第19話 Girl eats sweets


 五月中旬、環にやられた傷もだいぶ良くなった。貴重なゴールデンウィークが潰れてしまったのは残念だが、深刻な怪我ではなかったのは不幸中の幸いである。


 俺は普段通り、四つ葉高校で退屈な授業を受け、友達と他愛のない話で盛り上がり、一般的な高校生として日々を過ごしていた。


 もちろん、能力者ブレストが襲ってくる可能性もあるため、警戒は怠らなかった。俺を含め、同じ高校に三人も能力者ブレストがいたのだ。四人目がいてもおかしくはない。


「特に連絡事項はないな。ああ、そろそろ中間テストだからしっかり勉強しろよー。それじゃあ解散!」

 担任教師が言うと、クラス中からため息が漏れる。俺もテストは嫌いだ。


 帰りのホームルームも終わって放課後。各々が部活動や委員会などへ向かう。

 俺は普通に帰宅しようと教室を出たところで、見知った顔に遭遇した。


「あれ、会長?」

 生徒会長、柏木清華先輩が廊下に立っていた。今日も制服を校則通り着こなしている。


 廊下は暑かったが、彼女の周りだけ温度が一度くらい下がっているような気がした。マイナスイオンでも振りまいているんじゃないかって思った。マイナスイオンが涼しいなんてのはプラシーボ効果による錯覚らしいけど。


 生徒会長ということもあり、校内でも有名な彼女の姿を見て、廊下を歩く生徒が物珍し気な視線を送ってくる。


「みっ峰樹くん! ぐぐぐっぐ偶然ですねっ!」

 なぜか会長はテンパっているように見える。


「はぁ。どうも」

 二年生と三年生の教室は階が違うため、偶然ではないことは明白だ。俺に何か用があるのだろう。適当に話を合わせることにした。


「これから帰るんですか?」

「そうですね。会長も帰りですか?」

 彼女は、よくぞ聞いてくれましたとでも言いたげに表情を明るくする。


「はい。実はこれから、お気に入りのカフェに行く予定があるのです」

「そうなんですか」


 カフェ。そんな何気ない単語も、彼女の口から出ると優雅な響きに聞こえる。さぞかしお洒落なカフェなのだろう。


「そうなんです。ただ、ちょっと困っていることがあってですね……」

 少し言いにくそうに視線を下げる。

「困っていること、ですか?」


 財布を忘れてしまったのでお金を貸してほしい、とかだろうか。いや、そんなことでわざわざ俺に会いに来ないか……。


「はい。先週、そこのカフェで新作メニューが発売されました。『甘さたっぷり幸せいっぱいのハピネスモンブラン』っていうスイーツなんですけど、今日はそれを食べるためにカフェに行こうと思ってるんです」


 真剣な表情かつキラキラした瞳で彼女は熱弁する。

 しかし、まだ話の本質は見えてこない。


「それなら、普通にそのカフェに行って、普通にそのメニューを頼めばいいんじゃないですか?」

 特段、困っているようには思えないが。


「実はですね。そのメニュー、なんとカップル限定なのですよ」

 たしかに、名前からしてカップル限定メニューっぽい。お互いにスプーンであーんとかするわけか。実にうら……くだらない。


「しかし、私にはお付き合いしている男性はいません」

 恥ずかしそうに、小声で言った。才色兼備の会長なら、言い寄ってくる男などいくらでもいそうなのに……。意外だ。


「でもそれって、別に本物のカップルじゃなくてもいいわけですよね。生徒会のメンバーとかに頼めばよかったんじゃないですか?」


「それも考えたのですが、生徒会の男子二人には、ちゃんとした彼女がいるのです」


「なるほど」少し生徒会に対する敵意が芽生えた瞬間だった。「それは頼めませんね」

 修羅場になる可能性だってある。いや、いっそ修羅場になってしまえ。


「はい。そこで峰樹くん。もしよろしければなんですけど、今からそこへ同行していたたただけないでしょうか」

 なんか『た』が二つくらい多いような気がする。テンパっているみたいだ。


「まあ、別に構いませんよ。特に用事とかもないので」

「本当ですか⁉ 嬉しいです! このご恩は一生忘れません!」


 会長は両手を胸の前で組んで、顔をパァっと輝かせる。

 そんな大げさな! まあ、嬉しそうだからいいか。


「ではさっそく行きましょう。少し歩きますが、大丈夫ですか?」

「はい。それは大丈夫ですけど……」


 俺なんかが一緒でいいのだろうか。

 柏木会長は生徒会長という肩書に加え、その綺麗な容姿で校内の男子の人気を集めている。


 そんな人と二人きりでカフェに出かけたなんて知られたら……。しかもフリをするだけとはいえ、カップル限定メニューを頼むなんて……。ああ、恐ろしい。誰にも目撃されないことを祈るしかない。


