第38話 秘めたイシは固いし強い
「うわわっ!」
アルマが落ちる。姫歌を追って、地面に発生した穴に自ら身を投じたが、空中浮遊を発動するタイミングを逃してしまった。
「キャッ!」
続いて、姫歌。二人の落下地点は同じで、姫歌がアルマのお腹辺りに重なるようにダイブした。
「グエッ!」
その衝撃に、アルマは潰れたカエルのような声を出す。
「いったたたた……。あっ、ごめんねアルマくん。重かったよね」
アルマの上にいることに気づき、姫歌はすぐに立ち上がる。
「ううん。大丈夫。全然重くなかったぜ」
アルマは親指を立ててそう言ったが、表情は少しつらそうだった。
「あはは。なにそれ」
「女性のこと、重いって言っちゃいけないって、舞澄に教えてもらったからな」
得意気に自分のパートナーのことを話す。
「へぇ。舞澄くん、そんなことまで教えてくれるんだ」
「舞澄はすごいんだ。いっつも女の子にモテモテなんだ」
まるで尊敬する先輩のことを話すように、嬉しそうにアルマは言う。実際、アルマにとっての舞澄はそういった存在でもあるのだろう。
「そうだね。私も舞澄くんがモテるのは認めるけど、初対面が最悪だったからなぁ……」
姫歌は、舞澄にカフェの代金を押し付けられたことを思い出して苦笑いする。
「姫歌は舞澄のこと、嫌い?」
「いや、別に嫌いってわけではないけどさ……」
まだ幼さの残るあどけない顔で尋ねられる。これでは、たとえ嫌いだったとしても肯定することはできないだろう。でもお金は早く返して欲しい。
「あ、そっか。姫歌が好きなのは健正だもんね」
アルマは無垢な笑顔で、爆弾発言を投下した。
「んんん? アルマくん、それは誰に聞いたのかな?」
ギギギと機械仕掛けの人形のように、姫歌の首がアルマの方を向く。
「トーマが言ってたんだ。って、姫歌? どうしたの? 目が笑ってないよ?」
アルマが怯えたように肩をこわばらせる。
「アルマくん、きみの記憶を消すためにはどこをどれだけ強く殴ればいいか、私に教えてくれるかな? ……トーマはあとで全力で殴る」
「わ、わわわ忘れた。もう忘れたから! その拳を下げて! それより、早くみんなと合流しないと」
「あ、うん。そうだよね」
別の誰かにもこの話が漏れている可能性があり、気が気でなかったが、余計な話などしている場合ではない。当の本人に伝わっていないことを願いつつ、気を引き締める。
二人は薄暗い部屋の中を慎重に歩き出した。
「この鏡、なんだろう」
壁際に、教室の黒板くらいの大きさのガラスが設置されているのを見て、アルマが言った。奥には土しか見えない。ただ単に、壁にガラスが埋め込まれているだけのように見える。
「さあ? 何か仕掛けがあるのかな」
姫歌は鏡をコツコツと叩いてみるが、何も変化はなかった。
引き続き、部屋の中を捜索する。
「誰か……いる」
前方に人の気配を感じ、姫歌は歩みを止めた。目を凝らすと、一人の男が足を組んで何かに腰かけているのが見える。
「永柄!」
アルマもその男に気づき、名前を呼ぶ。
「あの男が……」
姫歌は、彼を見るのは初めてだった。
「やあ。待ってたよ。アルマくんに、そちらの女性は……初めまして、でいいのかな? ということは、きみが
永柄はスッと立ち上がる。彼が座っていたのは、
眠そうな目に、長い手足。やせ細った身体は、レミナスの話を聞いた後だと痛々しく思える。
「健ちゃんたちはどこにいるの?」
表面上は怖気づくことなく姫歌は言った。しかし内心では、心臓が飛び出そうなほどに緊張している。
永柄の
そして何より、彼には
