【番外編】姉が結婚することになりまして。


どこの姉も同じようなものとは聞きますが。

うちの姉ほど、暴力的で理不尽で鈍感で、が上手い者はいないでしょう。 


「お父様!青葉!わたくし、結婚する事に決めました!」

「…え?」

「ち…父は認めんぞー!」


穏やかな昼下がり、立花家を襲ったのは姉の結婚話でありました。






「お前は未だ16歳だろう!?早い!早すぎるぞ!」

「お言葉ですが、早いことなどございません。わたくしの通う女学校では、卒業式に婚約者が出席しない事の方が異常なのです!」


こんにちは。

立花青葉たちばなあおばと申します。


「それなのにわたくしには縁談のひとつも来ないではないですか。この家はまるで世間様に置いていかれているのです!」


そう声高に叫ぶのは、今帰ってきたばかりの三葉みつばです。

俺の実姉であり、母のいない立花家の紅一点…と言いたいところですが、残念ながらこの姉はそのような言葉が似合う女ではないのです。


「まず周りの淑女と違って、お見合い話さえ来ないという事実をちゃんと受け止めてだな…」

「青葉。何か仰いました?」

「いえ…」

「駄目だ!父は認めんぞ!大体何だ!お前はそんな周りに流されるような女じゃないだろう!」


父のその言葉に、成る程確かにと姉を見ます。

この姉がそのような殊勝な心を持っているとは思えません。


「ええ。確かにわたくし、他人などなめくじ程度にしか思っておりません。結婚への意欲は皆無でしたし、卒業後は家事手伝いや適当な仕事に就くなどすれば良いと思っておりました。ですが、今回ばかりはそんな悠長に構えていては先を越されてしまうのです!」

「今さらっととんでもないこと言ってたな…」

「1秒でも急がなくてはなりません!鷹之助様が、他の女狐のものとなってしまう前に!」

「たかのすけ…?」


突然登場した男性名を前に、父はぽかんと口を開けています。

ところが、そのような人物のお名前に、俺にはひとりだけ心当たりがあったのです。


「…それって伊月呉服店の?」

「青葉!分かるのですか!?」


父に向けていた視線をぱっと外して、姉がこちらを向きました。


「誰だその男は!三葉!お前と一体どういう関係なんだ!」

「お父様、五月蝿い」

「う、うるさ…!?」

「青葉。何故鷹之助様の事を知っているのです?」

「いや…この前、脱輪した馬車を戻すのを手伝った話はしただろ?」

「ええ」


その馬車がたまたま、伊月呉服店のものでして。

乗っていた方は配達途中の従業員でしたが、鷹之助さんは律儀な男性で、それを聞き付けお礼にとお菓子をご馳走してくれました。

その内に仲良くなったのです。

すると、姉に厄介払いされ落ち込んでいた父が、突然手を打って顔を輝かせました。


「あっあの老舗呉服店の若社長か!確か先代が急逝されて若くして継いだんだよ。けど本当に良く出来た好青年だから、話題に上がっ、た…」


自分で言いながら、恐る恐る姉の方を見ます。

姉は瞳をきらきらさせて、ぼーっと宙を眺めていました。


「さすが鷹之助様です…!三葉の見る目に間違いはこざいませんね」

「だっ駄目だ駄目だ!認めんぞ!一体その小僧とどこまでいったんだ!」

「まあお父様。邪推はお止めください。わたくし、鷹之助様のことは本日初めてお見かけしたのです。店先で高齢のご婦人に手助けをされていて、そのご慈愛と麗しい容姿に一瞬で心を奪われました」


