第8話 袋小路

 とても嫌だ。もう悪い方向にいく気がしてならない。

 一旦は最悪の事態を覚悟した。しかし自分は回避策をとった。さすが自分なだけあると自分を褒めたくなったくらいだった。そして、さっき思い悩んだことは無駄だったのだと思い、ほっとした。それも束の間だった。

 あの会社を探し出して、履歴書を送って、面接の連絡が来たときの、あの素晴らしく希望に満ちた心はどこにいった。あのときは、やっと明るい未来が開けたと思って、身を粉にしてでもあの会社に尽くそう、そして何事も最善最高を尽くして、人生を素晴らしいものにしようと、そう決心していたのに。だから面接も頑張っていた、のに……それが、こんな。

 考えられる最悪の出来事。自殺する。自分は自殺で死んだのだ。もうこんな状態だ。こんな生活をしている。良くなるとは思えない。普通の日々に戻れるとは到底思えない。分かっている、自分のことだから。どう足掻いたってどうしようもないことが分かってしまう。嫌というほど。真っ暗闇の底なし沼にどんどん沈んでいく。

 これから起こる悲惨な出来事、自殺。それが、あの子供の頃の幸せをとても尊いと感じさせたのだ。

 死んでしまうのか、自分は、自分の手で。

 涙を流せる目があれば涙が出ていただろう。自分一人だったら、唯一感情を表すことができる声で大きな叫び声を上げていただろう。案内役に聞こえてしまいそうなくらいの大声で、心の中で泣き叫んでいる。頭の中が誰も聞いたことのない醜い声で溢れている。

 どうして! 


 どうして? ふと考えることはこればかりだ。

 どうして面接で落ちたんだろう。履歴書を見たかぎりでは採用しても良いと思っていたんだろうに。実際に会ってみてイメージと違ったから落とされたのか。そんなにも人間性がダメだったということか。妥協せずに取り組むことができる人はいらないのか。真面目な人間は不必要ですか……。

 面接ではなく履歴書の段階で落とされていれば、どれだけ気持ちが楽だったことか。こんなにも思いつめることはなかったのに。履歴書が通って面接をしてもらえることになって、採用してもらえるかもと思った自分が浅はかだったのか。期待して、僅かな可能性に縋るのは、やはり愚かなことなのか。

 自分は人間として、ダメなのか。必要とされない人間なのか……。

 ―、―。

 救急車の音? 

 遠くから微かに聞こえてくる音で意識が戻った。いつの間にか湯船につかっていた。例の如くお湯はぬるくなっている。

 そうだった。頭や体は洗ったっけ? ああ、洗った。考えながらだったがきちんと洗って湯船につかったんだ。それで、もうこんなに時間が経ったのか。

 湯船から出ようと体を起こすことがしんどかった。長くお湯につかりすぎたせいで体が少し疲れた気がするが、それだけではない。考えごとをしていたせいだ。答えなどないことを考えて頭を働かせすぎたのだ。

 えいっと、重い体を持ち上げて這い出る。

 こんなにも疲れるのだからお風呂では考えないようにしないと。いっそのことシャワーだけにしてみよう。明日からはそうしようと小さく決心する。

 面接に落ちてからというもの、何も手につかない状態になっていた。企業を探そうとインターネットを見ることもなくなっていた。大学にはもう二週間以上行っていない。アルバイトも就活で忙しいと言い訳をして辞めた。家に籠った状態になっている。

 起きて、食事をし、体を洗い、寝る。一日があっという間に過ぎていく。食欲が落ち、一日一食摂るだけで空腹は満たされ、何事もやる気が起きないため一日の大半を寝て過ごすという、規則正しいとはいえない生活になっていた。

