第7話 低迷

 嫌な予感がした。子供の頃の記憶を見ていたときに、その頃の幸せをとても尊いと感じさせるような出来事がこれから起こる気がした。何か、悲惨なことがこれから起こる。否、既に起こっているのかもしれなかった。

 世界は静止している。

 あまり時間が経っていないにもかかわらず休憩し、何も言わない自分を見て案内役がきょとんとしている。

「何か違和感があるの?」

 少し慌てた様子で聞いてくる。

「違和感、ではないと思うんですけど……」

 案内役が言う違和感とは別物だということはなんとなく分かっていた。その違和感ではないにしても、もやもやした何かが心にある気がした。

「少し考えたくて」

「……いいけど。考えたって、どうすることもできないからね」

 案内役は冷たくならないように気を使った口調で言った。

 確かに、考えたところで過去は変わらない。分かっている。しかし、今の心持で悲惨なことを目の当たりにすれば、ショックを受けるのは目に見えている。

 就活をしている自分を見ていると、それまでのような楽しいゲーム感覚で記憶を見るというわけにはいかなくなっていた。自分の心はどんどん重くなる一方で、それを見ている自分にも同程度の負荷がかかっていた。この状態で悲惨な出来事に遭遇すればパニックに陥るだろう。そうなればどうすればいい? とにかく整理しないといけない。そう考えて、ない頭を働かせた。

 過去の自分は今、違和感があることに気付いている。そんな自分がこのまま何もしないとは考えにくい。しかし、その違和感に気付かないようにしていることも事実だ。その場合、最悪、それが悲惨な結果を招くかもしれなかった。

 悲惨な結果とは……何にしても平常心が肝心だ。どうせ過去の自分を見守ることしかできないのだから、パニックになっても仕方ない。何があっても自分を受け入れなければいけないのだ、記憶を見るということはそういうことなのだから。それに既に死んでいるんだ、何も恐れることはないはずだと腹をくくる。

 だが、やはり自分、きっと何か解決する行動を起こすはずだ。覚悟を決めたが、そんな気持ちもまだ捨てられずにいた。


 このまま就職できなかったら? 大学を卒業してどうすればいい? 大学を卒業することは簡単だ。このまま必修科目の単位を取って、あとは卒業論文を書くだけで、テーマも決まっているし資料も十分だし、大学を卒業することは問題ではないのだ。その先だ。学生でなくなったらどうすればいい? 学生から社会人になれなかったら? 自分は何だ?

 答えのないことを自問自答する。こんなことを数日は続けている気がする。気持ちは段々と沈んでいく一方で、なんの気の迷いか、この前の面接は辞退した。

 そういえば就活ガイダンスで休息をとることも必要だと言っていたかな? 就活は焦らずにやればいいと。疲れたら休むことも重要だとか言っていたはずだ。

 そう、疲れているんだ。そうだ、就活に疲れてしまったから少し休む必要があるんだ。休めばこの思考もポジティブになるだろう。そんなことを思って、一週間ほど就活に疲れた自分を癒すための気分転換をすることにした。

 やはり外出した方が気分転換になるだろうと考え、家を出て駅に向かう。人が行きかう賑やかな地下街や繁華街をぶらついてみる。何を買うわけでもなくただ歩いて、陳列されている商品を見て、目新しい物を探す。何か自分を元気づけてくれるものを探すように。たまに、スーツを着た若者を見かけた。たまに、というよりもよくの方が正しいかもしれない。

 就活から離れようとしているのになぜかスーツを着て就活をしている人が目に入ってくる。自分とはまだ一切関係ないと思えていた去年は全く目に付かなかったのに。

 もはや自分は当事者意識のせいで、群衆の中から的確に就活をしている人を見つけ出す機械と化していた。木の葉を隠すなら森の中というが、就活をしている人は人の中にいても隠すことが困難なようだった。機械の性能が良すぎるためか彼らが人ではないからなのか。どちらにしても目に入るのは迷惑だった。

 就活をしている人を見ては、就活だ、就活しないと、という思いが込み上げてきて誰ともなく急かすのだった。人が多いところには行かないことにした。

 図書館に行く。就活にまつわる本を無意識に探して足が動いた。就活に疲れた自分を癒してくれる本など、そこにはないのに。気分転換だ。そう自分に言い聞かせ場所を変える。ぱっと目に入ったシリーズものの小説を読む。内容は余り頭に入らなかった。