その言葉に、父はほっと胸を撫で下ろしました。


「なんだ。結婚するなんて言うからびっくりしたけど、三葉が勝手に恋に落ちただけの話なんじゃないか」

「む…。何か不都合でも?」

「ふん。どうせ三葉なんて小娘は相手にされないもんね」

「初恋を迎えた娘に何て事を仰るのですか!わたくしは決めたのです!さっさと縁談を組んでください!」


また騒ぎ出す父と姉を横目に、俺は腕を組みます。


「うーん…」


この件に関しては、俺も父と同意見です。

姉が恋に落ちたお相手は、伊月鷹之助いつきたかのすけさんです。

老舗呉服店の店主であり家柄は抜群、美男な上にそれを鼻にかけることなく誰に対しても優しいと評判の男性です。

そんな男性と姉が結婚するには、切っ掛けを作ることさえ難しいでしょう。


「伊月呉服店の若社長はお見合いを全部断ることで有名だからね!まず縁談を通す事さえ不可能だよ!」


そうなのです。

父の言う通り、そんな素敵な男性を世の中の女性が放っておく筈ないのです。

鷹之助さんの結婚の意志は薄く、星の数ほど来る縁談は全て断っていると聞きました。


「ふむ…ならば少し策が必要ですね」


だが、父も俺も忘れていました。

姉は、一度決めたらそう簡単に諦める女ではないことを。






「本当に実現させるんだもんなあ…」


空はよく晴れ、桜吹雪が舞う、清々しい程のお見合い日和です。

人混みに紛れ、鷹之助さんがこちらに駆け寄ってきました。


「青葉。遅くなってすまない。今日は頼んだ」

「はい…。すいません。無理を言ってしまって。…姉と会ってくれだなんて」


話しながらふたりで、姉の待つ場所まで移動します。

まさか本当に、鷹之助さんが来てくださるとは。

俺の頭に、今回の作戦指揮者の顔が浮かびました。


『良いですか。両家の父母を交えるような、強制力も敷居も高いお見合いは間違いなく断られるでしょう。この三葉、他の女と同じ轍は踏みません』

『かといって、ただの挨拶ではわたくしのこの思慕は伝わりません。鷹之助様の優しさと律儀なところに漬け込むのです!この策で鍵となるのは、青葉!貴方です!』


姉の立てた作戦は、「敷居の低さを全面的に押し出した縁談を恩のある青葉から提案する」というものでした。

まず、姉が鷹之助さんに好意を持っていることは伝えつつ、弟が世話になっているお礼を兼ねて挨拶がしたいと言っていると誘い出します。

大切なことは、決して重い雰囲気は出さず、あくまで「後々断りやすそうな縁談」だと認識させることらしいです。

さらに恩人であり仲の良い俺から言うことで、拒み辛くさせると。

そうして見事に鷹之助さんは釣り上げられました。

言い方のせいか、どうも悪事を働こうとしている気分になります。

いえ、あの姉を紹介しようとしている時点で、悪魔にこの方を売ろうとしていると言っても過言ではないのかもしれません。


「いや…だが、お姉さんには申し訳ないが、あまり良い返事は出せないと思う。それだけは心に留めておいて欲しい」

「ええ、ええ!勿論です!今日はただ俺と遊びに行く位だと思って来てくだされば良いと、姉も言ってましたから!」


弟とは悲しい生き物です。

それでも上官の命令通り、敷居を下げつつ目的地まで標的を誘導するだけなのです。


「あっ、あれが悪魔…じゃない、姉です」


橋の近く、桜の木の下に、いつになく緊張した表情の三葉がいました。

念入りに施した化粧と、箪笥を引っくり返して選んだ一張羅の着物が、今回にかける想いを表しています。


「……」

「鷹之助さん?」

「…いや、その…」


鷹之助さんが突然黙ってしまいました。

俺が声をかけると、我に返ったように反応します。

するとこちらに気が付いた姉が、橋から離れ寄ってきました。


「初めまして。鷹之助様でいらっしゃいますね。姉の立花三葉と申します」

「…初めまして」

「弟がお世話になっているようでして…。ご挨拶が遅くなりまして申し訳ありません」

「いえ。そんなことは…ありません」


あらまあ。

姉の顔をまともに見ることもせず、はた目に見ていても分かるほどの素っ気なさです。

確かに、鷹之助さんのような方は、気軽に女性に優しくすると勘違いされてしまうのでしょう。

この後は偶然を装ってふたりきりにする予定になっているのですが、これでは時間の無駄と言っても良いのでは。

残念ながら姉の初恋は、儚く散ってしまったようです。






「絶望です…」


俺の想像通り、家に帰ってくるなり三葉は外出着を脱ぎ捨て畳に倒れ込みました。


「鷹之助様…わたくしの顔など殆ど見てくださらなかった上に…笑顔のひとつも溢されなかった…」

「どうだったー?ちゃんとふられてきたー?」

「……」


父の挑発的な言葉にも、睨むだけで何も返しません。

仕方がないでしょう。

今回は相手も悪かったのです。

初恋は実らないものと言いますし、これを機に、姉には人生にはどうにもならない事があると学んで欲しいところです。

そうひとりごちる俺の耳に、玄関の鐘の音が入ってきました。


「お願いします。わたくしは寝ます。ふて寝です」

「はいはい」


未だ姉をいじり足りなそうな父を引っ張り出し、玄関へと向かいます。

ところが扉を開けた瞬間、俺は驚きに包まれました。


「鷹之助さん…?」

「青葉」


そこに立っていたのは姉が先ほど失恋したお相手でした。

俺を見て一瞬顔が緩みますが、背後の父を視界に入れた瞬間、直ぐに険しい表情へと変わります。


「突然申し訳ありません。三葉さんの御尊父様でいらっしゃいますか?」

「えっはい…」

「本日、三葉さんとお会いしました伊月鷹之助と申します」

「はい…存じております」


答えながら、父がこちらをちらりと見ました。

それに目配せを返しながら、この時、俺と父の想いはただひとつでした。


(三葉は一体、どのような無礼を働いたのか!?)