 やらなければいけないことはあるだろう。例えばゼミの課題だ。しかし、いいのだ。もうどうでもいい。他にやらなければいけないこと……就活。

 考えることが嫌になるほど考えた。そのことを考えると物凄く頭が痛くなる。だから、なるべく考えないように努めていた。

 はぁあ。腹の底にある悪いものを吐き出すような重い溜息を吐く。

 いったい兄はどうやってこの就活を乗り越えたんだろう。相談してみようか? 否、相談したところで……それに兄とは仲が良いとはいい難い。家を出た兄とは長い間顔を合わせていないし、連絡を取り合う仲でもないし、ましてや就活の相談など気が重い。

 そもそも何を相談するんだ。結局自分のことなのだから自分で考えるしかない。

 はあ。呼吸をするように溜息が出る。

 今日一日だけで何回溜息が出ただろう。今日一日、自分は何をしただろう。溜息しかしていないかもしれない。頭で考えているだけで何もしていない。

 昨日も同じだった、と思いながらベッドに横になり眠ろうとする。眠りに落ちようと意識した。そうすれば逆に意識が働いて考えごとを始めてしまう。

 業界を選ばなければ、就職できるだろう。多分、何かの仕事には就けるはずだ。介護などは人手不足だと聞くし。だが働いても良いと思えない企業で働いた場合、仕事が嫌になる確率が高い。嫌々仕事をしてすぐに辞めるのが落ちだ。そんなことが分かっているのに、働いても良いと思えない企業で働けるわけがない。

 仮に介護職に就けたとする。お年寄りを介護しているうちに、彼らを体が不自由で可哀そうだと思いながら介護することになるだろう。可哀そうなんて思わない人もいるだろうが自分はそう思えてしまう人間なのだ。一ミリだって可哀そうだと思はない自信はない。だから、そんなことは可笑しいんだ。仕事とはやりがいを感じ誇りあるべきもので、決して哀れみながら行うものではないはずだ。そんなことは綺麗ごとか。だが、可哀そうと思われながら介護されるのは、される側からすれば御免なはずだろう。

 本当にそうだろうか。生きていくためなら、金を稼ぐためなら、何だっていいのでは? 哀れみながら仕事をしても、気付かれさえしなければいいのでは? 自分にそう投げかけたところで答える自分はいなかった。

 いったい何回同じことを考えているだろう。全く希望もしない職に就いた場合? そんな場合はない! でも、その可能性は零じゃないから。限りなく零に近いが零じゃないから、考えてしまう。

 でもも、仮も、もしもも、ありえないんだ! 

 望みのない未来を想像することは尽きなかったが、袋小路に追いやった自分に疑問を抱くことも尽きなかった。どうして落ちたのか。どうして就活ができなくなったのか。どうして自分はこんな風になってしまったのか。

 どうして、どうして。子供が親に何でも無邪気に訊ねるようにそればかり繰り返す。ただ無邪気にというわけにはいかず、訊ねるのも自分に対してであったが。どうして、と聞かれた親は的確あるいはそれなり(はぐらかす場合も含む)の回答をしてくれる。しかし自分はどうだ、何の回答も示せない。自分のことなのにどうして分からない。ほらまた、どうして。

 疑問を表すという意味が崩壊するくらいの「どうして」で頭の中が埋まると見渡すかぎり真っ白になった。頭が空っぽになったようだった。そこに、ひらりと次の疑問が落ちてきた。

 こうなったのはいつからだろう。やはり、最後の面接を落ちたショックのせいか。否、その前から兆候はあった気がする。

 あの会社説明会で金融という文字を見た時か? 

