第15話 お金はおっかねえ
環と約束した時間の五分前。俺とオトハは、廃墟に到着した。
元々病院だったらしいその建物は、壁の一面が大きく崩れている。瓦礫が点在する床には、雑草が生えていた。
ところどころ、骨組みのむき出しになった壁。窓はかろうじて何枚か残っているが、それも割れていないものの方が珍しいくらいだ。一部に穴が空いている天井からは、陽射しが差し込んでいる。いつ崩れてきてもおかしくないように思えた。
この廃墟だけが、街から隔離されているような印象を受ける。
子どもの頃、よくここで遊んでいたことを思い出した。危ないからダメだと言う親の警告を無視して、もう名前すら思い出せない近所の子どもたちと、鬼ごっこやかくれんぼ、秘密基地づくりに興じていた。
しかし、それはもう昔の話。今では雑草も伸び放題になっているし、瓦礫も散乱している。家庭や学校でも入らないようにと注意され、満足に遊ぶことはできない。そうしてこの廃墟は、子どもも大人も近づかない場所となった。
少年は時間ピッタリに現れた。三十分前と変わらない、ノーブルな服装。その後ろには、オトハと同じくフェリク人であり
「来てくれたんですね」
俺の数メートル前方に立ち、紺野環が言った。
「ああ」
いつ攻撃がきてもいいように身構える。
「僕の提案を断ったのはあなたが初めてです。今までの
高校生にしては多すぎる金額に、まったく心が動かなかったと言えば嘘になる。それでも、この戦いは、お金とかそういうもので決着がついていいものではない。そう考えたから、俺は今ここにいる。
「早く終わらせろ」
少年の後ろで直立しているフィンが口を開いた。ぞっとするほど、温度の低い声。まるで、あらかじめ勝つことがわかっているような口ぶり。
「わかってますよ。フィン」
環のパートナーのフェリク人。オトハ曰く、この戦いの優勝最有力候補でもある実力者。
玄関で見たときにはわからなかったが、白い肌に眩しいほどの金髪。人形のような顔立ちだった。過度な美しさは、見る者に恐怖を抱かせる。
改めて見ると、ゴスロリの服装がとても似合っている。ほとんど陽射しは入ってきていないにもかかわらず、彼女はここでも黒い傘をさしていた。
「降参したくなったら、いつでも言ってもらって構いません」
環はそう宣言してから、ポケットから何か丸いものを取り出す。大きさと色からして、どうやら十円玉のようだ。
次の瞬間、彼の手が金色に輝いた。
環が手首を捻って放ったそれは、俺の体に向かって一直線に飛んで来る。
「避けろっ!」
後ろからオトハの声。言われなくてもわかる。これは避けた方がいい。直感的に思った。
軌道から離れるように、一歩右に踏み出す。
先ほどまで俺がいた場所を、十円玉は思っていたよりも速いスピードで通過した。そしてすぐに、後ろの壁に刺さった。木製の壁ではあるが、普通の硬貨だったら当たって床に落ちる。
反射的に鳥肌が立つ。もしもまともに当たっていたら、体を貫通していたかもしれない。おそらく、これが環の
「へぇ。やるじゃないですか」
余裕のある笑み。敬語を遣っているにもかかわらず、見下されているように聞こえる。
「お前こそ」
震える脚を必死で誤魔化しながら言い返した。
環が、再びポケットから何かを取り出そうとする。相手の武器は飛び道具。ならば……。俺は斜めに動きながら、環めがけて走った。
物を投げるためには、必ず予備動作が入る。それをさせないくらいに近づけば、相手の力を封じることができる。力技ではあるが、これ以上スマートな作戦も思い浮かばなかった。
環の目が見開かれた。よし、いける!
しかし、環のポケットから出てきたのは、小銭ではなく紙幣だった。環の唇の端が吊り上がる。
先ほどと同じように金色の光を放ち、紙幣は刃渡り十センチほどのナイフになった。
環はそれを横に一閃する。
「クソッ!」
俺は寸前のところで止まり、体を捻って射程圏内から逃れようと試みる。
躱せたように思えたが、刃先は腕までギリギリ届いた。シャツの袖が切り裂かれ、数秒遅れて赤く染まる。
「健正!」
少し離れた場所で、オトハが叫ぶ。
「大丈夫だ。そんなに深くない」
右手に持ったナイフの切っ先を俺に向ける環から、目を離さないまま返事をする。バックステップで距離を取り、熱くなっている傷口を押さえた。環の動きに神経を集中する。
「僕の
環は突然、一ミリも表情を変えることなく言った。
「硬貨やお札を刃物にして、ある程度コントロールすることができます。この
右手にあったナイフが消滅した。ところが、左手にはすでに別のナイフが用意されている。隙がない。
「
「そんなことまで俺に教えて良いのか?」
自ら
「別に問題はないでしょう。教えたところで、僕の強さに影響はありませんから。それに――」
言葉を切って、環の右手から新たな武器が放たれる。大丈夫。攻撃は直線的だ。避けれる。体を動かそうとしたとき、投げられた硬貨が三枚あることに気づいた。
「早めに力の差を理解して、ブレッサーを引き渡していただきたいので」
左右どちらかに逃げても、攻撃範囲から脱することができるか微妙なところ。ならば、下だ!
地面にしゃがんだ俺の頭を、刃物と化した十円玉が通過する。しかし環は、俺のその行動を読んでいたらしく、すぐに追撃が襲う。硬貨が足首をかすめて、赤い直線が走った。
強さに影響はない。その言葉の通り、戦力差は圧倒的だった。絶望的な致命傷はまだ負っていない。しかし、勝てるビジョンが見えないのも事実だ。
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