第29話 撤退してった石男


 だめだ。もう時間が……。これに賭けるしかない!

「さあ、さよならだ」

 永柄が右手を振り下ろそうとした瞬間――。


 ギリギリ攻撃範囲の外に倒れていた金髪の女を、こちら側へ、へ布団で吹っ飛ばす。


 彼女は、石が落ちても当たらない場所にいた。いや、正確に言い表すならば――ブレッサーを失い、能力者ブレストからに戻った彼女に当たらないように、永柄が石の形状を操作したのだ。


 ペナルティは大したものではない、などと言っていたが、それは嘘だった。その証拠に永柄は、一般人を巻き込まないように攻撃範囲を調整した。といっても、そのに推測に確証はなく、一か八かの策ではあったが。


「へぇ。やるじゃん」

 永柄は、すぐに俺の行動の意図を察したようだ。


「早く攻撃を止めろ!」

 もし永柄が攻撃を止めなかったら……。俺のせいで犠牲者が一人増えてしまうことになる。敵だったとはいえ、それは避けたい。


「うん。いったんそうしよう」頭上の巨大な石が消えた。「それにしても、やっぱり神歌能力ゴッドブレスを使うと消耗は激しいよね。だから、今日はここまで。宮城みやぎ!」


「はいよー」

 永柄の立っているすぐ隣。地面から茶色の光と共に男が現れた。

 やはり! こいつがおそらく穴を掘る能力者ブレストだ。


「撤退だ」

 永柄は気絶したドレッドヘアの男の腕をつかんで、宮城が現れた穴に飛び込む。


「待て!」

 その穴に駆け寄ったが、すぐに石が落ちてきて、穴を塞いでしまった。


「峰樹! 小湊! またいつか会おう!」

 くぐもった声が聞こえた。

「くそっ!」


 こうして、激闘は終結を迎えた。全身から力が抜けて、その場に座り込む。

「大丈夫か?」

 オトハが駆け寄って来る。


「ああ。何とかな」

 そう返事をしたものの、大丈夫とは言い難かった。助かって安心してしまっている自分に腹が立っていた。永柄を倒せなかったんだぞ。それなのに俺は……。


「真澄!」

 アルマは、その小さな体で老婆を抱えながら、心配そうに小湊の元へ近づいた。


「アルマ。ありがとな。ばあちゃんを助けてくれて」

 小湊の祖母は眠っているようだ。疲れてしまっているのか、フェリク人の特殊能力的なものかはわからない。


「そんなの当たり前だよ! そもそも、俺が真澄をパートナーに選ばなかったら、こんなことになってないんだし! 本当に、ごめんなさい」

 泣きそうに顔を歪めながらうつむくその姿は、まるで尊敬する大人に叱られた子供のようだった。


「何言ってんだ。俺はお前に会えてよかったよ。悪いのは全部あの男だ」

 穴を塞いだ石の方を見ながら、小湊は答えた。


「うん」アルマは表情を明るくする。「あの、真澄……これからも――」

「これからも、一緒に戦ってくれるか?」


「真澄のバカ! こっちの台詞だ!」

「ははは。頑張ろうな」

 アルマの背中を叩く笑顔の片隅に、永柄を倒せなかった悔しさがにじんでいた。


「お姉ちゃん!」

 突然のその呼びかけに反応したのは、永柄を裏切ったピンク眼鏡の少女だった。

 最初に永柄たちが出てきた穴から、小さい男の子が二人、顔を出している。


かける! すばる!」

 彼女は転びそうになりながら走って行き、両腕で二人を抱きしめる。

「よかった。本当に……よかった」


 俺たちも彼女の元へ移動する。

「えっと、春風さん? でいいんですよね。あなたも、人質を取られてたんですか?」


「そうなんです。あ、私、春風櫻子さくらこといいます。本当にありがとうございました」

 涙を拭い、春風さんは頭を下げた。


「あ、いや。そんな。こちらこそ、春風さんのおかげで最悪の事態は避けられたわけですし」

「ああ。その通りだ」

 小湊が同意する。


 彼女の能力ブレスがなかったら。彼女があのまま永柄の指示に従っていたら。そう考えるとゾッとする。


 人質になっていたのは、彼女の双子の弟らしい。まだ小学一年生で、お揃いの洋服を着ている。ところどころ破れているそれは、人質として過ごした過酷な時間を表していた。


「怖くなかったよ」「うん。怖くなかった」「だってお姉ちゃんが助けに来てくれるって思ってたから」「ありがとう。お姉ちゃん」

