させようとしているのだ。
結局、就職できても勤め先がブラック企業で過労死するならば、就活などする意味があるのだろうか。鬱になってまで、する必要があるのだろうか。就活などしたところで……。
自分では気づかないように意識に上らないようにしていたが、無意識下には死が見え隠れしていた。
悲哀なニュースが終わると地域のニュースらしいものが始まった。テレビの中で子犬が元気に駆け回っている。ふわふわで可愛い子犬を見ると少し癒されたような気がした。しかし、これっぽっちの癒しでは焼け石に水だった。
どうすればいい? もっとふわふわした可愛い子犬を見て癒されればいいのか。それは違う。量を増やしたところで子犬から与えられる癒しでは自分は癒しきれないのは分かっている。
ならばどうすればいい?
自分は崖の上に立っていて向こう側の崖に行きたい。ならば行けばいいと皆は言うのだ。だが、どうやって? 橋なんて架かっていないし、迂回できる道も見当たらない。飛べばいいのか。ジャンプして届く距離だとは到底思えないし、飛び立つ羽があるようにも思えない。下を覗き込めば、真っ暗だ。どのくらいの高さかも分からない。きっと落ちれば生きていることが奇跡だろう。向こう側に行きたいが何をどうしたって行けないのだ。
どうすればいいか分からないというのはこんな感じだ。
どうすればいい?
頭を働かせても一向に解決策が出てこない言葉で頭は一杯になる。どうすればいい。
「病院へ行け。行かなくちゃいけない」
自分の善良な心はそう囁いていた。本来ならば囁くよりも叫ぶだろう。しかし善良な心は今や大海の一滴で、叫び声も囁きと化してしまっていた。
自分の心は善良ではないものが大半を占めていた。それは善良ではないが邪悪でもなかった。何で埋め尽くされているかというと不安や不審、それから憂いなどといったことだった。一年の天気で表してみれば一週間だけ晴れで残りの三五八日は雨といった具合だ。
雨降りばかりの自分の考えは、雨粒が空から落ちるような一方通行のマイナス思考。だから、こんな自分が精神科などに行っても良くなるわけがない、としか考えられない。
どうすればいいか分からない自分が、どうすればいいですかと相談したところでどうにもならないのだ。そもそも、医者なんて就活などしたことがないだろう。それどころか鬱にもなったことがないのではないか。そんな人間に就活鬱になったのでどうすればいいかと問い治してほしいと乞うたところで治るはずがないのだ。
そもそも精神科や心療内科に行く気力も体力もなかった。もう何日も外出しておらず、一回の食事と体を清潔にするためのシャワーを浴びるだけに必要な体力しかないように思われた。また短い一日を家の中で過ごすため世界というものが家の中だけになったようで、外出することは光が差す眩しい異世界に飛び込むようなものだった。そんな勇気は今やどこかへいってしまっていた。
善良な心が囁いた意見に、一応、思考を巡らせた挙げ句、病院には行かないことにした。何にしてもはなから行く気はなかったのだ。
思考など巡らせずに、何も考えずに、すぐに病院に行っていれば良かったんじゃないか。もし、そうしていれば、こんな人生の終わり方はなかったんじゃないのか。自殺なんて。
死んでしまったあとに思ってもどうしようもないのに、後悔の気持ちが溢れてくる。しかし、それよりはるかに多くの鬱状態の自分の感情や心情や思考が押し寄せている。
分かっているよ、その選択しかできなかった。だってそれが自分だから。責めることなんてできない。
自分を受け入れるのがこれ程までに苦しいなんて想像していなかった。悪い方向へ進んで行く自分をどうすることもできず、ただその頃の苦しい思いが止めどなく注がれてくる。自分で自分を刺しているような痛みが絶えまなく流れ込んでくる。
無力さと後悔と否が応でも認識してしまう自分が葛藤している。
あぁ、頭が痛い。頭なんてないのに。
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