 家でゲームをする。いまいち楽しめない。テレビドラマを観る。やはりドラマ、現実じゃありえないだろうと批判して楽しめない。

 どれもこれも、違う。気分転換をしようとするが、気分転換をしなければいけないという義務感が働いてしまう。就活のことを考えないように努める。そうじゃない。一切、就活を忘れて気分を晴らしたいのに。熱中できることに、ただただ熱中したいんだ。

 気分転換をすることは三日で諦めた。内定が貰えていない現状では、就活を頭から追い出して何かを楽しむことは無理なのだ。安心できなければ気は抜けない。

 気分転換を試みる間にも時間は刻一刻と過ぎていく。それと同時に、面接を受けるために行かなければならない会社説明会の申し込みの締め切り期限は迫る。そのため会社を早めに選ばなくてはいけないし、会社の強み探しなんてこともしなければいけないし、説明会に申し込んだらその会社の志望動機も早く考えなければいけない。そんなことをしていたら、時間はあっという間に過ぎていく。インターネットが普及している今日では、就活は時間との勝負でもあるかもしれない。遅れればチャンスは消えるのだ。

 やはり就活生である以上そう簡単に就活を切り離すわけにはいかないのだ。

 気分転換をしようとしていたときにも気が付けば携帯で新卒就職サイトを見ていた。

 パソコンの画面を眺める。もちろん映し出されているのは新卒就職サイトだ。

 溜息が出る。

 やはり早々に内定を貰って就活を終わらせなければならない。疲弊した心に鞭打って、頑張るしかなかった。


 面接の日はスーツ姿なんて見るのも嫌になるような気温だった。

 それなのにスーツを着ている。暑苦しいと思わせてしまうことに申し訳なさを感じながら、駅から目的のビルまで歩く。

 暑い、なんでスーツなんて着なくちゃならないんだと怒りが沸いたが、面接だから仕方ないと宥める。仮に汗だくで面接を受けることになっても心くらいはクールでありたい。

 背中が汗で湿っているようだったが外見は汗だくにならずに無地到着した。三階に目的の会社が入っているビルは小さなマンションのような外観をしていた。

 この会社は新卒就職サイトで見つけたわけではない。気分転換にならなかったプチ休息を終えて就活を再開した自分は新卒就職サイトに見切りをつけた。今日は情報豊富なインターネットの時代だ。一つ二つのサイトに閉じ籠るのは視野が狭い。そう、サイトに載っていない企業などその何百倍とある。そしてインターネットの数多ある検索結果の中から、働きたいと思える企業を見つけ出した。現在は募集していない可能性もあったが、一か八かホームページの採用ページから応募してみたところ履歴書を郵送してくださいと連絡が来た。もちろん履歴書には、御社で働きたい、一生尽くします、と思いながら、その思いが伝わらないとは思えなくもないような内容を書いて送った。そして面接にまでこぎ着けたのだ。

 やっと運が向いてきたのかもしれない。

 頂いたチャンスを無駄にすることがないように、昨日はみっちりと面接の練習をしておいた。へまをすることは考えにくい。しかし、改めて気を引き締める。

 小さなビルの大きすぎない部屋で、面接官一人、学生一人の面接が行われた。質問内容はいたって普通の内容だった。面接を終え、帰り際に面接官が「この前、もう一人面接したんだよね」と言った。「そうなんですか」と苦笑いなのか愛想笑いなのかも分からない笑顔で返答した。「ありがとうございました」と深々とお辞儀をして帰路についた。

 そのときは何を思って面接官があんなことを言ったのかは分からなかった。しかし、あとになってあなたは採らないという意味だったのではないかと思えてならなかったし、結局そういう意味になった。

 帰り際に面接官が言った言葉を気にしつつ、良い知らせを待った。

 一週間以内に連絡すると言っていたが今日で五日目になっていた。七日のうちの五日というのは遅いといえる。遅いということは落ちたのだろうと思った。だが、やはり確実な証拠がないので心の中の二割ほどは合格という希望を捨てていない。

 午後に郵便で薄っぺらの封筒が届いた。落ちたと覚悟を決めて中の用紙に目を通す。

 落ちた。あんなにも働きたいと思って、履歴書も書き、面接もして、落ちた。

 なぜ……。面接の態度が悪かったとは思えない。質問にだって的確に答えられていたはずだ。面接のお礼のメールも送って、できる限りのことはしたはずだ。これまでになく良い面接になっていたはずなのに。

 ならば、どうして? あの会社は熱意など重要視していなかったから。面接官に自分の思いがそれほど伝わらなかったから。自分よりももう一人の方が優秀だったから。社風に合わなかったから……。次々と正解の分からない問に答えていく。模範解答が見つからない。

 納得がいかない! 

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