第16話 お隣さん、救世主となりて
「くそっ!」
切り傷がまた増えた。
逆転の一手をひらめくでもなく、突然覚醒するでもなく、俺はただひたすらに無力だった。状況は最悪の一歩手前。
オトハも後ろから「右だ!」「よけろ!」などと声を出す。しかし俺は上手く反応できずにいる。
環のパートナーであるフィンは、つまらなそうな表情で戦いを眺めていた。
防戦一方の俺などお構いなしに、なおも環の猛攻は続く。
満身創痍。体中が痛い。切り傷の数も、三十は優に超えていることだろう。一か所の出血量は大したことはないが、それがいくつも重なれば十分に大量出血だ。
なんとか立ってはいるが、意識を保っているのがやっと、という状態。ましてや、これ以上戦うことなどできないと思う。
でも……。俺はポケットのブレッサーを握り締める。
――こいつだけは守らなくちゃいけない。
「いい加減にに諦めてください。痛がっている相手に攻撃を加えるような、嗜虐的な趣味は僕にはありませんので」
無表情の環のブレッサーから発されるのは、神々しく黄金に輝く光。
十円玉が深めに俺の左腿を切り裂いた。今までよりも酷い出血。
相手は戦いを終わらせにきている。いつでもとどめを刺すことのできる状態。俺の命は紺野環の手のひらの上だ。
「グッ……」
その場に膝をつく。
「まだブレッサーを渡さないというのなら、もう容赦はしません。力づくで奪います」
「もういい健正! 降参してくれ!」
オトハが叫ぶ。
「ほら、彼女もそう言ってますよ。これ以上はあなたの命に関わるかもしれない」
環は冷酷に告げる。
「……黙れ」
「僕たちとは、文字通り住む世界が違う。そんな関係のない異世界の人間のために命を張る必要はないでしょう」
「違う!」
オトハは、関係なくなんかない!
今にも消え入りそうな声しか出なかったが、反論しないと気が済まなかった。
「たしかに、オトハは非常識で、自分勝手で、俺の日常をぶっ壊した」
会ってからまだ一か月も経っていないが、
「だけどな! そんなふざけた異世界人のことが、もう他人とは思えなくなっちまったんだよ! オトハには、
それは俺なりの決意表明だった。
「健正……」
「おい、フィンといったな」
俺は、一方的な戦いを冷めた目でじっと見ていたフェリク人に言う。
彼女は眉をピクリと動かした。
「お前は、この戦いで
俺はフラフラと立ち上がる。血が足りない。今にも気を失いそうだ。
「そんなことは知らん。私はとにかく、このふざけた戦いを早く終わらせたいだけだ」
余裕のある声音。自分のパートナーである環の勝利を確信しているからだろう。
「ならなおさら、お前に負けるわけにはいかねえな!」
そうは言ったものの、俺の体はすでに限界だった。視界がぼやける。
まだだ! もう一度、布団を出して飛ばす。環に届く前に、重力に従って地面に落ちた。
「……くそっ」
もう一回!
しかし、ブレッサーは光らない。
おい、光れよ! 最高速で布団を飛ばして、こいつをぶっ飛ばすんだよ! 光れよ!
「その根性だけは誉めてあげましょう。ただ、気持ちだけではどうにもなりません」
近づいて来る環の右手には、銀色に光る刃物が握られていた。
……もうダメか。
俺は負けたのだ。ブレッサーをつかむ手にも力が入らない。
それでも、最後まで抵抗していたくて。環を睨む目だけは逸らさなかった。悪あがき以外の何ものでもない。
突然、視界に映る環の姿が見えなくなった。
気を失ったのか……と一瞬思ったが、違った。まだギリギリ意識はある。
人の影。誰かが俺を守るように、目の前に立っている。
「健ちゃん、いつも助けてくれてありがとう。今度は、私が健ちゃんを守るよ」
聞き慣れた声。
「ひめ……か?」
それは紛れもなく、俺の幼馴染――
いったい、何が起こっている⁉
「お前も、
環の呟き。
姫歌が、
姫歌……早くそこから逃げろ! そいつは凶器を持ってる! 警告をしようにも声が出ない。
しかし、俺の危惧したような出来事は起こらない。いつまで経っても、攻撃はこなかった。
「環、何をしている! さっさとそいつらを倒せ!」
フィンが大きめの声を出す。第三者の乱入で焦っているようだ。
「いえ。今日はここまでにしましょう。いつか、また会えるといいですね」
俺に向かっていったのだろうか。
「おい! 環!」
「行きますよ、フィン」
諭されたフィンの舌打ちが響いた。
環が背を向けて去って行くのを、霞む視覚で認識する。
敵がいなくなってホッとしたのか、俺の意識はそこで途切れた。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
「環、なぜ見逃した。女の方の
「あの男は、僕の提案を飲まなかった」
「提案? 金のことか?」
「そうです」
そのことについては、フィンも意外だと思っていた。今まで環たちがブレッサーを破壊した三人の
しかし、今回は違った。桁を一つ増やしても、峰樹健正はブレッサーを差し出すことを拒み、戦うことを選んだ。
「あの男に興味が湧きました。もし彼が生き残り続ければ、またいずれ戦うことになるでしょう」
環は口角をわずかに上げて言った。自分が他の誰かに負けるという予定はないようだ。
戦力差が明白になってもなお、彼は諦めなかった。その上、自分の身をボロボロにしてでもブレッサーを差し出さずに耐えた。
さらに助けに来た女。
あの女も、峰樹健正をかばうように立ちはだかった。
紺野環は、この世界は金がすべてだと思っていた。〝金で買えないものがある〟なんてきれいごとは、金を持っていないやつらの負け惜しみだと決めつけていた。
もしかすると、彼らを通してならば、今まで見れなかった世界が見れるかもしれない。彼はそんな風に考えていた。
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