第17話 若い頃を懐古


 俺が姫歌と出会ったのは、今から約八年前。小学三年生のとき。父親の転勤に伴って、春に俺の家の隣に引っ越してきた。


 峰樹家と須崎家には、偶然同じ学年の子どもがいた。偶然は重なるもので、二人は同じクラスになった。二人が自然と仲良くなるのに、時間はかからなかった。


 姫歌は、勉強もスポーツもできた。テストはほとんどが満点だったし、足の速さは男子を含めてもクラスで一番だった。


 もとより天才肌で、大抵のことはやればできてしまう子どもだった。持ち前の明るい性格も幸いして、すぐにクラスの人気者になった。


 クラスの誰よりも彼女の近くにいた俺は、姫歌が夜遅くまで勉強していたことを知っている。学校からの帰り道に、俺にクラスメイトの好きなものや得意なものを質問してきたこともある。


 早くクラスに慣れるために頑張っていたのだろう。姫歌はあのときからずっと、純粋で素直な女の子だった。


 しかし、目立ちすぎた彼女を目障りに思う者がいるのも事実だった。

 ある日唐突に、姫歌への攻撃は始まる。いじめと言うほど陰湿ではないが、嫌がらせにしては行き過ぎていた。


 直接的な暴力はなかったが、一般的な小学三年生の女の子であれば傷つくような悪口が、頻繁に教室を飛ぶようになった。

 やがて姫歌の表情は陰りを帯びていく。


 中心になっているのは、前田まえだという男子。クラスで二番目に足が速い。つまり、姫歌が転校してこなければクラスで一番のはずだった。つまり、単なる嫉妬に他ならない。


 すぐに収まるかと思ったそれは、一ヶ月が経っても止む気配がなかった。それどころか、便乗する者も増えた。子どもであるがゆえに残酷だった。


 俺は、日に日に暗くなる姫歌の顔を見ていられなくなった。どうにかして、姫歌への嫌がらせをやめさせたかった。


 しかし彼女は、親や教師には相談したくないようだった。心配をかけたくないのだろう。


 なるべく俺自身で解決できるような方法を考えなくてはならない。この手の問題は、真っ向から立ち向かっても難しいことを知っていた。そこで俺は、効果的な解決法を思いついた。


