第37話 トナカイと仲良い


「うーん。出られそうにないな……」

 舞澄は腕を組んで、自分が落ちてきた穴を見上げていた。その穴はやがて収縮を始め、塞がってしまった。


「別の出口を探そう」

 オトハが冷静に周りを観察する。しかし、ろうそくの明かりでは薄暗くてあまり遠くまで見えない。


 舞澄とオトハも、櫻子たちと同じようなつくりの部屋にいた。

「オトハちゃん、怖いかもしれないけど安心して。俺が守るから」

「はぁ。よりによって、こいつと……」

 オトハはため息をついた。


 最初に会ったときは気づかなかったが、舞澄の女性に対する態度は非常に気障きざったらしかった。こういうのが好きな女性もいることは知っているが、オトハにとっては鬱陶しいだけだった。とはいえ、これが舞澄の元来の性格なのだろう。諦めるしかない。


「ん? 何か言ったかい? 照れなくてもいいんだよ。今は二人きりだしね」

「うるさい。さっさと出口を探せ」

 オトハは冷たく応じる。が、変に取り乱す様子がないのはありがたかった。


「はいはい。出口ね。……あ、あれじゃない?」

 二人の目が薄暗さに慣れてきた頃、舞澄が部屋の反対側を指さして言った。壁の色とほとんど同じで目立たないが、そこにはたしかに扉があった。


「そうみたいだな。しかし、わざわざ私たちをバラバラにしておいて何もないとは考えにくい」

 オトハは警戒のレベルを引き上げる。


「その通りだ」

 扉の横からよく響くアルトの声が、二人の耳に届いた。


「うわっ⁉」

 よく見ると、そこには一人の女が立っていた。茶髪のショートヘアに、気の強そうな目。口は一直線に結ばれており、敵意をむき出しにしている。服装は白いTシャツにダメージジーンズと、全体的にワイルドな装いだ。