あの姉には散々驚かされては来ましたが。

わざわざお見合い直後に相手が訪ねて来るなど前代未聞。

あれほど温厚な鷹之助さんがそうまでするのです。

腸が煮えくり返るような怒りと苦情を抱えているに違いありません。

そこまで考えごくりと唾を飲み込むと、父も同じ考えに至ったのか、今までに見たことがないほど真剣な顔で振り返りました。


「青葉ァ!いくらかかっても良い!謝罪のお品をご用意しろ!」

「ああ!あの猿も叩き起こしてくる!親父は土下座の準備を!鷹之助さんは中に入ってお待ちください!」

「いえ。三葉さんのお耳には入れない方が良いかと。そして都合も考えず押し掛けてしまったのは私ですから、本日は玄関先にて失礼する所存です」


普段くだけた関係の俺にまで、この言い様です。

表情もいつになく固く、これは相当怒っているのでしょう。


「一刻も早く、申し上げたいことがございまして参りました」

「はい!姉は一体どのような失礼を…!?」


失言程度ならまだ良い方なのです。

感情が暴走して鷹之助さんの股ぐらに手を入れたなど、実質的な被害が出ていた場合は大惨事です。

あの猿なら十分有り得ます。


「三葉さんのお気持ちにお変わりがなければの話になりますが…」


ペコペコとあかべこのように首を振る俺たちを、鷹之助さんは覚悟を決めたように見据えました。


「結婚を、申し込ませて頂きたいのです!」

「……え?」


緊張した面持ちの鷹之助さんから発せられた一言は、いちばん予想していなかった言葉でした。


「娘が申し訳ありませんでした!」


父に至っては、未だ頭を下げています。






うちの姉ほど、暴力的で理不尽で鈍感で、が上手い者はいません。


「そんな女をわざわざ選ぶとは、鷹之助さんは、本当に見る目がある…いててて!!」

「嫌味を言うような子に育てた覚えはありませんよ。大体、わたくしの猿の物真似が見れなくなったら悲しむのは貴方です」

「見れなくて良いよ…」


暴力的な姉につねられた頬が痛みます。

俺の言う猿真似とは言葉通り、猿の物真似です。

三葉はそのものではないかと実弟が疑うほど、猿の形態模写が得意なのです。

ええ。

とてもではありませんが、結婚を控えた花嫁が特技にして良いものではございません。

それでも、本日の姉は、白無垢姿に綿帽子をかぶり、唇に真っ赤な紅を引いております。


「まさか今さら、鷹之助さんから快い返事が頂けるとは思っておりませんでしたが…」

「……」

「良いのです。例え気の迷いでも、好いて頂けていなくとも、結婚すればこちらのものですから。お父様も観念したようですし」


全くもって、おおよそ新妻になる者の言うことではありません。

こんな女をわざわざ選ぶとは、本当に鷹之助さんは見る目が人です。


「三葉」

「鷹之助様!」


紋付き袴を着た旦那様の登場に、姉はころりと態度が変わりました。

その変貌と言えば、それはもう鳥肌が立つほどです。

そんなことを考えていると、姉はこちらを見て、くすりと笑って口を開きました。


「お父様のこと、よろしくお願いしますね」

「え…」


姉の言葉に、この場に父も居たことを思い出します。

恐る恐る隣を見れば、今にも溢れんばかりの涙を溜めて、顔を真っ赤にさせた、はち切れそうな父がいました。


「親父ィ!駄目だって!我慢して!」

「うう…」