 自分で言うのもどうかと思うが、俺は頭の回転が速かった。小学三年生にしては大人びていたとも思う。

 姫歌本人にも作戦を話し、了承を得る。


「おい、そろそろやめとけよ」

 ある日の昼休み。姫歌に暴言を投げつける前田に、俺は言った。


「何だお前、須崎をかばうのかよ! すざ菌に感染するぞ!」

 すざ菌という言葉に反応して、取り巻きが笑う。何が面白いのかわからない。その場でぶん殴りたくなったが、グッとこらえる。


「俺も言いたくはないけどさ、いくらフラれたからってしつこく嫌がらせするのはダサいよな」

 わざと大きめの声で言った。


「は? 前田、須崎にフラれたの?」

「マジかよ!」

 取り巻きの数人が騒ぎ出す。


 誰が誰のことを好きだとか、告白したとか、ちょうどそういったことに興味を持ち始める年齢だった。

 すぐに教室全体が騒がしくなる。


 前田の「ちげえよっ! そんなわけないだろっ!」という否定の声は、喧騒にかき消される。


 その焦りようが、かえって本当っぽく見えて、騒ぎは加速していった。今まで同じように姫歌に嫌がらせをしていた生徒も、顔を赤くした前田をからかい始める。


 小学三年生の組織力なんて、たいしたことはない。基本的に面白い方へ流れるものだ。事実が真実なのではない。面白いものこそが真実なのである。


 姫歌への嫌がらせは無事に収まった。その代わりに、クラスで前田をからかう風潮が生まれた。


 姫歌本人は少し気まずそうにしていたものの、しばらくすると「よく考えたらムカついてきた。ざまあみろ!」などと言っていた。


 俺は後日、前田から一発殴られた。

「嘘言ってんじゃねえよ」なんて言われたけど、お前だって嘘を言ったじゃないか。何度も。姫歌に「ブス」って。


 それ以来、姫歌は何かと俺を頼ってくるようになった。それがまさか、高校生になっても続くと思わなかったけど。


 中学生、そして高校生になっても、俺と姫歌は仲が良かった。

 お似合い、ラブラブ、夫婦……などと同級生から冷やかされることもざらだったが、姫歌は「言いたい奴には言わせとけばいいんだよ」なんて言っていた。


 小学六年生の姫歌が、中学受験をするかしないかで母親と大ゲンカしたときも、陸上部に所属していた中学二年生の姫歌が、スランプで落ち込んでいたときも、俺は彼女の一番近くにいた。


 周りには見せない弱い姿を、俺の前でだけ見せていた。そんな彼女が……。

 ――今度は、私が健ちゃんを守るよ。




 ……ずいぶん昔のことを思い出していたような気がする。目を開けると、見慣れた白い天井が視界に映った。どうやら俺の部屋のようだ。


「健ちゃん!」

「健正!」

 二人の声が重なる。姫歌と……オトハ。


 体を起こそうとした瞬間、激しい痛みが走った。

「いっ……て!」


「まだ寝てて。応急処置はしたけど、切り傷がすごいいっぱいあったんだから」

 姫歌が泣きそうな声で俺を諭す。


 切り傷? ……俺は、何をしてたんだっけ。まだ頭がしっかり働いていないようだ。状況を理解しきれていない。


「でも、そんなに深い傷はなかったよ。たぶん、貧血になっちゃっただけだと思う。でもしばらくは安静にしててよ」


「俺は……」

 少しずつ脳が働き始めて、記憶を掘り起こしていく。


 そうだ。能力者ブレストが家を訪ねて来たんだ。紺野環という少年。まだ中学生みたいな容姿だが、ただならぬ雰囲気を放っていた。


 そいつと戦って、ボコボコにされて。

 何もできずに、地面に這いつくばって。

 そんな俺のことを助けに現れたのは――

「姫歌、お前……」


 あのときの光景がフラッシュバックする。

 ――お前も、能力者ブレストか。

 環の言葉。


「ごめんね。ずっと隠してたけど、私も能力者ブレストなの」

 首から下げられたオレンジ色のブレッサーを見せる。


「そっか」謝られるようなことをされた覚えはない。驚いてはいるが、むしろ感謝すべきだった。「ありがとな、姫歌」


「うん」

 姫歌は安堵したように頷いた。


「俺が能力者ブレストブレストだってことはいつから気づいてたんだ?」

「小さい男の子が手すりから落ちてきたことがあったじゃない? あのとき助けたの、健ちゃんでしょ?」

 初日じゃねえか!


「そんなすぐバレてたのか……」

「いや、そのときはわかんなかった。でもその日、学校でブレッサーみたいなの見てたから、それで気づいたの。朝早くに聞こえた声もオトハちゃんだったんだね」


「その通りだ、姫歌」

 姫歌とオトハは、いつの間にか名前で呼び合う関係になっていた。女同士ということもあり、打ち解けるのが早い。俺が気を失っている間、何を話していたのか気になるところだ。


「なるほどな」

 迂闊だった。能力者ブレストは意外と近くにいるものだ。


「でも、何で言わなかったんだ?」

 約一ヶ月、姫歌は俺が能力者ブレストだと知りながら、自身も能力者ブレストであるということを黙っていた。


「健ちゃんと敵同士になるのは嫌だったから……」

 姫歌は言いづらそうに口を開いた。


 たしかに、俺と姫歌は能力者ブレストで、本来はパートナーの天王レクスの座を争って戦う敵同士だ。言われて初めて気づく。


「……そうか。そうなるのか」

 しかし、姫歌は俺のピンチを救ってくれた。俺も今のところ、姫歌と戦う理由はない。


「ねえ、健ちゃん。……私たち、戦わないですむよね」

 姫歌がおそるおそる言った。


「当たり前だろ」

 俺は答える。姫歌はきっと、この戦いの中でも味方でいれる存在だ。

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