第2話 解禁

 ぼんやりとしているが、何かが見える。幸せそうな? 顔だ。

 何だろうと思っている。これは、あれは、何だろう。何か聞こえる。興味津々。

 次第に成長していく。立って、歩いて、喋って、泣いて、笑って、怒って。一歳、二歳、三歳……歳を重ねていく。楽しい記憶が多い。幼いながらに考えて、上手くいかないときは駄々をこねたり、泣いたり、それ以外は基本的に笑っているようだった。

 両親と兄と自分の四人家族だったらしい。幸せな家族だった。


「どう?」

 急に案内役の声がして、見ていた世界が止まった。

 どう、とはよく分からない。はぁと溜息のような返事をする。

「大丈夫そうだ。順調々々」

 案内役は隣で脚を組みながらにやにやしていた。

 これが普通の反応らしい。

 目を閉じて次に目を開けた時、自分は赤ちゃんになって両親の顔を見ていた。両親であると分かるのはもう少し歳を重ねてからだったが。

 目で見て、音を聴いて、手や口で触って、音を出して、学ぼうとも何も考えずに、ひたすら学んでいた。みんな笑顔でこちらを見ていて幸せだった。赤ちゃんの頃は幸せだとは分からなかったが、死んで、改めて見て幸せだったと分かった。その頃は、まだ何も辛いことなど知らなかったし、知る術もなかったのだから。

 記憶をただ見るだけではなく、その時の感情や思考まで分かる。そして、それとは別に今の自分の意識がある。記憶を見るとは、つまり生きていた時を再び経験することだ。生き返ったかのようだったが明らかに一つだけ違った。肉体的な感覚が直接伝わってこなかったのだ。怪我をして血が出ても実際に刺激を受けることはなく、感じるのは痛いと感じたことだった。肉体がないから感じることができないのだ。

 新鮮。自分の記憶なのに新鮮とは可笑しいが、初めて見るように記憶を見ていた。また、やはりどこか懐かしく思えた。見れば見るほど自分という人間を思い出し、自分が出来上がっていく感じがする。


 正月とお盆には祖父母の家に家族で帰省していたようだ。

 帰省という言葉を知るのは小学校の中学年くらいになってからだった。それ以前はいつも顔を合わせない人たちが集まって楽しいなと思うくらいで、帰省という言葉はもやもやしていて思い出せなかった。死んだ自分の知識も成長と共に増えていくようだった。

 お盆には親戚一同で近くの墓地に墓参りに行っていた。幼稚園児や小学生になりたての自分たちは墓地でも走り回っていた。普段と違う場所というのは好奇心を掻き立てるのだ。そんな子供たちに親たちは手を焼いていた。

 おやつの時間になり墓参り前に作っておいたゼリーを食べることになった。各々自分で選んだ型に流し込んだゼリーを皿に移す。上手く出せる子もいればそうでない子もいた。

 型からお皿に出された赤くキラキラ輝くゼリーは魅力的だった。少し揺らすとふるふる揺れて輝くのだ。

 ゼリーに見とれながら隣の部屋に運んでいると、突然、後ろから押された。ゼリーがキラキラしながら勢い良く宙を舞っているように思えた。はっと思い、お皿に目をやる。お皿はしっかりと手に握られていたがゼリーは床に落ちていた。そして後ろから泣き声が聞こえてきた。振り向くと年下のゆうちゃんが泣いていた。

 ゆうちゃんは同い年のあみちゃんと和室の一角に椅子や段ボールやバスタオルを使って秘密基地を作っていた。おてんばなゆうちゃんはそこで早く自分が作ったゼリーを食べたい思いから、走ってゼリーを運び始めた。「危ないよ」とあみちゃんが呼ぶ声に振り向きつつも走り続けた結果、ゼリーに見とれている自分に衝突した。

 ゆうちゃんは大泣きし自分は愕然としている。親が駆けつけ自分たちを慰め、冷蔵庫に残っていたゼリーを勧めてくれた。

 しかし、ゆうちゃんの機嫌は直らなかった。「あゆ(自分はあゆと呼ばれている)がいけない。あゆが悪い」と泣きながら自分を責めた。それに腹が立って「そっちが悪いんじゃないか!」と強く言ってしまった。その言葉でさらにゆうちゃんは大泣きした。