 いけなかった。それは自分がいけなかったとしかいいようがない。あのときはそんな人がいるなんてこれっぽっちも思っていなかったんだ。想像の範囲をはるかに超えていた。

 もしかすると第一志望金融と書いた人と仕事をするはめになる。それは許せない。志が全く違う人と働けるようには思えない。嫌々自分が望んでもいない業界の企業で働かされています、という人と一緒に仕事をするなんて無理だ。

 そんなものか。世の中はそういうものなのか。金のためたなら何でもします、そういうものなのか。人間はもはや、心情よりも金を優先させなければいけないのか。人間らしい人間よりも金の亡者の方を優先するのか。だったら、自分は世の中ではやっていけない、そんな人間にはなれそうにない。こっちから願い下げだ。

 それは即ち、就職できないということ。

 頭の中でそう結論が下されると同時に涙がこぼれてきた。交互に同時に次々と溢れて頬をつたった。どのくらい泣いたかは分からない。だが、人一倍ということは確かだろう。

 考え疲れと泣き疲れが合わさって疲れの頂点に達したときに眠りに落ちた。

 目を覚ますと三時前を時計が示していた。何時に寝たのか、はっきりした時刻は覚えていないが睡眠は十二分に取れているだろう。しかし疲れは取れていなかった。

 十分すぎる睡眠も取れない疲れも今では普通となった。そして起きてからは何をするでもなくソファに座って考えごとをするのもいつものことだ。考えることもいつも通りの正解の分からないことだ。そんな普通を過ごしているうちに六時頃になる。その頃になると作り置きされている夕飯を温めて食べる。食欲はないが空腹を満たしておくのだ。

 一人ぼっちの食卓。両親は仕事のため帰宅するのが遅い。昔からそうだった。子供の頃は兄と二人だったが。

 一汁二菜の質素な献立をテーブルに並べて椅子に座る。部屋は静寂としている。窓の外から聞こえてくる音は手の届かない遠い世界から聞こえてくるようだった。

 白米を口に運ぶ。咀嚼して呑み込もうとするうちに、ぼやっと考えごとをしていた。

 なぜ、食べるんだ? 何もしていないのに、何もできないのに……。必要とされていないのに……自分は社会に必要とされていないのに。食べる資格などあるのか。生きる資格があるのか。

 ごくりと呑み込むと、ない食欲がさらになくなった。

 自分は必要ない存在だという思いが込み上げてくる。それと同時にあの言葉を思い出す。

 あの日は会社説明会に行ったあと、ゼミに出席するために大学に行った。説明会からそのまま帰宅しても良かったが、急げばゼミに一時間半ほど出席することができたためだ。

 スーツ姿でやって来た自分を見て、教授は言った。

「別に来なくても良かったのに」

 いつもと変わらない、探せば優しさが見つかるくらいのぶっきらぼうな態度だった。

 就活が忙しいならば無理をして来なくても良い、という意味だということはもちろん分かっていた。気を使って口にした言葉だということは理解している。

 だが、あっそうと言うような、不出来なレポートを机に放るようにして口から放たれた冷ややかな声からなる言葉は、少しだが自分の心を傷付けた。そのときは大した傷でなかったため傷付いたことに気付かなかったのかもしれない。

 それが今になって傷が痛み始めたようだった。

 来なくても良かった。来たところで大勢に影響はない。自分は特段必要とされているわけではない。いてもいなくてもどちらでもいい存在。気を使わせるくらいならいない方が良いのではないだろうか。そう考え始めると自分は必要のない人間だと思えて仕方ない。

 自分で自分の傷を抉っていた。無意識に抉っている。こんなことは日常茶飯事になっていた。

 さっき呑み込んだ白米が喉に詰まっているような気がして、味噌汁で流し込む。ごくりと飲み込むと、喉にしこりでもあるかのような違和感があった。いくら検査したところでそんなものは見つからない。

 頬が一筋濡れている感じがする。気が付くと涙が出ていた。泣いていることを認めない、認めたくない気持ちで食事を続ける。味噌汁のしょっぱさか、涙のしょっぱさか、それはしょっぱい味がした。涙は次々にこぼれ落ちる。そのまましょっぱい味噌汁をすすった。

 ここのところ、ふと考えると涙が込み上げてくる。何とも情けないが泣きたくて涙を流しているわけではないし、止めようにも一度涙を流すとなかなか止まらないのだ。

 自分は鬱状態だった。

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