第3話

クムは、落ち着かない様子で部屋に居た。部屋の椅子に座ってみたかと思えば、また立ってみたり。部屋をウロウロと歩き回り、また椅子に座ったりを繰り返している。扉の近くで待機している女官は、そんなクムの様子を訝しげに眺めていた。


椅子に座り、また、ウロウロしながら、クムはカヤの部屋で会った女のことを考えていた。思い返してみると、女は非常に美しかった。真っ白な背中と、それに沿うようにまとめられた黒い髪。その行く筋かは、真っ白な背中に線を描くように流れていた。クムの腕を掴んだ手は細く長く、簡単に折れてしまいそうだった。あと少しはだければ、見えてしまいそうな胸も魅力的だったが、それ以上に女の瞳にクムは心を奪われていた。そのクルリとした大きな瞳は、琥珀のような薄い部分と濃い部分が混じった茶色で、今更ながらもっとじっくり見つめてみたいと思うのだった。


「クム様、カヤ様とお嬢様が参りました」

女官が呼び掛けるとクムは

「そうか。お前たちは、外へ」

と、部屋に居た女官たちを部屋の外へ出した。女官たちが、部屋の外へ出たことを確認すると、急いで椅子に腰かけて、机に置いてあった分厚い書物を開く。そして、さも読んでいたような素振りをした。

「クム王子、入りますよ」

カヤが、部屋の外から呼び掛けた。クムは息を整え、書物から目を上げずに

「どうぞ」

と答えた。


「あら。書物を読んでおられたのですか?お邪魔でしたら、また後日伺いますが」

カヤが心配そうに尋ねると

「いえいえ。ちょうど休憩しようかと思っていたところなのです」

と、クムは答え、パタンと書物を閉じた。その様子を見て、カヤは頬笑む。そして、隣に居る女に目配せすると、女は両手の平を胸の前で握り合わせ、お辞儀をして両膝を着き、再び立ち上がった。この挨拶の方法は、この国の最も丁寧な挨拶の方法である。女がする一つ一つの動作をクムは見つめた。静かな部屋の中で、女の動作に合わせた着物が擦り合わされる音だけが響く。その様子は、しなやかで美しく、まるで神事のようだとクムは思う。挨拶を見届けてから、カヤはクムに女の紹介をした。

「この者は、フェイと申します。私の友の娘なのですが、友は亡くなってしまい私が親代わりとして、この娘を育てているのです。私がこの緑宝宮に居る時には、私の実家で暮らしておりましたが、今回、また緑宝宮に戻る際、共に連れて参ったのです」

フェイという娘は、挨拶の後もずっと目を伏せ、クムを見ようともしなかった。クムはフェイからカヤに目線を戻す。そして、和やかな会話が始まった。

「そうですか。ところで、母上のお加減はいかがですか?ご実家では、十分に休養に休養できましたか?」

「まあまあ。母上だなんて。もう、その呼び方はお止めください。母のように慕ってくれるのは、非常に有り難いのですが私は母では無いのですから。『カヤ』か、『叔母』とお呼びくださいね」

カヤは、微笑み目を細める。その柔らかな様子につられ、クムも笑顔になる。

「小さい頃から母に代わり、私を育ててくれたのです。母上と呼んでも可笑しくはないでしょう?それに、呼び方を急に変えろと言われても、慣れ親しんでいるのでなかなか難しいですよ」

「しかし、貴方は次期王になられる王子なのですから。王の側室の私を母と呼んでは誤解が生じるでしょう」

カヤは、ふふふっと笑いながら続けた。

「先程は、驚いてクムと呼び捨てにしてしまいましたが、私もクム王子とお呼びせねばなりませんね」

先程の話題が出たことで、クムはバツが悪そうな顔をする。そして、フェイを見た。わざとフェイを無視するように話を進めていたのだが、フェイはまったく堪えていない様子だ。目線を下げたまま、じっとしている。その様子から、フェイがこの場に居るのを不快に思っていることは、感じられる。ハァと溜め息をつき、クムは椅子から立ち上がった。そして、フェイへと近づき、前で立ち止まる。

「おい」

呼び掛けても、フェイは目線を下げたまま動かない。

「おい」

もう一度呼ぶと、フェイは不服そうに顔を上げた。フェイとクムの目が合う。クムは、フェイの強い眼差しに少し怯んだが、言葉を続けた。

「先程は、悪かったな」

その言葉を聞き、フェイは少し驚いた表情になる。その表情の変化に、今度はクムが少し驚く。そして、慌てて

「まぁ、男の様な言葉遣いは直した方が良いことは、確かだがな」

と付け加えた。


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