 ゼリーを落とされたことに苛立ちながらゼリーを食べたあと、ゆうちゃんとは距離を置いた。一緒には遊ばなかったし、夕飯も別の部屋で食べた。

 次の日の朝、ゆうちゃんと顔を合わせた自分は「おはよう」と挨拶を交わした。ゼリーを落とされ腹を立てたことがなかったかのようだった。そしてお互いに「昨日はごめん」と謝り合い、仲良く朝食を食べた。

 昨日の出来事には怒っていたが、その日の夜には許してあげようと考えていた。年上なのに怒鳴ってしまったことも悪く思っていたし、ゼリーが食べられなかったわけでもないのだ。また、年上の自分が許してあげることが素晴らしい行為だと思えたし、少なくともそれに憧れていた。そう考えながら眠りについたが、翌朝起きてみると昨日のことなどほとんど忘れていた。


 子供の頃の自分を体験していると、なんて単純で純粋なんだろうと思った。些細なことで喧嘩をしてすぐに忘れて仲直りをする。楽しい方へ愉しい方へと向かっていた。

 いつまでもこのままでいられれば幸せだろうなどと思った。そしてこの幸せはとても尊く感じられた。大人になるにつれてこの幸せは薄れていくものだ。しかし、それだけではなく、この先に何が起こるかはまだ知らないし思い出すこともできないが、自分のどこかが何かが尊いと思わせた。まだ戻ることのない記憶だろうか。


 両親は共働きで、兄は何でもよくできる優等生といった具合だった。兄が褒められるのを少し羨ましいと思っていた。兄ができることは自分もできるだろうと一生懸命に同じことを真似て追いつこうとしていた。けれどなかなか同じようにとはいかない。兄のように優等生とはいかなかったが、何事にもできる限りの努力はしていた。

 小学校を卒業して中学生になると考えることも増えてくる。将来のこと、自分のこと、友達、他者のこと。それなりに悩み事もあった。後になれば思いつめるようなことではなかったと思うくらいの悩みが多かった。成長の最中とは戸惑うものだ。

 中学生になると、次第に自分がしっかりと出来上がってくる。自分は、流行に流されるような人間ではなかった。これは小学校高学年の頃には確かだった。

 周りに流されることはなく、自分が正しいと思えること、納得できることを基準にして必ず行動していた。流行っているから、皆がやっているから、そんな理由で動くことはなかった。他人の考えに流されて自分が全く考えないようなことはしなかった。しかし普通の枠からははみ出さないようにしていた。

 希望通りの高校に入学し高校生になった。中学では特段の努力をしなくても成績は良い方だったが、受験のために猛勉強し無事合格した。勉強にそれなりに追われつつ、楽しい高校生活が過ぎていく。楽しいことはあっという間に過ぎ、三年生になり、大学受験の勉強のために机にかじりついた。

 大変だった。

 やり始めてしまえば、何時間でも続けられる。ただ、始めるのがなかなかできない。勉強自体が特段嫌いというわけではなかった。ようは気分なのだ。上手く勉強をする気分にさせることが難しかった。自分の気分であるはずなのに、自分で自分の気分を操れない。だが勉強したい気分に変わるのを待っていては、勉強が一向に進まない。仕方なくとても沈んだ気持ちで机に向かい、ペンを持ち、問題に取りかかった。

 一問目、文字を読むのさえも頭が重い。考え、解く。じゃあ、次、二問目ね。まだ気分は乗らない。はい解いた。はい、次、三問目。

 三問ほど解くと勉強に集中してきた。勉強をする気分にすることに成功した。

「ねえ」

 不意に案内役に声をかけられ世界が止まり、息が吸い込まれるように我に返った。

 いいところだったのに。

「休憩してよ、一生分の記憶を見るんだから。八十くらいまで生きていたとしたらあと六十五年くらいあるんだよ? ぶっ通しで見るなんて疲れるよ。順調なのはいいんだけど」

 案内役は疲れたと言わんばかりの態度で言った。

「休憩?」

「あれ、言ってなかったっけ? ごめんごめん」

 記憶を見るのには時間がかかる。この世界の時間が人間界の時間より早く進むといっても、それなりの時間がかかるのだ。最初に案内役が声をかけてから既に十数年経っているから、確かに疲れてくるのだろう。

 案内役は伸びをしている。

 自分が休憩したいだけじゃないのか? こっちは全然疲れていない。まあ、魂だし、疲れないか。でも少し精神的? な疲れがあるかもしれない。

 記憶を見るのはとても面白く感じ、つい見入ってしまう。生きている自分と死んだ自分、二つの自分を同時に体験できる、ハイテクなゲームをしているような感じだ。面白いものは時間を忘れて集中できる。フロー体験か、何なのか、そんな心理が働いていた。

