第28話 足湯で疲れをフットバス


「春風、お前まさか裏切るつもりか⁉」

「もう、誰かが傷つく姿は見たくないんです!」

 永柄の命令を拒否したピンク眼鏡の少女は、俺たちに向かって走って来る。


「ふざけるなっ!」

 反旗を翻した少女に罵声をぶつけながら、永柄は能力ブレスを発動。

 一回り大きな石が、少女の進行方向に落ちる。少女はそれを避けようとして、バランスを崩す。


 少女は俺の目の前で転倒する。ピンク色の眼鏡が宙を舞った。

「危ない!」

 石は重力に従って容赦なく彼女を襲う。直撃は避けられたが、右足の足首から下が石の下敷きになっていた。


「おい!」

「このくらい、大丈夫です。」大丈夫なわけがない。顔は苦痛に歪んでいる。「それよりも――」

 彼女の手元が水色に光り、お湯の張られた桶が二つ出現した。


「このお湯に足を!」

 少女のことを信用していいのだろうか……。しかし、永柄は次の攻撃の準備をしている。逡巡している暇はなかった。


 俺と小湊は、言われた通りに桶に足を突っ込む。

 不思議な感覚だった。疲労が消え、体が軽くなる。ダメージを受けた箇所が癒えていくのがわかる。痛みも引いていく。これが、少女の能力ブレス


 自らも足を治して立ち上がると、彼女は言った。

「お願いです。永柄を、倒してください」


 少女は涙で頬を濡らしていた。その涙に、どんな理由があるのかはわからなかった。けれど、同じく涙で濡れたその声には、切実な祈りが込められていた。


「ああ」

 俺は力強く応えた。


 回復の能力ブレスに価値を見出され、彼女は永柄に半ば無理やり協力させられていた。そんなところだろう。


 思えばこの少女は、ずっと何かに怯えていた。それは戦いであり、誰かが傷つく姿であり、何もできない自分自身であり――。

 永柄を倒さなくてはならない理由が、また一つ増えた。


 ピンク眼鏡の少女がこちらの味方になり、俺と小湊の疲労と怪我が回復。

 永柄は逆に息を切らしていた。おそらく、疲労がたまってきたら少女の能力ブレスを自分に使うつもりで、ペース配分を気にしていなかったのだろう。


 とうとうここまで追いつめた。しかし、油断してはならない。穴を掘る能力者ブレストがまだ明らかになっていない。現在気絶中のドレッドヘア、六本木がそうかもしれないし、別にいるのかもしれない。いざというときに逃げる手段も用意しているような気がする。


「俺はこんなところで負けるわけにはいかないんだ!」

 細い体をふらつかせながら、永柄は叫ぶ。

 こいつの勝ちに対する執念は、いったいどこからくるんだ……。いや、負けられないのはこっちだって同じだ。


 ただの駒だと思っていた少女に裏切られ、回復することができなくなってもなお、永柄は降参する素振りなど少しも見せず、俺たちを真っすぐ睨む。狂気をたたえた瞳に、ゾクり、と背中が粟立った。


 ――まだ、何かある。

 直感的に思った。


「小湊」

「ああ」

 彼も同様に感じたらしく、目を背けずに身構える。


「仕方ない。まだ仲間にも見せてなかったけど、使うしかないようだね」

 余裕のある笑みを漏らす。

 やはり、何か奥の手があるのか。それともただのハッタリか……。


「きみたちは、神歌能力ゴッドブレスって知ってる?」

「ゴッド……ブレス?」

 聞いたこともなかった。


「ああ。俺をここまで追い込んだご褒美だ。特別に教えてあげるよ。能力ブレスは、神歌しんかするんだ」


 能力ブレスが……進化する?


「俺の能力ブレスは【石がストーン】だ。狙った場所に石を落下させることができる。けど、この能力ブレスでは、せいぜい八十キロくらいの石しか落とせない。まあ、それでも十分なんだけどね」


「何が言いたい?」

 突然、自分の能力ブレスの種明かしを始める永柄に困惑する。


神歌能力ゴッドブレスでは、こんなことができる」

 憎悪と悦楽の入り混じったような顔で、永柄が手を前にかざした。


 黒い光。今までのものより明らかに強い。

 その眩しさに目を細める。

 何が来る⁉


 今までよりも巨大な石。いや、岩と言っても差し支えない大きさ。底面しか見えないが、教室一つ分くらいの面積はあるだろう。それが、俺たちの頭上に現れた。


「【数トンの石がストーン】。それが、俺の神歌能力ゴッドブレスだよ。一トンが何キログラムか、知ってるよね?」

 右手を挙げた永柄が言った。数千キログラムの石が、俺たちを跡形もなく潰そうとしている。


「クソッ! ダメだ!」

 小湊が衝撃波をぶつけても、石はびくともしない。

 破壊するのは無理だろう。走ったとしても、脱出する前に落とされる。


「健正!」「舞澄!」

 オトハとアルマは俺たちの名前を呼ぶ。しかし、助けに入ることはできない。


「そんな⁉」

 ピンク眼鏡の少女は、絶望的な表情を浮かべていた。


「さあ、終わりだ」

 永柄の声が、冷たく響く。

 圧倒的に強大な力を前に、俺たちはただひたすらに無力だった。どうすることもできない……。


 どうすることもできない? 違うだろ!

 俺はオトハに誓ったはずだ。オトハを天王レクスにすると。


 だから、どうすることもできなくたって、それでもどうにかするんだ! 何か、何かないのか⁉ この窮地を切り抜ける方法は!


 永柄もかなり体力は消費しているはず。最後の力を振り絞っての攻撃と見て間違いない。この一撃さえ防げれば、まだ可能性はある。考えろ!


「⁉」

 俺は影を見て、石の形が歪なことに気づく。一部が削られたような形をしているのだ。バランスが悪い。今まで出した石はかなり自然な形をしていたのに、なぜだ。


 俺の能力ブレスでは、大きさや形が特殊な布団を出すとき、通常より多くエネルギーを使う。永柄の能力ブレスでも同様だとすると、わざわざそうした理由は?


 理由なんてなくて、神歌能力ゴッドブレスとやらの副作用かもしれない。けれど、もしかしたら……。

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