第13話 シリアスな過去を知り明日へ


「あっ、健ちゃん!」

 教室の前に来る、ドアの前に姫歌が立っていた。今日も艶のある黒髪を高めの位置でポニーテールにしている。


「姫歌?」

「探してたんだよ。どこ行ってたの?」


「ちょっと、用事があって……」具体的な内容は濁す。「で、俺に何か用だったか?」


「次の時間の英語の予習プリントが終わってなくって!」

 またか。俺はため息を吐いた。


「次の時間……か。残念ながら力になれそうにないな」

「何で⁉」

 絶望の表情を浮かべると同時に、授業開始を告げるチャイムが鳴る。


「そういうことだ。大人しく怒られろ」

「うえぇ……」

 姫歌は眉を下げて悲痛な表情を浮かべる。彼女のクラスの英語の教師は厳しいのだ。


「ご愁傷様。ほら、早く戻れ。もうすぐ鳴り終わるぞ」

 俺を待ってないで自分でやっとけばよかったのに。


「ううっ……健ちゃんのバカー」

 理不尽!




 社会科の授業。三十代の男性教師が、戦国時代の武将について詳しく語っている。きっと彼自身が好きな分野なのだろう。しかし残念ながら、聞いていて眠くなる声。


 ウトウトしながら、俺は昨日のことを振り返っていた。

 真川の襲撃に対し、オトハは真っ先に一般人である柏木会長を安全な場所へ送り届けた。


 それに、戻ってきたときにオトハは、一番に俺のことを心配してくれた。ブレッサーよりも先に。


 オトハが天王レクスの座を狙っているのはたしかで、一般人や俺の安否は二の次だと思っていた。


 思えば俺は、オトハのことを何も知らない。彼女がどんな性格なのかも、何が好きで何が嫌いかも、何を思って天王レクスになりたがっているのかも。


 こんな常識外れの戦いに巻き込まれたのだから、少しくらい知る権利はあっていいはずだ。


「……き。……ねき」

 声が聞こえる。


「峰樹!」

「ふぁいっ!」


「そんなに俺の授業がつまらんか⁉ ああ?」

 俺の机の横に、教師が立っていた。眉間にしわが寄っている。周りからは、クスクスと笑う声。


「すみません。あまりにいい声で……」

 言い訳のつもりで口にした言葉は逆効果だったらしい。


 周囲が爆笑の渦に包まれ、教師は「あとでお前に特別な課題をやろう」と言い残して教壇に戻った。




 家に帰ると、オトハはまた俺の部屋で漫画を読んでいた。

「おい。人の部屋で何してんだ」


「ああ、健正か。この漫画、すごく面白いぞ!」

 オトハは、ごろんと寝返りをうって、ギャグマンガの表紙を見せてきた。いや、知ってるよ。だって俺のだもん……。


「まあ、別にいいけど……。ちょっと聞きたいことがある」

 俺の真面目な口調を察したのか、オトハは起き上がって正座をした。

「何だ」

 読んでいた漫画を伏せて置く。


「オトハは、どうして天王レクスになりたいんだ?」

 彼女がどんな思いでこの戦いに参加しているのか。それを知りたかった俺は、結局、ストレートに尋ねることにした。


「……教えん」

 オトハは目を合わせずに小さく呟いた。

 もちろん俺にとっては、納得できる答えではない。昨日だって、あんなに危険な目に遭ったのだ。


 強硬手段に出ることにした。

「こいつがどうなってもいいのか?」

 小さなハンマーを構えて、ブレッサーをその下に置く。


「あああっ! わかった! 話す! 話すから! 今すぐそれをしまえ!」

「ふっ……ちょっとした冗談だって」


 この戦いにあまり積極的でない俺は、オトハからすれば、さぞやりにくいことだろう。


「その代わり、絶対に笑うなよ」

 そう前置きして話し出した。

「ああ」


「まず、私の生い立ちから話さなくてはならない。私には両親がいない。生まれてすぐに捨てられた」

 いきなりの重い一撃。

 オトハが言いにくそうにしていた理由もわかる。


「前も言ったが、フェリク・ステラも人間界とさほど変わらない。つまり、児童養護施設もある。拾われた私は、すぐに施設に入れられた」

 時計の音が、やけに大きく聞こえた。


「しかし、施設は貧乏だった。常に空腹だったし、学ぶこともできなかった。そこで働く大人にも、ろくな人間がいなかった。仕事をサボるのなんてまだいい方だ。子どもに暴行を加えることもあった」


 いったい彼女は、どんな気持ちで話しているのだろう。表情や口調からは、感情が推し量れない。オトハの言葉を、俺はただ、黙って聞くことしかできなかった。


「暴力や盗みに手を染める子ども。全てを諦め、感情を殺して生きていく子ども。世界に絶望して……自ら命を絶ってしまう子ども。そんな仲間を、何人も見てきた。最低で最悪な環境だった」


 オトハは悔しそうな表情を浮かべる。声にも、微かな感情が混じったような気がした。


「施設で暮らしている子どもは汚い、頭が悪い、役に立たない。そんな偏見や差別があった。私たちには、人権が与えられていなかった。そんな風潮のせいで、施設への金銭的な援助や制度の確立がなおざりになる。悪循環だ!」

 強く拳を握って、吐き出すように言った。


「私は必死で生きた。必死で勉強した。そうしてやっと、天王レクス候補としてこの戦いに参加することができた。私は天王レクスになって、フェリク・ステラを平等な世界にする。もう二度と……同じような仲間を増やしたくない」


 同じような仲間。彼女はそう言った。

 普通に考えれば、オトハと同じように、不条理な世界に苦しんだフェリク人のことだろう。しかし俺は、別の意味が含まれているような気がしていた。


 例えば、暴力や盗みに手を染める子ども。

 例えば、全てを諦め、感情を殺して生きていく子ども。

 例えば――世界に絶望して、自ら命を絶ってしまう子ども。

 オトハはそんな子どもを、すぐ近くで見てきた。


 その誰かと同じように、つらく悲しいフェリク人を増やしたくない。オトハは、を思い浮かべて、そんなことを言っているんじゃないだろうか。


「世間に見捨てられた者や、やむを得ない理由で普通の生活ができない罪のない子どもがたくさんいる。私は、そういう者も安心して暮らせるフェリク・ステラを作りたい。これが、私が次期天王レクス決定戦に参加した理由だ」


 俺が思っていたよりも、彼女は重いものを抱えていた。

 どんな反応をすればいいのかわからなくて、二人の間に重い沈黙が流れた。


「だが、昨日の戦いでわかった。これは危険な戦いになる」オトハが目を伏せる。「だからもし――」


「協力する」

 俺には関係のない、違う世界の話ではある。しかしその世界にも、たしかに心は存在しているのだ。俺の住んでいる世界と同じように、喜んだり泣いたり、怒ったり笑ったりする心が。


 悲しみや絶望を抱えた者を救えるのなら、協力しない理由はない。

「っ……」

 オトハが顔を上げた。


 これから先、危険な戦いがあるかもしれない。痛みや苦しみだってあるかもしれない。それでも、俺は戦うことを選んだ。


 もしかすると――三年前の、あの日の自分自身を救いたいのかもしれなかった。


 それに……オトハがなぜ、平凡な高校生である俺を選んだのかはわからない。けれど、何かを期待して選んでくれたのなら、俺はそれに全力で答えなきゃいけないんじゃないだろうか。


 オトハの目を真正面から見据えて、

「俺がお前を、天王レクスにしてやる」

 力強く、俺は宣言した。

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