 そう思っていると案内役が珍しく説明を始めた。

「ずっと記憶を見ていると死んだことを忘れて大半の人は見入っちゃうんだよ。君もね。だけど、それは良くないだよね。死んだことを忘れてもらうと自分が死んだ時にショックを受けちゃって、死が受け入れられなくなって、意味がなくなるんだよ。だから、ちゃんと死んだこと、忘れないでよ。休憩して」

 実際ここまで十数年の記憶を見てきたが、その間、自分が本当に生きているかのように過ごしていたため死んだことを忘れかけていた。長時間であればあるほど、死んだことを忘れてしまうようだ。

「そういえば、何歳で死んだとか死因とかは教えてもらえないんですか?」

「教えてあげられない」案内役は即答した。

「何歳で死ぬか教えると、適当に記憶を見る人がいるから教えてあげられない。手を抜いてもらうと困るんだよ。いつ死ぬか分からないのが人生なんでしょ? だから、その時の記憶をしっかり見て」

 なるほど。適当に記憶を見るなんて考えもしなかったが、世の中には色々な人がいるからそういう人もいるのだろう。なら仕方がないと知りたい欲求を抑えた。

 いつ死ぬか分からないのが人生。

 確かに。死は絶対だが、いつかは分からない。自分は、もしかすると不慮の事故で死ぬのかもしれないし、逆にありふれた毎日を過ごして百歳まで長生きして死ぬのかもしれない。もし自分が突然死だったら? そう思うと、これまでの日々の記憶をもっと目に焼き付けて見るべきだったんじゃないのか、と少し悔やんだ。十数年間の記憶を見てきて今更だがこれからは気を引き締めて見ようと心に決めた。

「あと、何か違和感があったら、すぐに言ってよ」と案内役が念を押す。

 世界を再び動かす前にこれまでの人生を思い返してみる。

 ここまではいたって普通という感じだった。普通に幸せ? 身内に不幸が起こるとか、自分が大怪我をするとか、いじめに遭うとか、そんなこともなく時が過ぎていた。子供の頃の幸せをとても尊いと感じさせるような出来事はまだ起こっていなかった。何か悲劇的なことがこれから起こるのだろうか……そうだ、今は受験が辛い。

 止まっていた勉強に戻った。

 気分は乗ったままだ。よし! 

 それから夕飯も忘れて十一時頃まで勉強に集中していた。

 自分を勉強する気分に乗せることに四苦八苦しながら受験日を迎え、第一志望の大学に無事に受かった。受験勉強を頑張った甲斐があったというものだ。まあ、その大学が超難関大学というわけでもないから、それなりの勉強をして試験本番でへまをしなければ受かるのも当然だった。

 大学一年生、想像していた大学生活とは違った。大学生というのは、時間があってもっと遊べるイメージだった。それが、どうして朝の満員電車に駆け込んで、午後の講義では眠気と闘って、日の沈んだ頃に帰路につく? それもこれも必要単位数を早めに取るために講義を詰め込んだためだ。おかげで二年生の頃は時間ができた。といっても専門科目での課題に時間を費やすことが多くなり、土日にはアルバイトをして、遊べるというイメージとは程遠かった。大学生活はそれなりに忙しくも楽しい日々を送っていた。


 大学四年生になろうとする頃。三月、会社説明会、解禁。

 就職活動が始まり合同企業説明会に行くことになった。頭の先から足の先まで真っ黒で葬式のようだ。髪を茶色などに染めていた者もわざわざ黒に染めている。個性を黒く塗りつぶしてしまい、友達でさえ一瞥しただけでは誰か分からないなんてこともあった。お前の個性は髪だけかよ、なんて言う声を聞いた。

 三年生の夏休み前になると、就活に向けてのガイダンスが行われるようになった。そのガイダンスで服装についてこう言われた。

「スーツはネイビー系を選びましょう。黒も多いですが、ふさわしいのはネイビー系なんです。既に持っている人はわざわざ買わなくても大丈夫ですが、これから買う人はネイビー系を買ってください」

 してやられた。

 入学式で着るためにスーツを買いに行った。そこで勧められたのは黒いスーツだった。冠婚葬祭でも着られ、就職活動でも着られますよ、と黒色しか勧められなかったのだ。

 だが就活のためだけに買いなおすのももったいない。皆そうらしい。明るい未来を掴もうとして暗い装いをする自分たちは、洋服屋の口車に乗せられた倹約家だ。

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