第7話 夜間のヤな予感


 今日という日を振り返ってみる。

 朝目覚めたら、部屋に謎の少女がいて。そいつはフェリク人とかいう異世界の存在で、なぜか俺の家に住むことになって。


 知らないうちに、俺は変な戦いに巻き込まれていて。【布団が吹っ飛んだ】などという、この上なく残念な力を授けられて。


 その力で、登校中にベランダから落ちた子どもを助けて。

 学校でいつも通りの日常を送り、少しだけリフレッシュして。


 家に帰ったら、オトハは峰樹家に溶け込んでるし……。

 はぁ。何なんだよ一体……。


 とにかく、混乱と激動の一日だった。

 人生の中で最も濃密な日ランキングなんてものがあれば、間違いなく第一位に輝くだろう。


 明日起きたら全部夢ってことになっていればいいのに。

 そんな都合の良い願望を抱きつつ、俺はベッドに寝そべって漫画を読んでいた。時計の秒針が進む音と、俺がページをめくる音だけが聞こえる。


 ……喉が渇いた。

 何か飲み物が飲みたくなって、俺は部屋から出る。


 目の前には、今日から一時的にオトハが住むこととなった部屋がある。三年前に行方不明になった妹のものだ。


 部屋の明かりは消えている。すでに寝ているらしい。フェリク人も、人間のように睡眠は必要なのだろうか。同じように、食事や排せつなどはどうなのだろう。晩飯は普通に食べてたけど……。ちょっとした疑問だ。


 足音を立てないようにリビングに降り、冷蔵庫を開けてみるがめぼしいものは入っていなかった。


 眠れそうにもないし、買いに行くか……。

 日付はまだ変わっていないものの、警察に補導される時間帯ではある。まあ、近くのコンビニに行くくらいならばいいだろう。散歩も兼ねて徒歩で向かうことに決めた。


 一度部屋に戻って、財布とスマホをポケットに突っ込む。春とはいえ、夜は冷えるため上着を羽織ることも忘れない。


 ブレッサー……は、どうしようか。今朝みたく、能力ブレスが必要なシーンがないとは言い切れない。オトハにも、常に携帯しておくように言われている。短時間で帰って来る予定だが、一応持っておこう。


 ――夜遅くに出歩かないように。

 今朝の担任の警告。近辺で起こっている通り魔事件。思い出して、一瞬、躊躇った。


 きっと大丈夫だろう。そんな根拠のない楽観的思考で不安をかき消した。

 スニーカーを履くと、両親を起こさないように、静かに家を出る。


「どこへ行く?」

「ひぇあっ‼」

 玄関を閉めた瞬間、背後からの声。驚いて間抜けな声を出してしまった。


「安心しろ。私だ」

 後ろに立っていたのはオトハだった。まだ寝てなかったのか。というか、気配を消すのは止めて欲しい。


「……驚かすなよ。俺の動きを監視してたのか?」

 まだ心臓がバクバクしている。


「いや。そのブレッサーだが、位置情報が私に直接伝わるようになっている。これもフェリク人の持つ力の一種だ。もちろん、位置がわかるのは健正の持っているブレッサーだけだがな」


 ああ、それで俺が家から出たことがわかったのか。

「そういうことは早く言えよ」


「どこへ行こうとしていた」

 俺の苦言を無視して、オトハが問う。強めの口調だ。


「いや、ちょっと喉が渇いたから、飲み物を買いにコンビニに行こうとしてただけだ」

 責められる筋合いはないが、なんとなく悪いことをしているように思えて、俺は目を逸らして答えた。


「私もついて行く」

「お前も喉渇いたのか?」


「少し……悪い予感がしてな」

 初めて見るような、オトハの真剣な表情。


 何だか、本当に悪いことが起きそうな気がしてくる。通り魔の件もあって、徐々に恐怖心が湧き上がってきた。


 俺とオトハは、無言でコンビニまでの道を歩いた。

 気まずい沈黙と、夜特有の湿った空気が混ざって、何とも言えない雰囲気を作り出す。


 十分もかからずに、最寄りのコンビニに到着する。

 都心から多少離れた俺の家でも、二十四時間やっている店が歩いて数分の場所にある。とても便利な世の中だと思う。


「健正! この飲み物は初めて見るぞ。こっちの食品は何だ? やはり文化が違うと新しい発見が多くあるな」


 コンビニの棚をハイテンションで検分していたオトハは、カップルの客に不審な目で見られていた。


「ああもう! 大人しくしてろ!」

 あと俺の名前を呼ぶな! 恥ずかしい。さっきのシリアスなムードはどこへ置いてきたんだ。


 コンビニでお茶のペットボトルを無事に購入し、来た道を戻る。その途中、オトハはイチゴオレの紙パックを飲んでいた。


「なっ……なんだ、この飲み物は……。このとろけるような甘さは芸術的だ! 素晴らしい! 絶対に神界に持って帰るぞ! これ一つで間違いなく革命が起こせる!」

 適当に見繕って買ったものだったが、どうやらお気に召したようだ。


「そうか。良かったな」と、から返事で答える。でも革命は大げさだと思うぞ。


 ポツポツと街灯が光る道に、人の姿はない。元より空き地が多く、人口密度が低い区域だ。午後十時を過ぎた今では、輪をかけて人がいない。

 夜の匂いが辺りを支配していた。


「神界にはコンビニみたいなものはないのか?」

 沈黙がなんだか気まずくて、俺は適当な疑問を口にしてみる。


「あるぞ。ただし、売っているものもずいぶん違う。それに、レジは全て自動化されている」

 どうやら、向こうの世界の方が科学技術は進歩しているらしい。


「ふーん。ところで――」

 悪い予感って何だったんだ? そう訊こうとしたところで、夜の静寂を真っ二つに引き裂くような高音が聞こえた。


 一拍遅れて、それが人間の悲鳴だと気づく。その直後、何か重いものが地面に衝突するような、にぶい音。足を止めて、状況を把握しようと努めた。


「行くぞ!」

 俺が現状を理解し終えないうちに、オトハが音のした方を振り向いて駆け出した。


「おい!」

 慌てて俺もあとを追う。走りながら、例の通り魔事件のことが頭に浮かんだ。

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