 双子の翔と昴は、そっくりな笑顔を浮かべて言った。それだけで、春風さんがとてもいい姉だということがわかった。


 もう一度、弟たちを強く抱きしめてから、春風さんは俺たちに向き直ると

「あの。最後にもう一つ、お願いを聞いていただけないでしょうか」

 何かを決意したような、真剣な顔つきでそう言った。


 小湊と目を合わせて頷く。

「俺たちにできることでしたら」

 そうは言ったものの、彼女の〝お願い〟については、なんとなく予想はできていた。


「私のブレッサーを、壊してほしいんです」

 彼女は、水色のブレッサーを首から外して差し出す。


 ――この能力ブレスのせいで、大切な家族を危険な目に遭わせてしまった。そんなもの、失くなってしまえばいい。彼女の思いつめたような表情は、言葉よりも雄弁だった。


「わかった」

 小さな臙脂色の光が、小湊の手に灯った。


 しかし、小湊がその手をブレッサーに向けようとしたその瞬間、春風さんの手がブレッサーをつかんで引き寄せた。


「あの! やっぱりちょっと待ってくれませんか?」

「え?」


「私、お二人が勇敢に戦う姿を見て、すごいな……って思ったんです。あ、すごいなってなんか上からっぽくて失礼かもしれないんですけど、私と同じ高校生のはずなのに。しかも、小湊さんはおばあさんを人質にとられてて、私と同じ状況なのに、ちゃんと立ち向かってて」


「いや、そんな」

 小湊はストレートに賞賛を受け、返す言葉に悩んでいる。


「それに比べて私は、ただ永柄の言うことに従って……。本当に、ずっと後悔していました。今日、勇気を出せたのもお二人のおかげなんです!」

 春風さんは、手中のブレッサーをギュッと強く握りしめた。彼女は今、心の底にある想いを吐き出している。


「今度は、私がお二人の力になりたいんです。いや、力になるなんておこがましいですけど、せめて気持ちだけでも! 私の能力ブレスは【足湯で疲れをフットバス】です。怪我や疲労を回復する力なので、どこかで役に立つかもしれませんし、だからこれは……」


 春風は一気にしゃべると、握っていた手を開いて、水色のひし形に目を落とす。

「まだ、持っていたいんです!」


「わかった。ばあちゃんが無事だったとはいえ、俺はまだ永柄のことが許せない。それに、このままじゃ他にも俺たちみたいな犠牲者が出るかもしれない」

 小湊は能力ブレスの発動を中止して言った。


 そう。永柄はまだ、能力ブレスを失っていないのだ。あんなやつを野放しにしておくのは危険すぎる。


「だから、俺は永柄を倒したいと思っている。でも、あいつの能力ブレスははっきり言って強い。それに、神歌能力ゴッドブレスとかいうヤバい力も……。協力してくれるか?」


 たくさん傷ついた。身内が危険な目に遭った。にもかかわらず、その眼には揺らぐことのない闘志が灯っていた。決して悪を許さない。小湊舞澄はきっと、そういう人間なのだ。


「もちろんです!」

 春風さんは勢いよく頷いた。永柄の隣で怯えていた少女は、もうそこにはいなかった。


「なあ、俺もお前と同じ気持ちだ。協力させてくれないか?」

 最悪な出会い方だったけど、共闘してみて芯の通った男だとわかった。個人的にも、永柄のしていることをを見過ごすことはできなかった。


「そう言うと思ってた。改めて、よろしく頼む。健正」

「ああ」

 俺たちは握手を交わす。こうして、永柄を倒すため、三人は一時的に手を組むこととなった。


 オトハが、小湊の祖母や春風さんの弟たち、能力ブレスを失った金髪の女の記憶を消去する。少しでもトラウマが残らないように改変されていることを願った。


 こうして、永柄暁との戦いに一つの区切りがついた。最悪の事態は避けることができたのだろうか……。しかし、最初から永柄が戦いに加わっていたら、確実に負けていた。今回は運が味方しただけだ。


 神歌能力ゴッドブレスというのは、いったい何なのか。結局、世界に復讐をするという言葉の真意もわからなかった。疑問は解消されるどころか、増えていく一方だった。

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