第21話 妹はもう遠くへ


 三年前にいなくなった珠理じゅりは、一つ年の離れた妹だった。彼女は小さい頃から、気配りができる子どもだった。周りをよく見ていて、他人のために行動できる優しさも持ち合わせていた。


 年が一つしか離れていないということもあり、いつからか、俺が弟で珠理が姉のような逆転した関係になっていた。


 それでもやはり子どもは子どもで、くだらないことで喧嘩をすることもあった。

 あの事件が起きたのも、俺たちの喧嘩が原因だった。


 今から三年前。俺が中学二年生、珠理が中学一年生のとき。

 新しく買った漫画をどちらが先に読むかで争った。珠理も少年漫画が好きで、昔から俺の部屋の漫画をよく読んでいた。


 その日は、俺と珠理の好きな漫画の発売日だった。前の巻のラストで衝撃的な出来事が起こり、続きが気になっていた作品だった。二人とも、読むのを楽しみにしていた。


 自分の方がお金を多く出しただとか、普通は年下に譲るべきだとか、今にして思えばどうでもいいことだった。とにかく、俺と珠理はそんなささいなことで喧嘩をした。


 どちらも譲ることはなく、最後には力の勝負になる。するともちろん俺の方に分があって、珠理は涙目になりながら「バカ! もう知らない!」と、怒って家を出て行ってしまった。


 よくあることで、俺も母親もあまり気にしていなかった。いつも何時間かすれば、珠理は帰って来る。


 珠理が家を出て行ったあと、俺はその漫画を読んだが、あまり楽しむことができなかった。すっきりしないような、情けないような、なんとも言えない気持ちがあった。


 大人げないことをしてしまった。珠理が帰ってきたら謝ろう。そして、次からは珠理に先に読ませてやろう。俺はそう思っていた。


 しかし――そのまま彼女は忽然と姿を消してしまった。

 だから高校二年生になった今も、俺は彼女に謝ることができていない。


 珠理が家を出て行ってから六時間が経った。外は暗くなり始める。七時になっても、八時になっても、彼女は帰って来なかった。九時になると、さすがに俺も母親も不安になってくる。


 帰宅した父親は珠理が帰って来ていないことを聞くと、すぐに周辺を探しに外へ出て行った。


 仲の良い友達の家に泊まろうとしているのかもしれない。そう考えた母親は、心当たりのある数人の同級生の家に電話をかけた。しかしどこの家にも珠理は来ていないという。


 母親は、珠理のクラスメイト全員の家に電話することになった。担任の教師にまで連絡すると、学校側も協力してくれて、全校生徒の家庭にまで連絡が渡った。それでも珠理は見つからなかった。


 俺は珠理を探しに、彼女が行きそうな場所を回った。珠理の通っていた幼稚園や小学校、当時在籍していた中学校はもちろん、近所の公園や駅前のコンビニ、ファミレスなど、思いつく場所は全て探した。


 珠理の名前を大声で呼びながら、俺は息を切らして走った。近所の住民から迷惑そうな眼を向けられても、そんなことに構っていられなかった。


 珠理の行きそうな場所を探し終えると、再び最初からもう一度。それを十周くらい繰り返した。俺は日付が変わるまで、最後の方は泣きながら珠理のことを探した。


 俺のせいだ。俺が小さなことで意地を張ったから……。猛烈な後悔が押し寄せる。こぼれる涙を袖で拭った。俺に泣く資格なんかないのに──。


 背中を丸めて帰宅すると、ちょうど父親が警察に相談しているところだった。母親の顔は青ざめている。


 事件性が薄いと判断されたのか、人数は少なく小規模だったが、警察はすぐに捜索を行ってくれた。騒ぎに気づいた近所の人も、探すのを手伝ってくれた。


 しかし、珠理はどこにもいなかった。


 それから一年間、両親はビラを配ったりインターネットで情報を募ったりと、珠理のことを必死で探していた。


 しかし今では、もう探している様子は見せない。珠理のことは、家族の間では、少なくとも俺がいる場では話題にならない。


 けれどもたまに、母も父も悲しそうな顔を見せることがある。彼らは、わざと忘れているふりをしているのだ。娘のことなんて、忘れられるはずがないのに。


 両親は、一度も俺を責めたことはない。いっそ責められた方が楽になる。そんなことを何度も思った。


 おそらく、俺の存在がなかったら、今もまだ両親は熱心に珠理を探すことを続けていただろう。


 俺に責任を感じさせたくない。せめて今ある幸せを大事にして過ごそう。そんな両親の気持ちは、痛いほどわかっていた。


 俺さえいなければ、珠理は見つかっていたかもしれない。いや、そもそも行方不明になることもなかったんだ。


 珠理が行方不明になってからもう三年が経つ。見つかる可能性は、限りなく低いだろう。


 でも俺は、珠理がどこかで生きていると信じている。まだ見つかっていないのがその証拠だ。もちろん、そんなのは自分勝手で都合の良い妄想だってわかってるけど、そう思っていないと、ふとしたときに罪悪感に押しつぶされてしまいそうになる。


 珠理が失踪して一番悲しんだのは、おそらく両親でも俺でもない。姫歌だ。悲しみの大きさなんて測れやしないけど、俺はそう確信している。


 姫歌と珠理は仲が良かった。珠理は姫歌のことを姉のように慕っていたし、姫歌は珠理のことを妹のようにかわいがっていた。たぶん、男の俺には入れないような世界が、二人の間にはあったのだろう。


 だからこそ、珠理が行方不明になったとき、姫歌は俺たちと一緒になって必死に探してくれた。珠理が見つからない日々が続くと、次第に姫歌は落ち込んでいった。


 小学三年生のとき、一度取り戻したはずの姫歌の笑顔を、再び俺は奪ってしまったのだ。


 学校でも笑顔を見せなくなった姫歌をどうにかしたくて、俺はわざと明るく振る舞った。姫歌も、俺が無理をしてそうしていることを見抜いていたのかもしれない。


 わざと明るく振る舞っているうちに、自然と俺は笑顔を取り戻していった。姫歌にも少しずつ笑顔が戻ってくる。あの頃の俺と姫歌は、二人で分け合っていたのだ。悲しみとかつらさとか、そういったたぐいの感情を。


 結局、珠理が見つからないまま三年が過ぎて、俺は高校二年生になった。

 ふとした瞬間に心に空いた穴を思い出して、胸をギュッと締め付けられながらも、客観的に見ればそこそこ幸せな生活を送っている。

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