第一章
第1話 美少女の微笑
ありきたりな容姿にありきたりな性格。趣味は漫画を読むことと、空を見てボーっとすること。
小学校も中学校も公立。小学校のときは水泳を習っていた。中学校のときはバスケットボール部に所属していた。どちらも、大していい成績は残せていないが、それなりに楽しくやっていた。
中学二年生のときに一度だけ、後輩の女の子から告白されたことがある。どうすればいいかわからなくて、そのときは断ってしまったけど、今では少し後悔してる。
受験ではちょっと頑張って、いや、かなり無理をして、地元ではまあまあ頭が良いとされる高校に合格した。
母親は専業主婦で、父親はサラリーマン。両親の不仲も家庭内暴力もない。色々と会話はするが、干渉し過ぎることもない。まあまあ幸せな家庭だと思う。
三年前のある出来事を除けば、の話だが……。
具体的な将来の展望はないけれど、それなりに楽しく、平和に生きていければいいと思っていた。
そんな、ごく普通の男子高校生である俺の日常は――。
四月のある日の朝――そいつが俺の部屋に現れたことで、粉々に砕け散った。
お腹辺りに重みを感じて、俺は目を覚ました。
カーテンの隙間から、眩しい太陽の光が差し込む。
それにしても、やけにお腹が重い。昨日の夜に食べ過ぎた? いや、そんなことはない。もしかして、金縛りというやつだろうか。
ぼやける視界に、人間大の影が映る。目を擦って、数回瞬きをした。視覚としての役割を取り戻した俺の目に、信じられない光景が飛び込んだ。
知らない少女が、俺の上にまたがっていたのだ。
「うわっ!」
腕の力でその少女の重みから抜け出し、後退する。壁に勢いよく頭をぶつけて、完全に目が覚めた。
俺が動いた反動でバランスを崩しかけた少女だが、後ろに手をついて完全に倒れるのを防ぎ、座り直した。
「起きたか」
女性にしては少し低めだが、よく透き通った声をしていた。
肩にかかるくらいのストレートの黒髪に、キリッとした目つき。シャープな輪郭も相まって凛とした雰囲気を醸し出している。美少女と言って差し支えない程度には綺麗だ。女子高で後輩にキャーキャー言われそうなタイプ。
身に付けている丈の長い紺色のワンピースは、襟の部分だけが白くなっている。
パッと見た感じ、年齢は俺と同じか少し上くらいだと思う。
「だ、誰だお前は!」
幽霊……?
「私はオトハ。お前のパートナーだ」
腕を組んで、わけのわからないことを言い出す始末。わかったのは少女の名前だけだ。それだって偽名かもしれないけど。
「なんだよ、パートナーって。意味わかんねえよ」
オトハという名前、声と容姿。それらを検索窓にぶち込んでみても、ヒットはゼロ件。少なくとも俺の方は、初対面であることは間違いない。
「
「だから、意味わかんねえって! パートナー? 戦う? それに、何で俺の名前を!」
一体、何が起きているのだろうか。
ここは俺の部屋で間違いない。いつも通りの景色だ。このオトハとかいう謎の少女の存在を除けば。
まだ夢の中にいるのだろうか。でも、意識ははっきりしている。
「峰樹健正。男。十六歳。誕生日は八月六日、しし座。血液型はA型」
彼女は何も見ることなく、俺の個人情報をすらすらと暗唱する。
「え、ちょっ……」
「
そこまで言って、やっと口を閉じた。
「なん……で」
全てその通りだ。いや、最後のは余計な情報だろ。調べればそこまで労力をかけずに判明することばかりだが、調べる理由がわからない。
まさか、ストーカーだろうか……。驚きのみで支配されていた心に恐怖が芽生える。
「まもなく、大小さまざまな危険が日本を襲う。しかし、お前にはそれに立ち向かう力を手に入れることができる」
真剣な顔をしながら、言い聞かせるようにオトハが言葉を紡ぐ。
スケールもでかいし、具体性に欠ける内容。そんな、テレビで占い師や予言者が口にするような何の根拠もない台詞も、彼女が言うとなぜか説得力がある。
「知らねえよ、そんなこと! 俺に言われてもわかんねえよ! とにかく、ここは俺の部屋だ! 出てけ!」
つい怒鳴ってしまった。
人間は、自分の理解を超えたものに畏怖の念を抱く。目の前の少女は、まさしくその対象だった。これ以上関わりたくなかった。
しかし少女の方は至って冷静だ。俺から目を逸らすことなく、余裕のある表情を保っている。
「少し混乱しているようだな」
当たり前だ。目覚めたらいきなり部屋に知らない人間がいる状況で、混乱しないヤツなんかいないだろ。
「とにかく出てけよ!」
明らかに不法侵入だし、警察を呼んだりとか、そういうことをすればよかったのかもしれない。
しかし何が何だかわからなくなった俺の中では、得体の知れないものを追い出すことが先決だった。
「仕方ないな」とため息。「また来るぞ」
そう言うと、オトハは窓を開けて飛び降りた。
「二度と来るな! って、おい! ここは二階だぞ⁉ 何考えてんだ!」
ストーカーだったとしても、俺に関係のあるところで勝手に怪我をされるのは困る。
急いで窓に駆け寄って下を覗くが、誰もいない。近くを見回してみてもそれらしき姿は見当たらなかった。
すでにキャパシティを超えた俺の脳は、深く考えることを放棄した。
窓を閉め、壁にもたれるようにしてベッドに座り込む。
はぁ、心臓が止まるかと思った。なんなんだよいきなり……。
そのまま、十分くらい動けなかった。
朝の静けさの中で、徐々に落ち着きを取り戻していく。
彼女は何だったのだろう……。たしかに重みはあったし、幽霊的な何かではないと思う。
危害を加えようとしている感じでもなかった。もしそのつもりがあれば、俺は今ごろ刺されているはずだ。
――お前は私のパートナーに選ばれた。一緒に戦ってくれるか?
