銀河を救った伝説のSPY

 ヴォルグストラフは、リエフとの邂逅の後に訪れた疑問に考えを巡らせた。


 爆発と同時に映像が途絶えたのをたしかに確認した。万が一の不発に備え、起爆コードを二つ電子回路に仕込ませていた。周囲に散らばる艦隊諸共、惑星を灰燼に帰するほどの高威力。計画に抜かりはなかった。だのに、なぜこいつがここにいる?


 ――いや、待て……


 ヴォルグはここで重要な誤りに気付いた。


 ――我はまだ……


 人間の脳は、己にとって都合の悪いことを真逆に修正する性質がある。映像が途絶えた原因が、爆発によって生じたものと思い込んでしまったのだ。


 ――爆発をこの目で確かめていないッ。


 心の奥底で鳴り潜めていた怒りの炎が突如として燃え上がり、を呪い殺さんとばかりに睨めつける。


「貴様、何をした……ッ」


 ヴォルグの本名は、オルドヌグ・ゲレティヒ・ヴォルグ・フェブレッツ。彼の正体は、皇室の側近として代々仕えている、名門フェブレッツ家の嫡子であり、リエフの親友で元銀河警察IMGF不可能作戦銀河部隊のトップスパイである。


 リエフは彼の問いに答えるように、小型端末を操作してエアリアルイメージを上空に浮かび上がらせた。無数の銀河警察の船団が散らばっている中心には、無傷のフリートス星が映し出されていた。その状況を目にして狼狽えるヴォルグに、リエフは淡々とこう告げた。


「こうなる事も予期して、隠し回路にを掛けておいた。敵の脅威であったあの抑止力はとうの昔にハリボテだ」


 ヴォルグがウィルスチェックをせずに犯行に及んだのは、爆弾が未開封であったからであった。功を焦ったが故の痛恨の落ち度である。


「我はまたしても、貴様の手の内で転がされたということか……ッ」


 リエフへの恨みがさらに募り、噛み締めた口の端から青い血が滴り落ちた。しかしヴォルグには、もうひとつ腑に落ちないことが残っていた。それは、この場所が特定されたことである。


もなしに、どうやってここへ来た」


「それについては、それがしが説明いたしましょう」


 ヴォルグの目に映りしは、特徴的な声色の主。彼の問いに手を挙げたのは、第二皇女のルチェアであった。


 ルチェアは守田の背中に抱えられた状態のまま語り始め、この船のルート権限を奪い、アクセスログを解析してフリートス星近郊にワープした事を大まかにヴォルグに説明した。その話を聞いたヴォルグは意を決した顔でレイブレードを起動させ、鋒をリエフに向けてこう言った。


とどのつまり直に手を下せということか。抜け、リエフ。ここで因果の決着をつけるッ!」


 断罪の言葉と共に繰り出された諸撃はリエフの首から上を跳ね飛ばす疾風の如き一閃。ところが、ヴォルグは寸前のところで軌道を変えた。理由はリエフから毛程の戦意も感じなかったからだ。凶撃となるはずだった渾身の一撃を、右腕を斬り飛ばすだけに留めた。


「お父様ッ!」


 リエフは駆け寄るプレアを斬り落とされなかった側の手で突き飛ばした。リエフの体から轟々と立ち上るプレアデスブルーのオーラにプレアが息を呑む。


「この戦いに、断じて水を差すことはならん……ッ」


 父親から敵意を持って牽制されたのは生まれて初めてのことであった。リエフが苦痛に顔を歪め、青黒い血が噴き出る肩口を押さえながら片膝をつく。


「なぜ応じぬ。よもや死のうとしたのではあるまいな」


 リエフはエレメントを使って切り株のようになった右肩口の治癒に努めながら、真意を測ろうとしてきたヴォルグに心の内を語りはじめた。


「お前が拘束され、敵の頭領が直接交渉を持ちかけたとき、それに応じず総攻撃を仕掛けたのは私の判断だった。組織の名を上げるためだけに多くの惑星を侵略し、罪の無い人々を奪い殺したあの非人道的行為を確実に終わらせる絶好の機会だった。長年追ってきた敵の本陣が割れたその瞬間を逃すことはどうしても出来なかった。故に……」


 リエフが吐露したのは、旧グレイ旅団を壊滅させた時の真相であった。だがヴォルグは、言葉を尻すぼませるリエフに、今さら何を言っても無駄といったように鼻で笑い、こう言った。