紺野環から健正をかばおうとしたときは、大切な幼馴染みがボロボロになっているのを見て必死だったが、あとから考えると無謀なことをしたものだと思っていた。
今もそうだ。やっぱり家で待っていればよかった。そんな考えもわずかにあった。しかしそれ以上に、
勝算などなかったが、姫歌は今、ここに立っている。
足手まといになってしまうかもしれない。健正たちに迷惑をかけてしまうかもしれない。ついて行くかどうか、最後の最後まで迷っていた。そして悩んだ挙句、純然たる正義感が
ただの自己満足と言われればそれまでかもしれない。けれど、姫歌は昔から、自分の気持ちに正直に生きてきた。猪突猛進なところが自分の長所だと思っていた。そうして、計画性がないという欠点をカバーしてきた。いまさら、そんな自分を曲げることはできなかった。
「今頃みんなも戦っているんじゃないかな。でも安心していいよ。そこまで強くないやつらだし。それに比べて、きみはとても運が悪い。俺のところに来てしまったんだからね」
「なら、私があなたを倒す!」
とは言ったものの、姫歌の
「元気でいいね。気概は認めよう。でも、それだけで勝てるほど甘くはないよ」
頭上に黒い光が発生し、姫歌を狙って石が落ちてくる。彼女はそれを横に避けた。地面が小さく揺れる。
直径二十センチ程度の石が、次々と姫歌に降り注ぐ。川にあるような少し大きめのただの石なのだが、位置エネルギーを得たそれは、十分に殺傷性を持っていた。
「どうした。なぜ
永柄は言いながら、攻撃を続ける。
「別に。使うまでもないから使ってないだけ」
姫歌は動揺することなく言った。弱い
「強気な台詞が出てくるのも今のうちだけだ」
永柄が吐き捨てるように言うと、より激しく、石の雨が降り注ぐ。
避けようとした先にも落ちてくるため、全て避けるだけで精いっぱいだった。
「危ないっ!」
アルマの叫びで、姫歌は足元に石にががあることを察知した。もう少しで
上ばかり見ていて気付かなかったが、永柄は落とした石を消滅させていなかった。
姫歌が足元の石を避けたことに対し、永柄が「チッ」と舌打ちをしたことからも、足場を悪くするために狙ってそうしていることがわかった。
永柄はまるで囲碁のごとく、じわじわと姫歌を取り囲むように、石を落としていく。
姫歌の動きを読みながら、永柄は
そして、ついに姫歌は足をもつれさせ、転倒してしまう。倒れた先にあった石に、膝を強く打ち付ける。
「いっ……」
「姫歌! 立って!」
アルマが涙目になって姫歌を呼ぶが、彼女は膝を地につけたまま立ち上がれないでいる。
永柄はゆっくりと歩いて姫歌との距離を詰める。
「なかなか粘ったと思うよ。でも、もう終わりだ」
表情を変えることなく、冷酷に言い放った。
姫歌は
永柄は首をかたむけて、簡単に避ける。
「なるほど。【アルミ缶の上にあるみかん】。それがきみの能力だね」
一瞬で
「実は、きみのデータだけは把握していなかったんだ。峰樹健正の幼馴染みで
「姫歌!」
アルマの声は、響いてすぐに虚しく消えていった。
「きみの負けだ。
姫歌の頭上に黒い光。
「まだ、負けてない」
首から下げたブレッサーを強く握りしめた姫歌は、永柄から目を逸らさなかった。それは、信じていたからに他ならない。
バリン、という何かが割れる音がした。壁に設置してあった鏡を思い出して、姫歌は振り向く。
現れたのは、猛スピードで飛来する一枚の布団と――
「遅いよ。健ちゃん」
姫歌が信じ、待ちわびた少年だった。
「悪い。遅くなった」
健正は乗っていた布団から降りて姫歌をかばうように立つと、永柄をキッと睨んだ。
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