――まもなく、大小さまざまな危険が日本を襲う。しかし、お前にはそれに立ち向かう力を手に入れることができる。
どうすればよかったのだろうか。そして、これからどうすればいいのか。俺は何一つわからなかった。見知らぬ少女が自室にいたときの対処法など、誰も教えてはくれない。
ラブコメとかだと、そのまま同居生活を始めてしまうのが王道だが……。現実では色々と無理がある。
とりあえず、何もなかったことにしよう。まだ混乱の収まらない頭では、そんな応急処置が精いっぱいだった。
いつもより早く起きることになってしまった。かなり時間的には余裕がある。もう一度寝ようとしたが、完全に目がさえてしまって寝付けない。
日常を取り戻すために、いつも通りのことをするべきだろうか。朝ごはんを食べようと思い、階段を下りてリビングへ向かう。
ガラガラと音を立てて、引き戸を開ける。そこに広がっていた光景に、俺は目を疑った。
「なっ⁉」
ソファに俺の母親が座っている。そこまでは当然だ。問題はその正面。テーブルをはさんで母親と向かい合っていたのは、先ほどの少女、オトハだった。
オトハは、数分前の横柄な態度とは打って変わって、ソファに足を揃えて座り、下を向いてしおらしくしている。
「いきなりおしかけてしまってすみません。でも、ここ以外に当てがなかったんです……」
何の話だ?
「そうなの。それは大変ね」
まだ寝間着姿の母は、眉を下げて相槌を打っていた。
「母さん⁉」
そこでやっと俺に気づいたらしく、
「あら、おはよう。ちょっと聞いた、健正? この子、両親が夜逃げして、住む場所がないんですって?」
同情するように言った。
知らん。なんだその設定は……。今作っただろ。
「そうなんです。今頃きっと、私の家はヤのつく人たちに占領されてしまっていると思います。うっ……。それで、健正くんなら……助けてくれると思って……っ」
オトハは両手で顔を覆って言葉を詰まらせる。絶対にウソ泣きだ。
「健正くんには、いつも学校で相談に乗ってもらってて……。どうにかしてくれるかなって思って来たんですけど……いきなり迷惑でしたよね。すみません……」
相談なんて乗ったことはないし、学校で見たこともない。そもそもお前とはさっき初めて会ったばかりだ。嘘で塗り固められた彼女の言葉に、俺は唖然とする。
「わかった。わかったわ、オトハちゃん」
母は両手を胸の前で合わせて、身を乗り出した。
「え?」
オトハが、涙など一滴も流れていない顔を上げて、上目づかいで母親を見る。
「しばらくウチに泊まりなさい。いや、しばらくなんてケチなことは言わない。いくらでもいていいわ。むしろ、ウチの子になっちゃう?」
母親が目を輝かせてオトハのことを見ている。
「え、いや、それは……」
さすがにオトハも戸惑っている。ザリガニを釣ろうと思ったらマグロが釣れてしまった、みたいな感じの驚き方。
「ちょっと、母さん?」
そして、戸惑っているのは俺も同じだ。
「部屋が一つ余ってるから、そこ使ってちょうだい。健正の隣ね」
いや、ちょっと待ってくれ。
「……いいんですか?」
いいんですか? じゃねえよ! ダメに決まってんだろ!
だって、その部屋は――。
「もちろん!」
母さん!
俺は頭を抱える。比喩表現ではなく、実際に。……頭痛がしてきた。
しかし残念ながら、この家のことに関しては全て母親に決定権がある。俺は潔く諦めることにした。
「あ、ありがとうございます! それでは、お言葉に甘えて、お世話になります!」
戸惑いながらも、オトハがその提案を受け入れる。
本当に同居生活が始まることになってしまった。
「健正、オトハちゃんに変なコトしたら絶縁だからね!」
母親が厳しい目を向けてくる。
「しねえよ!」
顔を赤くして否定した。
こうして俺は、謎の少女、オトハと一つ屋根の下で暮らすことになった。
外では鳥がさえずっているし、近所の奥様方がゴミ出しついでに高い声で喋っている。テレビからは、近所で起こっている連続通り魔事件のニュースが流れている。
そんないつも通りの俺の日常に、非日常が転がり込んできた。
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