第9話 狂っている

 眠ろうとベッドに横たわったものの眠気が襲ってくる気配はない。目を閉じて頭を空っぽにすれば自然と眠るだろうと目を閉じたが、考えが溢れてくるばかりだった。

 それにしても、なぜ、就活鬱なんてものになったんだ……。まだ、五社しか面接をしていないのに。

 たかが五社落ちただけでこんな状態になる自分は弱いのか。甘ったれた人間なのか。だって皆はここまで落ち込むようなことはなく就活を普通にこなしているじゃないか。自分のように落ち込んでいるかもしれないが、見事に隠して普通を演じているじゃないか。自分は普通を演じることもできない。もう、普通ではないのか。

 はあ、と溜息が出る。考えるだけ無駄なのだから止めて寝てしまいたい、と改めて目を閉じて寝返りをうった。頭の中の考えもころんと転がる。

 だったら普通に戻るにはどうしたらいいか。簡単なことだ。普通に就活をして就職する。ただそれだけだ。就活をして内定を貰えさえすれば辛苦の就活は終わり、この悩みから解放されるのだ。

 しかし、こうなった原因も解決策も分かっているのにどうすることもできない。

 面接が、就活そのものが、受け入れられない。

 それに就活をしたくても、こんな状態だ。鬱。誰がこんな人間を雇うだろうか。誰も雇いはしない。だから就活は終わらない。就活を再開しようにもできず、就活を終わらせようにも終わる見込みがない。……鬱を隠して面接を受ければいいのか。しかし、あんな理不尽なことをまたするのは御免なんだ。

 今の自分はコップに注がれた水が表面張力でギリギリこぼれていないだけの状態なのだ。これ以上、理不尽が加わればコップの水はこぼれてしまう。そうなれば自分は何をするだろう? 何をしでかすか知れない。少なくとも正常ではいられない。

 そもそも国民の三大義務に勤労の義務があるのに、なぜ働かせてもらえない。働きたいと願っても働かせてもらえないなど理不尽だ。そうだ。そうだ、そもそも人物を重視する面接が可笑しいのだ。

 面接では自分を良く見せようと言葉遣いや姿勢、態度に気を配る。これは当たり前だ。しかし良く見せようとしている時点で、本来の自分ではないだろう。大学やアルバイトをしているとき、ピシッと背筋を伸ばしているだろうか、自然な笑顔を意識して笑顔をつくっているだろうか。否。就活をしている自分は就活ガイダンスで作り上げられた作品にすぎないのだ。言葉遣いや文法を矯正され、少なすぎる人生経験から美談をこしらえ、自然な笑顔をつくる訓練をさせられた、自分でも見違える自分だ。

 いったい自分の自分らしい人間性はどこで発揮されるのだろうか。ある程度のマナーは重要だ。そんなこと分かっている。しかし「人」を判断するには面接というのは堅すぎる。一定間隔に並んだ椅子、一定距離を保った面接官と学生。質問、回答、質問、回答、の繰り返し。「わたくしは」から始まる回答。こんなことでその「人」が分かるのか。テーブルに直角で座って話をしたほうがよっぽど分かるのではないか。

 それに可笑しな点は面接だけではないのだ。志望動機なんて特にあるわけがないものをでっちあげなければいけないのだ。念願の企業がある場合は除くが、一社だけで就活が終わることは稀であろうから大抵の人は志望動機を捏造するだろう。こっちは職に就いて働かなければ生きていけないから、そのために面接を受けようとしているだけなのだ。企業側もそれは承知のはずだろう。承知の上で心に思わなくもないことを書く学生、承知の上で読む企業。どちらも本心を隠したままだ。可笑しい! 