「捕らえられても当局は一切関知しない、か……フッ、それがゴーストプロトコル組織に存在しない者として扱う規定を発動させた釈明か? 笑わせるな。貴様の犬であったとき、何度部下の尻拭い救出作戦に駆り出されたと思っている! 問答無用で弾丸を撃ち込まれる鉄火場の檻の中で、拷問してきた奴が今際の際に我に何をほざいたと思う? 家畜としての利用価値を示せたな、だ。どうした、ここは笑うところだぞ。だ」


 ヴォルグの恨みの籠った述懐はまだ続いた。


「故に、そいつの死体を盾に戦禍を逃れた我は誓いを立てた……次こそは必ずと。さて皮肉にものは貴様だ。そのままこうべを垂れ、後に訪れる混沌の首謀者として銀河中の民に詫びながら逝け。形骸化した時代遅れの風習に踊らされ、を下された我に懺悔しながら砕け散るがいい!」


 リエフはこうなる事を覚悟していた。それが死に追いやった相手とは露程にも思わなかったが、報いを受ける日がいつか訪れるとそう思っていたのだ。リエフが首をもたげたところに、ヴォルグは動じることもなく光刃を振り下ろした。これで復讐劇の幕が閉じる、と、そう思っていた。別の角度からやってきた青い斬撃に、その一撃を食い止められるまでは。


「フン、懲りもせず父の命に背くか小娘」


 プレアは、片腕を失っても尚、頼もしい攻撃に感嘆を覚えつつ、黝い光刃を押し返しながらヴォルグに訴える。


「銀河を救った英雄が、こんな事をしてはいけない!」


 ヴォルグは、プレアがかつて憧れを抱いていた存在であった。リエフとの会話でその事を確信したのである。プレアは、光刃が苛烈に拮抗する狭間で、畏敬に萎縮した心を奮い立たせてこう言った。


「貴方の功績は、今でも私たちの星で伝説として語り継がれている。父から何度も貴方の話を聞いた。敵の本拠地を叩くために、敵の有力な情報を得るために、たったひとり戦地へと赴き非業の死を遂げた英傑譚。聞くたびに胸が躍り、焦がされ、最後は悲痛に包まれる、決して色褪せる事のない物語。けれど父は、断じて貴方の死を認めなかった……極秘裏に捜索活動を続けている事も私は知っていた。銀河を救った伝説のSPYは今も尚、父が誇る友であり、私が唯一影を追った英雄!! ……だからッ、こんな事はもう、終わりにして……」


 青い光刃が消失すると共にプレアの手からレイブレードが転がり落ちた。黝い刃が容赦無くプレアの細い首元に向けられる。


「その程度の寸劇にこの我がほだされるとでも思ったか? 愚かなる姫君よ」


「やめろヴォルグ! 娘に手を下した瞬間、貴様は永久に友ではなくなる」


「ほざくなリエフ。我にとってこの娘は路傍の石と等価。貴様の時ほど容赦はせんぞ」


 敵意を込めた睨みでリエフを黙らせ、プレアにその目を滑らせてこう語る。


「さて、話の続きだ小娘。あいにく我は貴様が焦がれる童話の英雄に非らん。お涙頂戴の筋書きにはこれまでことごとく没を下してきた身だ。高が十数年生きた程度の小便臭い小娘ごときに我の何が分かる? いいか、この物語は、だ。端役の声は決して耳に届かぬ」


 プレアは首筋にもどかしい痛みを感じながら、短くこう言った。


「勘違いも甚だしい」


「……なに?」


 その言葉にヴォルグが光刃を近づける手をピクリと止めた。余談は許されぬ状況に変わりはないが、プレアは怯まずにこう言った。


「銀河の平和を維持できたのは、犠牲になった先人たちと、その意思を受け継いだ後人たちが努力した上に成り立っている。に終わらされるものではない!」


 プレアの言い分に意表を突かれたヴォルグは怒りを抑えながらレイブレードを振り上げる。


「崇高なる我の思想を単なる妄想と切り捨てるか。終幕だ、端役が散り際に吐くセリフで締めろ」


 プレアは、ヴォルグの射抜くような視線を真っ向からはね返すように睨みつけ、こう言った。


「あの世に逝くタイミングは自分で決める」


「フ、なんら捻りもないセリフ。あの世に逝ってせいぜい芸を学び直すといい、子煩悩の父親もすぐに送ってやる」


 斬首台の如く振り下ろされた黝い光刃に、プレアの脳天が打ち砕かれる――、


 はずだった。


 そうならなかったのは、刃が振り下ろされる瞬間に紋様を発動させ、


「なん、だと……ッ」


 プレアの決死の行動にヴォルグは動揺を禁じ得なかった。エレメントで両手を保護しているとはいえ、光刃を素手で受け止めるのを目の当たりにしたのは、生まれて初めての事だからだ。されど、何事にも限界は訪れる。双手からジリジリと全身に流れ広がる痛みは時を追うごとに増幅され、次第に力が奪われていく。そんな過酷的状況にも心折らず、意地を貫いたのは理由があった。