「この扉の先へ進むのは、アタシを倒してからにしてもらおう」

 彼女は一歩前へ進み出る。


「参ったな」

 困り顔の舞澄。人差し指で頭を掻く。


「どうした」

 オトハが言う。何かまずいことでもあるのだろうか。


「レディに攻撃するなんて、俺にはできない……」

 キリっとした真剣な顔で舞澄は言った。


「そんなこと言ってる場合か! というか、この前の戦いのとき、お前が金髪の女に体当たりしたの覚えてるからな!」

 オトハが舞澄の頭をはたく。


「いや、あのときはばあちゃんを助けるために必死だったし。彼女には悪いことをしてしまったと思って――」

「反省せんでいい! とにかく、今はあの女だ!」


「オトハちゃん、あんまり怒ると綺麗な顔が台無しだよ」

「誰のせいだ!」

 オトハは舞澄の脳天に勢いよくチョップを入れる。


「アタシは田添たぞえ千砂ちさ。高校二年生。さっさと決着をつけよう」

 舞澄とオトハのコントにイライラしたように田添は言った。ブレッサーが琥珀色に輝く。


「ちょ、短気な子だな……。俺の自己紹介は要らないの? なんなら電話番号も教えちゃうけど」

 舞澄が軽口を叩きながら構える。


「そんなものはいらん!」

 彼女のすぐ隣が同じように琥珀色に光ったかと思うと、二メートルくらいの動物が姿を現した。


 四本の細い脚と、木の枝のような角の生えた頭。鹿のように見えるが、その体は分厚い体毛に覆われていた。


「【トナカイと仲良い】。それがアタシの能力ブレスだ」

「へぇ。なんともカッコいい能力ブレスじゃないの」

 舞澄が呑気な調子で言う。


「なめるな! 行け! 終焉しゅうえん残響ざんきょう・ルシファー!」

「るし……ふぁー……?」

 舞澄が首をかしげるほどに、田添のネーミングセンスは壊滅的だった。


 中学二年生の自意識を煮込んでミキサーでかき混ぜたかのような命名に、オトハは身震いする。


 田添の指示に、ルシファーは「コオォォォォォォオオオッ!」と鳴き声を上げながら舞澄に向かって突進していく。自身につけられた痛々しい名前など意に介していない様子だ。


「角が生えてるってことは、オスだな! 遠慮なく攻撃できる!」

 舞澄が右手を掲げ、能力ブレスを発動する。


「お前のそのポリシーは動物相手でも発揮されるのか⁉」

 オトハが離れた場所からツッコミを入れる。


「無駄だ。野生動物の勘を舐めるな」

 田添が言うと同時に、ルシファーは横に飛んで、突進を続けながら舞澄の衝撃波を器用に避けた。


「なっ⁉」

 舞澄が驚きに目を見開く。


「それともう一つ。トナカイは雪を掘って餌を手に入れるために、メスにも角があるんだ」

 田添が得意気に説明する。


 舞澄はトナカイの角に跳ね飛ばされ、壁際まで転がった。

「ぐっ」

「舞澄!」

 オトハが叫ぶ。


「これくらい、なんてことないさ」

 舞澄は立ち上がり、終焉の残響と対峙する。


「コオォォォォォォオオオッ」

 再び突進してきたルシファーを、今度は直前で避けた舞澄は「これなら当たるだろ」と、至近距離で横から衝撃波を放つ。


 ところが、冬を越すために分厚くなっているトナカイの体毛によって、衝撃波は吸収されてしまう。


「何だと⁉」

 バックステップで後退しながら、舞澄は眉をひそめた。


 ルシファーは微かにバランスを崩したが、何事もなかったかのように、再び舞澄の方へ向かって来る。


「保温のため、トナカイの体毛には空洞がある。その程度の衝撃波など、蚊に刺されたようなものだ」


 ルシファーの攻撃は直線的で、躱すのはさほど難しくなかった。しかし、その威力を身をもって知った舞澄は、できるだけ早めに戦いを終わらせたいと考えていた。


「なら仕方ない。きみを狙うしかなさそうだ。不本意だけどね」

 ルシファーの攻撃を軽やかなステップで回避し、舞澄は戦闘前の自らの言葉を翻す。


 が、その攻撃は田添に届くことはなかった。彼女の正面に、二匹目のトナカイが出現したのだ。


「召喚できるトナカイが一匹だけだと、誰が言った?」

「何だとっ⁉」

「紹介しよう。破滅はめつ亡霊ぼうれい・クロノスだ」


「グォォォォォォォオオオオッ」

 クロノスが勇ましい鳴き声を上げ、舞澄へと突っ込んで行く。


「そいつは雄だから、遠慮なく攻撃できるぞ。まあ、あまり意味はないだろうが」

 田添が勝ち誇ったように言った。


 ルシファーとクロノス。堕天使と時の神。

 そんな二匹の時間差攻撃に、舞澄は地獄を見せられていた。


 攻撃を避けても、すぐに次の攻撃が襲い来る。もし当たってしまえば一巻の終わりだ。さらに、トナカイにこちらの攻撃は効かない。相性は最悪と言っても過言ではなかった。

 神経をすり減らして、その攻撃を避け続けることしかできないでいた。


「これしかないか……」

 舞澄が小さく呟き、何度目かもわからないトナカイの突進に対し、堂々と正面に立ちはだかった。


「おい! 何をするつもりだ⁉」

 オトハの声にも、舞澄は動かない。


「諦めたか」

 田添がニヤリと笑い、勝利を確信した瞬間――。


「捕まえた」

 舞澄は突進してきたトナカイの角をつかんでいた。

「何っ⁉」


 そのまま舞澄は宙に浮き、前進を止めないトナカイに押されるようにして、勢いよく壁にぶつかる。


「がはっ!」

 背中を強く打ち、口から血の混じった唾液が飛ぶ。しかし舞澄は、トナカイの角を離さなかった。


「まさか⁉」

 舞澄がしようとしていることを察し、田添の表情が焦りを帯びる。


「この角からなら、衝撃は伝わるだろ」

 角をつかんだ舞澄の両手が、臙脂色に光り――。

【朝食抜かれて超ショック】が、トナカイの体を駆け巡る。


 体躯を震わせると、トナカイは何が起きたのか理解すらできないまま、その場に倒れた。


「次はクロノス。お前の番だ」

 口の端から血を垂らしながら舞澄は言った。


「ふ。その傷だらけの体で何ができる。それに、そっちは終焉の残響・ルシファーだ。もう一度、今の戦術を使うか? そうすれば確かにルシファーには勝てるかもしれない。だが、お前の体はそれに耐えられるのか? 下手をすれば死ぬかもしれないんだぞ」


「口数がずいぶん多くなったね。もしかして、焦ってるのかい? それとも、俺を心配してくれてる?」

 舞澄が挑発する。

「黙れ! やってしまえ、ルシファー!」


 ルシファーは一瞬、倒れた仲間を見て怯えたように後ずさったが、意を決したように舞澄へ突っ込んで行く。


「さあ。俺の体が耐えられるかどうかの勝負だ。わかりやすくていい」

「止めろ! 本当に死んでしまうかもしれないんだぞ!」

 オトハの悲痛な声。


「大丈夫。死なないさ」

 舞澄は吹っ切れたように笑う。


「コオォォォォォォオオオッ」

 ルシファーが立派な角をを前方に傾けて、猛スピードで突っ込む。


「うおぉぉぉぉぉぉおおおおおっ!」

 舞澄が先ほどと同様に角をつかむ。背中から壁にぶつかると、その痛みに表情を歪ませた。


 臙脂色の輝き。衝撃を受けたルシファーは、体を地面に横たえた。

「勝っ……た」

 舞澄もその隣に倒れる。


「おい! 大丈夫か?」

 オトハが舞澄の元へ駆け寄る。


「ああ。なんとか。それより、まだ終わってない」

 うつ伏せのまま、舞澄は田添の方へ手を向ける。しかし、腕が震えて狙いが定まらない。


「くっ……。今回はアタシの負けだ」

 田添が扉のすぐ近くにあるボタンを押すと、壁に穴が空いた。隠し通路らしい。彼女はその穴をくぐり、どこかへ逃げようとする。


「く……待て!」

 舞澄が引き留めようとするが、まだ立ち上がることすらできない状態だった。


「永柄は、その扉の奥だ」

 田添は最後にそれだけ言うと、完全に姿を消してしまった。

 召喚されたトナカイも、いつの間にかいなくなっている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る