今日はあちらのご家族も親戚もいますから、こんな顔では恥ずかしくて表に出せません。

そうして父を宥めていると、鷹之助さんと共に部屋を出ていこうとする姉と目が合いました。


「ウキィ」


すると俺にしか聞こえないぐらいの声量で、顔の前にそっと手を出すのです。

またそんな事をして。

鷹之助さんに聞かれたら、どう言い訳するつもりなんですか。


「……」


本当は、全部知っているのです。俺は。

姉の猿真似は、母親が居ない寂しさに泣く俺を、笑わせる為に始めたのです。

俺が泣きそうな時はいつだって、恥も外聞も捨てて、あんな10代の乙女が極めてはいけない物真似をしてくれたのです。


「…う」


知っているのです。俺は。

縁談は、山のように来ていたことを。

本当は毎回、父と俺で断っていたんですよ。

本人は気がついていませんでしたが、姉は評判の美人でしたし、何より一本筋の通った厳しくも優しい姉の事を好きな者は少なくなかったのです。

けれどどんな男だって、姉には相応しくないですから。


「いや、だ…」


知っているのです。俺は。

俺自身が、嫁になんて行かないで欲しいと、ずっとずっと望んでいた事を。

いつか結婚するであろう事は分かっていたのです。

でも、まさかこんなに早く、あっという間に行かなくても良いじゃないですか。


「ねえっ、ざんっ!」


涙と鼻水が頬を伝って、喉がぎゅっと締まります。

今の俺は、きっと父よりも酷い顔をしているのでしょう。

だってだって、仕方ないではないですか。

俺は本当は、姉の事が大好きなんですから。

まだまだもっと、傍に居て欲しいのです。


「はい!」


でも、元気よく返事をして振り向いた姉の顔を見て、俺の我儘は消し飛んで行きました。

その笑顔は今まで見たどんな時よりも幸せに溢れていて、どんな姉よりもいちばん綺麗だったのです。


「……」


知っているのです。俺は。

あの縁談の日から結婚の申し込みが姉の元に行くまで、半年以上期間があったことを。

鈍い姉は今さらお見合いの返事が来たのだと思っていますが、そんな男を父が許すはずないでしょう。

鷹之助さんは、姉と結婚すると決めたあの日から、毎日毎日1日足りとも欠かすこと無く、渋る父に会いに来ていたのです。

姉の事を手放したくない父が、やっと許可を出したのが半年以上先だっただけなのです。

嵐の日など、あれほど女を選り取りみどりな男性が、その綺麗なお顔にびっしり木の葉を付けて現れた時は、一体何をしているのだと思いましたね。

そうです。そうですよ。

ええ。

全ては姉と結婚する為です。

嫌になるぐらい真面目で、嫌になるぐらい姉の事が好きで、絶対に姉を幸せにしてくれる男性なんですよ。

ならば俺が言えることは、たったのひとつしか無いではないですか。


「じっ…しあわせにっ…なれよぉ!」


うちの姉ほど、暴力的で理不尽で鈍感で、が上手い者はいないでしょう。


「勿論です!」


そして、世界でいちばん素敵な姉なのです。

そんな女をわざわざ選ぶとは、義兄さん。

貴方は本当に見る目があります。











1か月後にまさかその姉に、義兄から性生活事情を聞き出せと命令されるとは思ってもみませんでした。

姉さん…。

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