第14話 平和な日々にヒビ


 それからの二週間は、真川との戦いが嘘のように平和だった。

 しかし、平穏な日々も長くは続かない。


 何事もなく、四月が終わろうとしていたある日。俺たちの前に、新たな敵が現れた。


「本当に、行くのだな?」

 俺の部屋。オトハと俺は、二人揃って悲痛な面持ちをしていた。


「ああ。いざとなったらギブアップするって」

「……」

 オトハは押し黙る。

「それに、もし行かなかったら……」


 紺野こんのたまきという少年が俺の家を訪ねて来たのは、つい数分前の出来事だった。




 学校は休み。するべきことも出かける用事も何もない。

 俺は二度寝から目覚めたあと、ベッドでゴロゴロしながら、新しく買ってきた漫画を読んでいた。


 そんな至福のひと時を邪魔したのは、インターフォンの音だった。母親はどこかへ出かけているみたいで、家にいるのは俺とオトハだけ。

 何だよ、今いいところなのに……などとぼやきながら階段を降り、玄関を開ける。


「はい。えっと……どちら様?」

 糊の利いたシャツの上に、ストライプの黒いベストをきっちり着こなしていた。その下は同じく黒のスラックスに傷一つない革靴。ファッションに大して興味のない俺にも高級品であることがわかる。


 身長は百五十センチくらい。少年と呼んで差し支えないだろう。中学生に見えるが、高校生に見えなくもない。


 さらに俺を戸惑わせたのは、少年の後ろに女性が立っていることだった。全身が黒一色で包まれている。いわゆる、ゴスロリファッションというやつだ。陽射しは大して強くないのに、日傘をさしている。日傘で隠れて顔は見えないが、ただ者ではない雰囲気が伝わってきた。


 少年が一歩前に進み出る。小柄な体格と醸し出す威圧感につり合いが取れていない。まるで、いくつもの場数を踏んできた熟練の剣士のようだと思った。

 綺麗に切りそろえられた前髪の下から、鋭い眼光が俺を捉える。


「これを見せれば、大体のことは察してくれるでしょう」

 男にしては少し高めの、聞き取りやすい静かな声。

 少年は胸ポケットから、金色の〝あるもの〟を取り出して、目の前に掲げた。


「それは……」

 ブレッサー。すなわち、少年が能力者ブレストである証。


 俺は反射的に、ポケットに入っている自分のブレッサーを強く握り締めた。

 少年が能力者ブレストだとすると、後ろにいる女の正体も、なんとなくわかってくる。きっと彼女もオトハと同じ、天王レクス候補の一人だ。


「単刀直入に言います。あなたのブレッサーを渡してほしいんです」

「断る」


「まあ、そうなりますよね。そちらのフェリク人もお出ましのようですし」

 いつの間にか、後ろには黙って成り行きを見守るオトハがいた。驚いたような表情で訪問者を見ている。


「では言い方を変えましょう。」

 少年は肩にかけていた、これまた高級そうな鞄から、無造作に直方体を取り出した。


「これであなたのブレッサーを買います」

 その直方体の正体は、一万円札が何枚も重なったものだった。少なく見積もっても五十枚は超えるだろう。


「嫌だ、と言ったら?」

「おや、やはり百万円では少ないですかね。なら金額を増やします。これの十倍でどうでしょう」


 少年は躊躇いなく、鞄を広げて中身を取り出した。万札の束を三つつかんで俺の目の前に掲げる。本当に十束、もしくはそれ以上の札束が鞄の中に入っているのだろう。

 百万円の十倍――つまり、一千万円……。


「おい! それは――」

 オトハが何かを言おうとするのを、俺は右手を上げて制止した。

「それも断ったら、次はどうなる?」


「そうですか。仕方ありません。実力行使しかないようですね」

「待て! まさかここで能力ブレスを使うつもりか?」

 俺は身構えた。


「そんな愚かなことはしません。僕の能力ブレスは攻撃的すぎて、関係のない人間まで巻き込んでしまう。ペナルティを受けるのは避けたいですし、なるべく人のいない場所で戦いましょう」


 無表情を貫いているせいで、その発言が本当かどうかは測りかねるが、すぐに戦闘が始まらなかったことにはホッとした。


「おっと。こちらが場所を決めてしまうと、罠かと思われるかもしれませんね。そちらが指定していいですよ」


 なるべく、人のいない場所……。

「ここから歩いて三十分の場所に廃墟がある。そこでどうだ。正確な場所は……」

 スマホを取り出し、地図アプリで場所を示す。


「わかりました」少年は頷く。「そこにしましょう。今から三十分後でいいですか?」

「ああ」


 なんとか戦わずに済む方法はないものか。俺は思考を働かせるが、強い意志を秘めた少年の瞳を見て断念する。


「あなたはこの家で両親と暮らしているそうですね。それに、隣の家には仲の良い幼馴染。学校にはたくさんの友人も。これがリア充ってやつですか」

 皮肉をにじませるように、少年は小さく笑う。


「何が言いたい」

 聞き返しながらも、俺は少年の発言の真意を察していた。


 おまえの両親や姫歌、他の友人たちがどうなっても知らないぞ。こいつはそう言いたいのだ。


 直接攻撃しないにしても、真川のように間接的に危害を加える手段を持っている可能性は十分にある。


 それに、先ほど持っていた札束。能力ブレスがなくとも、財力で何かしてくることもあり得るのではないか。


「いえ、別に何も。ああ。自己紹介がまだでしたね。僕は紺野環と言います。今日限りの付き合いだと思いますが、一応。よろしくお願いしますね、峰樹健正さん」

 紺野環は、まだ名乗っていないはずの俺の名前を正確に呼んだ。


「俺の素性は全部わかってるってか? 上等だ。ぶっ飛ばされる準備して待ってろ」


「ええ。それでは、お待ちしてます」

 俺の挑発をものともせず、まるでレストランの予約を承るかのように、優雅に言った。


 そして、少年は踵を返した。つまり、俺に背を向けている状態。今殴り掛かれば、勝機があるのではないか。


 そんな考えが浮かんだが、すぐに撤回した。背中からも威圧感が出ていたのだ。一挙一動に無駄がなく、こちらが何かおかしな動きを見せようものなら、即座に反撃されそうな、そんな雰囲気を纏っている。

 結局、俺は少年を黙って見送ることしかできなかった。




 ブレッサーを持ち、家を出る。

 廃墟に向かって歩き出すと、すぐにオトハが口を開いた。

「最初に言っておく。この戦い、おそらく勝ち目はない」


「なんでそんなことがわかる」

「あの少年の後ろにいた、フィンというフェリク人。あいつは、この次期天王レクス決定戦の優勝最有力候補の一人だ」


「なっ⁉ でも、フェリク人が戦うわけではないし、能力ブレスがしょぼい可能性だって――」


「非情な女で有名だった。勝つことに手段は選ばない。もし、お前の言う通りに少年の能力ブレスが弱いものであれば、彼が戦おうとするのを止めるはずだ。十中八九、やつの能力ブレスは強い。それに、彼自身も、ただならぬ雰囲気を持っていた……」


 それには俺も同意だ。あの鋭い眼光といい強者のオーラといい、ただの高校生とは思えない。

 しかし、こんなに自信のないオトハは初めてだ。


「そんなネガティブになってもしょうがないだろ。どうにかなるって」

 なるべく明るく言ったつもりだったが、無理をしているのはバレバレで、オトハの表情は暗いままだ。


 一般人に被害が及ぶことはない。その点は安心だった。

 決戦の時間は、刻一刻と迫っている。

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