 おまけに鑑識する面接官は人を見る目など持っていない。そうだ、人柄を重視するといったって結局見抜くこともできずに木偶の坊を雇うだけなのだ。……そう、あの女のような。

 一年前、携帯電話を変えたりインターネットの回線を新しくしたりしようと携帯ショップに親と足を運んだ。対応してくれたのは二十代後半くらいの女性だった。今は何でもタブレットという便利な端末でできるらしく、一通り話を聞いた女性はタブレットを必要以上に叩いていた。ゲームでもしているかと思われるくらいだった。

 女性は髪をまとめているが茶髪で化粧も濃い方で、おまけにネイルをしていた。偏見ではあるが自分の経験上、こういう女性は馬鹿な人が多い。会話をした中でもそれが垣間見られた。友達と話しているかのようで態度が幼稚であった。

 わざわざ長く飾った爪はコンコンと音をたてるばかりで、ただ時間が過ぎた。

 見かけだけの飾られた爪が奏でる音に嫌気が差すほど待っていると、ようやく女性が話し始めた。どうやらインターネットの回線についてはよく分からないようだった。(後日、親が別の店舗に行くとスムーズに対応してくれたらしい。)便利な機械が優秀ではなかったのか(否、便利だから利用しているはずなのでタブレットは優秀なはずだ)、女性がそれを使いこなす能力を持っていなかったのか(こちらが妥当だろう)、何にしても使えない。

 対応してくれた女性は頭の出来が悪いことが証明され、自分の眼力の精度は高まった。

 接客態度はお粗末で仕事もままならない。そんな人物を採用するのが今日の人柄重視の面接なのだ。眼力のない面接官には学生の頑張りなど目には入らないのだ。努力は無駄だ。

 人事を尽くして天命を待つという言葉がある。自分はそれを心に留めて就活に挑んでいた。しかし面接は例外だった。いくら学生が人事を尽くしたとしても与えられる結果は天の神の意思ではない。自分と同じ人間が決めたことなのだ。会社に雇われた人、あるいは御偉い人が決めているのだ。それも完全なる客観的ではなく、主観的に。個人的感情が入り乱れた判断を下すのだ。こんなにも理不尽なことがあるだろうか! 

 就活について考えれば考えるほど非常に憤慨した。しかし憤慨しても漫画のように頭から煙のようなものは出てこない。頭の中では考えが脳内言語で高速計算処理の繰り返しをしてオーバーヒートしそうな勢いだ。しかしその計算も虚しく出てくるのは重く長い溜息ばかりだった。はあ。

 就活は始めたばかりの三月には明るい未来をもたらしてくれるはずの活動だった。しかし今では憤慨の根源となっている。いったい就活とは何なんだろう。面接とは何なんだろう。

 自分らしくない自分と本音じゃない美化された回答。眼力のない面接官による主観で「人」を判断する面接。そして下される判決は合格か否か。可笑しいだろう。狂っている。

 このことを可笑しいとも狂っているとも思わない人は社会で上手く生きているに違いない。今日の就活は狂っている。そんな就活を経て社会に出ていくのだから社会人は狂っている。そしてその人々によって回っているこの社会は狂っている。狂っている社会が普通になっている人は狂っていることに気付くことはない。

 こんなことを思う自分は可笑しいのだろうか。社会が狂っていると思う自分が狂っているのだろうか。もう、どちらが裏か表か分からない。

 こんなに、あっという間に逆転するものだろうか。これまで生きていたのは表だったが今は裏にいる。しかし裏に来てみると表が裏なのではないかと思える。こちらこそが真の表で、あちらは偽りの表で本来は裏なのだ。裏にいるにも関わらず、表だと最初から洗脳されていただけではないかと思えてならない。こちらにいると、この社会は狂っているように見えて仕方ない。

 分からない人には絶対に分からないことなのだ。登山をして頂上から見渡す景色が、空気が、感動が、感情が、山に登った人にしか分からないように、実際に足を踏み入れなければこちらのことは理解できないのだ。さらに、それは個人で異なっているものだから真に理解することは不可能なのだ。

 問題なのは分からないということが分からない人がいることだ。何でも分かった気になる人は必ずいる。分からないということを分からなければ、分かるはずがないことなのに。

 分かるには分からないといけない。分からないのに分かる、あれ、分かるからわからない、あれれ、わかる、分からない、わか、ああわけが分からない……。

 考えに考え、考えてさらに考え、計算処理能力が追いつかなくなった自分の頭はオーバーヒートしたため思考を停止し、ようやく眠りについた。


 

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