第43話 雉の名前と猿の名前と犬の名前

 各地で歴史的な降水量を記録した例の大雨の水もいまや海水の一部だ。

 氾濫はんらんした河川かせんの土砂も瓦礫がれきもすべて受け入れてるようだった。

 細波さざなみはなにごともなく寄せては返している。


 大小の波は波打ち際でいくつかのメレンゲを作る。

 ざぶんと泡立つ水しぶきを眼前に雉さんと猿さんは神妙な面持ちで座っていた。

 犬さんだけはやはりふらふらと砂浜を歩いている。

 犬さんの前足はまた砂を掻いた。


 桃太郎さんはいまも崖の右側にもたれたままでいる。

 僕は桃太郎さんを見てからふたたび二匹に目を向けた。

 丸まった背中からも沈んだ様子がうかがえる。

 雉さんと猿さんの尻尾はまるでしおれた花のようだ。


 ……ん、猿さんの体がすこし右に傾いている。

 ……見間違え、か、いや見間違え……ではないようだ。

 やはり背骨が少々曲っている。


 僕は、まず雉さんと猿さんのほうへと歩みよった。

 そこで犬さんにも声をかける――犬さんもこっちにきてもらっていいですか?

 犬さんは振り上げていた前足を“る”のような形でピタッと止めた。


 「はい」


 ゆっくりと僕を見たあとすぐ呼びかけに従ってくれた。


 「みなさん。これからもっと詳しく事情を訊かせていただきます。雉さん、猿さん。犬さんよろしいでしょうか?」


 三匹は僕を注視したそしてしばしのめ置いて、こくりとうなずいた。

 三者三様に僕を見たのだけれど、三匹の首の角度があまりにそっくりで驚いた。

 どことなく強い連帯感を感じる。


 「青鬼さん。あのさ俺は雉さんじゃなくて。ジーキーってんだよ。それが桃太郎の旦那に付けてもらった名前なんだ。ほかのみんなにも桃太郎の旦那がつけた名前がある。なあ、みんな?」


 口火を切ったのは雉さん、いや、ジーキーさんだった。

 三匹は無言でそれぞれがぞれぞれに目配せした。

 三匹の視線が宙を交錯する。

 僕の勘が働く、この三匹はやはりなにかを隠している。

 いま同意は別の意味の同意・・、そんなふうに感じた。


 赤鬼さんを殺害した犯人を必ず僕がつきとめる。

 さあ本格的な事情聴取の開始だ。

 犬さんとはすこし会話を交わしているので、まずはジーキーさんからだ。


 「では、みなさんのお名前から訊かせていたけますか?」


 「お、ああ、はい」


 僕は目が点になったジーキーさんの目の中をじっと見つめた。

 特徴的な赤い顔は微動だにしない。

 ジーキーさんはそのまま首をカクカクっと動かすとうす緑とうす茶色の羽を猿さんのほうへと向けた。


 「あいつはエイプ」

 

 「わかりました。猿さんはエイプさんですね」


 僕はエイプさんへと向き直した。


 「お、おう。俺はエイプ」


 エイプさんは、そっけなくもありどこか親しげなニュアンスで片手を上げると、自己紹介をしてくれた。

 社交的な印象を受ける。


 ……ん? なぜだかエイプさんは拳で必死に額を拭っている。

 けれど手の甲の毛は乾いたままだ。

 別に額に汗が流れているわけではないそもそも汗をかくほどの気温でもないし、そんな運動をしたわけもない。

 拳をグリグリと動かしてまた額に触れた。

 なにか隠したいことでもあるのだろうか?


 違う……あれは額の腫れに触れたんだ。

 エイプさんの額にはすこしだけ赤みがありそれでいて薄っすらと盛り上がっていた。

 どこかにぶつけた腫れ? あるいはなにかが衝突してきた腫れのようにも見える。


 ……ん? 

 指の爪も割れていて出血したような跡もある……。

 う~ん、けれどそれが今回のことに関係しているとはとうてい思えない。


 「エイプさん。よろしくお願いします。最後は犬さん」


 ――ああ。よろしく。とエイプさんの言葉。

 

 ――僕、僕はポ、ポ、ポチです。ポチさんの言葉が重なった。


 「ポチさんですね。さきほどはどうも」


 「は、はい」


 ポチさんはどこかまた気をまぎらわすかのように砂浜に穴を掘りはじめた。

 反復運動で素早く後方へ砂を掻きだすと、赤鬼さんの遺体付近まで砂が飛び散っていった。


 ――ザザザザ、ザザザザ。


 ポチさんのうしろ足が砂をすくいあげる音だ。

 僕がここに着いたときもポチさんは鴎の忠告を無視して定位置から動いていた。

 ポチさんの穴掘りは習慣的であり日課なのかもしれない。

 犬という種族ならば当たり前の行動でもあるのだけれど、穴掘りを繰り返した形跡が砂浜のありとあらゆるところにある。


 あるいはそういう性格なのかもしれない。

 それでもあまりに数が多い。

 そう病的だと思うくらいに。


 「ポチさん。あまり赤鬼さんのほうへと砂を飛ばさないでください。現場の状況が変わってしまいますので」


 「は、は、はい。す、すみません」


 四本指のうしろ足は回転するように砂を掻いている。

 この瞬間にも――ザザザザ、ザザザザと砂は散らばっていった。

 それを潮風がどこかへとさらっていく。


 桃太郎さんはなおも崖にもたれたままだ。

 僕がジーキーさん、エイプさん、ポチさんとする話を黙ってながめていた。

 こちらの話に入ってくる素振りもない。

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