第8話 襲撃は夜にしないと
それから、鈍い音は数秒おきに三回繰り返された。
オトハの後ろを走っていくにつれ、大きく鮮明に聞こえるようになり、徐々に音の元へ近づいているのがわかる。
草の伸びた空き地の角を曲がり、広めの通りに出る。
前方から、闇に紛れて何かが向かって来る。
街灯はあるものの、切れかけているようで点滅を繰り返しており、向かって来るものをはっきりと視認することができない。
近くまで来て、やがてそれが人間だと気づいた。
何かから逃げるように走って来たのは、小柄な少女だった。今にも脚がもつれそうな、危うい走り方だ。
少女もこちらに気づいたらしく、オトハに縋るように抱きつくと、
「助けてっ!」
ほとんど絶叫と言ってもいいような、鋭い声で訴えた。
表情は恐怖と焦りで歪み、髪は乱れているが、どこかで見たことがある顔のような気がした。よく見ると、四つ葉高校の制服を着ている。リボンの色で、三年生だとわかった。
「来るぞっ!」
まだこの状況に戸惑っている俺に、オトハが一喝する。
そうか! この少女が逃げていたということは、追いかけている存在があるわけで……。
目を凝らして前を見る。闇から姿を現したのは、眼鏡をかけた男。
こちらも表情が歪んでいる。ただし少女の怯えた様子とは異なり、喜んでいるようだった。今にも甲高い声で笑いだしそうな印象。
ゆっくりした足取りで男が近づいて来る。上下ジャージ姿に、細い体躯が包まれていた。髪はぼさぼさで、頬は少し落ちくぼんでいる。
数メートルくらいの距離まで接近してやっと、高校生くらいの若い男だと判明する。それくらい近づかないとわからないほどに、男の顔は醜くひしゃげていた。まるで、何かに取り憑かれているかのようだ。
そして、この男の顔にも見覚えがあった。おそらく、同じ四つ葉高校の三年生。
「気をつけろ、健正。そいつは
俺だけに聞こえるように耳元で囁くと、オトハは少女を守るように前に一歩進み出た。
同時に、オトハの背後に隠れいている少女が、四つ葉高校の生徒会長だということを思い出す。
成績優秀で品行方正。非の打ちどころのない生徒だ。
そんな彼女が夜遅くに、私用で、しかも制服で出歩くとは思えない。おそらく、生徒会の仕事か何かがあって、その帰りなのだろう。
「何だ、お前らは! 邪魔をするな!」
男の、憎しみのこもった声音が、俺たちに向かって放たれた。
彼は、明らかに生徒会長を追いかけて、危害を加えようとしていた。それを、邪魔するななどと言われても素直に聞き入れることはできない。
「お願い、
生徒会長が叫ぶ。
その名前を聞いてピンときた。
真川
学力的な面で、有名大学への進学が期待されている。情報通の友人からそんな話を聞いたことがあった。
「止めないよ。さて、お前らも一緒に潰れるか?」
真川の胸辺りが、
俺のブレッサーと同じ光り方。相手が
ブレッサーの光に呼応するように、何もない空間からも同じ色の光が発される。
三、四メートルくらいの高さ。反射的に、俺は顔を上げた。
「死ねええええ!」
人間くらいの大きさの物体が、すぐ後ろの電信柱にぶつかり、俺の頭上に落ちてきた。
その場から慌てて下がる。物体は地面に激突して、鈍く大きな音を立てた。地面が少し揺れる。
降ってきたものは、円柱状の石油ストーブだった。
「避けるんじゃねえ!」
さらに追撃。同じようにストーブが落下する。
俺は通り魔のニュースを思い出した。硬いもので殴られたような怪我。夜に行われる犯行。四つ葉高校の生徒が狙われていて、学校でも注意を促していた。
その通り魔の正体は、目の前の
ニュースにも取り上げられていた通り魔事件の犯人、真川秀は、次々とストーブを発生させ、俺を狙い続ける。
乱雑にストーブを降らせてくる真川から距離を取るために、俺たち三人は走り始めた。
「キャッ!」
生徒会長の方へも攻撃が飛ぶが、彼女を抱えたオトハが上手く避ける。
さっきまで、そうやって生徒会長を一方的に追いかけ回していたのか。
心の底から熱いものが湧き上がってくる。無抵抗の一般人を傷つけようとする彼の行為は、決して許せるものではなかった。
「まずはこの子を安全な場所へ連れて行く」
逃げながら、オトハが俺に小声で言う。
「了解」と短く返す。
なるべく複雑な、曲がり角の多い道を選んで走る。
今は使われていないであろうボロボロの小屋を曲がり、一度真川の視界から外れる。オトハが生徒会長を連れて、次の角を左に曲がった。
俺はわざと道の途中に残り、真川の視界に入ったところで、オトハたちとは逆に右に曲がる。
「逃げたって無駄なんだよ!」
真川も俺の後ろを追って来る。よし、上手くいった。
そこからさらに数十メートル走る。おそらく、オトハたちはすでに遠くへ行っているだろう。
しばらく鬼ごっこを続けたところで、俺は鬼と対峙する。真川はかなり疲れているようだ。体力的にはこちらに分がある。
「ほう。女どもを逃がしたか。なら、お前だけでも潰す!」
再び鈍色の光と共にストーブが出現し、電柱にぶつかり跳ね返って、俺の頭上に落ちてくる。
攻撃を受けているうちに、疑問が生じてきた。どの攻撃も必ず、コンクリートの壁や街路樹など、何か障害物にストーブを一度当ててから標的を狙っているのだ。
ストーブの出現位置と反射させた場所さえわかれば、避けるのはそこまで難しくない。しかし、そうする理由がわからなかった。
そこで今朝、オトハが言っていたことを思い出した。
――
そうか!
だから真川は、
つまり、向こうはまだ、俺が
「死ね死ね死ねぇ!」
次々と降ってくる電化製品の雨を躱しながら、俺はひたすらに走った。
避けることはできる。が、一発でも当たれば致命傷は間違いない。確実に精神はすり減っていく。
冷汗が背中を伝う。重さのある物が地面に激突する音に、たしかな恐怖を抱く。
とんでもない戦いに巻き込まれてしまったことを、このときになって俺はようやく実感した。
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