 そんなことを切実に願いながら、今にもスキップし出しそうな柏木会長の後をついて行くこと約十五分。


 俺の前に立ちはだかったのは、お洒落な女性向けのカフェだった。一人で来るのは絶対に無理。男友達が一緒でも遠慮したいレベルだ。


 ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆


 姫歌とトーマは、健正たちの後を尾行していた。

 偶然、生徒会長の柏木清華と並んで校門から出て来るところを見てしまったのだ。気になった姫歌は、トーマを呼び出して後をつけることにした。


「なによ健ちゃんったら、デレデレしちゃって」

「健正殿の隣を歩いているのは彼女でしょうか?」


「そんなわけないでしょ!」

「あまり大きな声を出すと気付かれてしまいます、姫」


「うるさいバカトーマ」

 姫歌の暴言に、トーマは首をすくめた。


「どうやら、あのお店に入っていくみたいですね」

 お洒落なカフェの前。二人は立ち止まり、自動ドアをくぐって店内に入っていった。


「私たちも行くよ」

「なかなかお洒落な店ですね」


 姫歌とトーマは、彼らが見える席に座る。健正からは見えない位置だ。柏木会長の視界には入ってしまうがやむを得ない。


 店内にはゆったりした音楽が流れていた。音量は小さかったため、健正たちの声を聴くことはできた。


「えっと、『甘さたっぷり幸せいっぱいのハピネスモンブラン』でお願いします」

 柏木会長がメニューを指さしながら注文する。


「あ、じゃあ、俺もそれで」

 健正も同じものを頼んだらしい。

「かしこまりました」


「『甘さたっぷり幸せいっぱいのハピネスモンブラン』……?」

 姫歌はメニューをめくって、彼らが注文したものを確認する。


「難儀な商品名ですね」

「何これ⁉」

 思わず大きな声が出てしまい、姫歌は慌てて口を押えた。


「む! どうしました?」

 トーマが覗き込んでくる。


「見てよ。ここ」

 姫歌が指で示しているのは『カップル限定メニュー』という文面だった。


「なるほど。つまり健正殿と会長殿は付き合――」

「止めて黙ってそれ以上言わないで殴るよ!」

 姫歌はトーマを睨み、耳を塞ぐ。


 姫歌はカフェラテを、トーマはティラミスを注文し、引き続き彼らの会話に聞き耳を立てた。


 健正が大学のことについて質問をして、それについて柏木会長が答えていた。進路について不安がある後輩と、頼りになる先輩という構図だ。雰囲気的にも付き合っているようには見えない。


 幸い、二人とも姫歌とトーマには気づいていないようだった。しかし、ただの先輩と後輩の関係ではないような気がする。二人の間に、姫歌の知らない何かがあることは確実だった。


 爽やかな好青年が話しかけてきたのは、健正たちのパフェが運ばれてきたときだった。


「やあ、お嬢さん」

 日本人にしてははっきりした顔立ち。全体的に綺麗に整っている。髪は明るめの茶色で、男性にしては少し長め。


 姫歌たちのテーブルの横に立って、笑顔を浮かべている。いきなり声をかけてきたことも合わせて、チャラそう、という印象を姫歌は抱いた。


「えっと、どなたですか?」

 警戒しつつも尋ねる。


「俺は小湊こみなと舞澄ますみ。高校三年生」

 名前を聞いたことも、会ったこともないはずだった。姫歌は警戒心を一段階引き上げた。


「何の用ですか?」

「いや、素敵な女の子に会ったら声をかけるのがマナーでね」

「はぁ」


「ああ、お世辞で言ってるんじゃないよ。よかったら、ここいいかな」

「ええ。でしたら、わたくしがこちらへ」


 姫歌は断ろうとしたものの、トーマが勝手に許可してしまった。向かい側に座っていたトーマが姫歌の隣に移動し、空いた場所に小湊が座る。


「ありがとう。それじゃ、失礼します」

 小湊は相変わらず胡散臭い笑顔を浮かべている。


「何か注文させてもらっていいかな。お腹が空いてるんだ」

 彼がメニューをめくり始める。その自由さに姫歌は呆れた。


 しかし、トーマがその隙に姫歌の耳元で囁いた。

「姫、気をつけてください。能力者ブレストです」

 姫歌はハッとする。たしかに、小湊の首には臙脂えんじ色のブレッサーがかけられていた。


 小湊は店員に注文をし、姫歌に色々と質問をしてきた。この戦いについては関係のないことばかりだった。


 姫歌は、適度に嘘を織り交ぜながら答えていく。健正と会長のことは、すでに頭から抜けていた。


 運ばれてきたロールケーキを数分で食べ終えた小湊に、

「あの、えっと……それ、カッコいいデザインですね」

 と、ブレッサーを指さして言ってみる。


「ああ、ありがとう。すごく大事なものなんだ」男は爽やかに微笑む。「でさ、聞こうと思ってたんだけど、これと同じアクセサリーを持ってる人、知らない?」


 心臓が大きく跳ねた。目の前の男は、能力者ブレストを探しているらしい。

 姫歌は三人の能力者ブレストを知っていた。健正と環、そして姫歌自身だ。


「高校一年生で、痩せてて、少したれ目の男なんだけど」

 小湊は姫歌の動揺には気づかずに続けた。


 誰も当てはまらない。どうやら彼が探しているのは、ある特定の能力者ブレストで、それは姫歌でも健正でもないようだ。思わず胸をなで下ろしそうになる。

「い、いえ。知りません」


「そっか。じゃあ、もし見つけたら教えて欲しいな。これ、俺の電話番号。よろしくね」

 小湊は姫歌に、十一桁の番号が書かれたメモを渡す。そしてウインクをすると、店を出て行った。


 姫歌の肩の力が一気に抜ける。

「誰を探してたんだろ、あの人。それに、もし見つけたらどうするつもりなんだろう」

「さあ、どうでしょう。しかし、戦いにはならずにすみましたね」


「あっ!」

「どうしました?」

「あの男、代金払ってない! しかも健正たちもいなくなってるし!」


「踏んだり蹴ったりですね」

「全部トーマのせいだからね!」

 完全に八つ当たりだった。


「なんと! よきにはからえ!」

「だからそれ使い方違うって言ってんでしょ!」

 姫歌は頭を抱えた。

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