 決して譲れないものがあったからだ。


「当時の惨劇を目の当たりにしたはずなのに、貴方は闇に心を奪われ、多くの罪と犠牲を積み重ねた。かの惑星の者を弄び、仲間の死も厭わず、檻の者までも私怨に巻き込み蹂躙した……ッ。銀河に平和と安寧をもたらす切っ掛けを生み出した貴方が、誰よりもそれを望み、志願して敵地に赴いた貴方が……ッ、数多の命を救った貴方が旅団と同じ事をしているのが私はどうしても我慢ならないッ!! ……だから、計画を阻止してやった……フフ、ざまあみろ。儀礼がなに? 妄執した結果がこれ? フフ、私なんてIMGFに入った時点でとっくに覚悟を決めている。だから、こうして便……フフフ」


 プレアは苦痛に耐えながら、虚勢の笑みを浮かべた。限界が訪れ、紋様が消えかけようとしたまさにその時、ヴォルグが釣られるように笑いだし、口からこう漏らした。


「フッ……フハハハハッ、なるほど、どうりで父親の言う事に背くわけだ」


 そして、プレアにとっては長い一瞬の後、黝い光刃は収められた。プレアが解放された手を抱えてうずくまる。程なくしてヴォルグはこう言った。


「聞け、跳ねっ返りの小娘。のは貴様の弱みだ。だがそれは、同時に強みでもある。己を信じた結果を今は誇るがいい……受け取れ」


 と、手に持ったレイブレードの柄を投げよこし、プレアは痛みの残る手でそれを受け止めた。ヴォルグは、そのまま背を向けて歩き、橋詰に立った。


「ヴォルグ、一体なにを……まさかッ」


「動くなリエフ。そこから一歩でも近づけばこの船を爆破する。今度こそ故郷は無事では済まんぞ」


 ヴォルグは駆け寄ろうとしたリエフをその一言で静止させた。手に握るのは、この船に仕掛けた爆弾の起爆装置。復讐が完徹した時点でそうするつもりであったのか、万が一のための保険であったのかは定かではないが、ヴォルグもまた、こうなる事態も予想しつつ、覚悟を決めていたのだ。


「やめろ……私に二度もお前を失わす気か……ッ」


 ヴォルグは後ろ髪を引いてくるリエフに、全てから解放されたような落ち着き払った声色でこう告げた。


「フッ、どの道、罪人として裁かれる命。けじめは自分でつける……。友よ、貴様と星の弥栄いやさかを祈る」


 そして、潔く、奈落の底に身を投げた。

 未練のない、旅立ちであった。


 リエフは、一寸先にはいたはずの、友の抜け殻を見つめながらこう思う。


 どんな任務でも引き受けてくれた友に、慰労する事も出来なかった。平和をもたらしてくれた友に、拝謝する事も出来なかった。ようやく会えた友に、友としての顔も見せる事も出来なかった。


 これが、任務に見合わぬ報酬を与えた代償か。

 後悔だけが残る、後味の悪い別れだ。


「友よ、すまぬ……」


 リエフが肩を震わせよろめいたところを、プレアが後ろから支え、ゆっくりと床に座らせた。ルチェアが守田の背から飛び降りてその場に駆けつけ、リエフの肩口に回復促進剤を投与して、斬り取られた腕の縫合に取り掛かろうとした。だが、リエフはその申し出を拒絶した。


「父上、本当によろしいのですか?」


「ああ、十字架を背負うには、片腕だけで十分だ」


 リエフが顔を上げたそこにはプレアが立っていた。ヴォルグに託されたレイブレードの柄を両手に握りしめ、とても申し訳なさそうにしている。


「お父様……約束を守れなくて、ごめんなさい」


 結果的に事を収束させたとはいえ、このような結末は、プレアの予想を遥かに超えていた。父親に、両方を救ってみせると豪語した自分を心の底から恥じている。リエフには、そうしたプレアの心情が手に取る様に読み取れていた。ルチェアに支えてもらいながら立ち上がり、優しくこう答える。


「お前はよくやってくれた。今だけは、を誇りなさい」


 リエフの視線の先には須賀理たちがいた。親子のやり取りをあたたかい目で見守っている。


「さぁフォローラ、お前が愛した地球の友を紹介しなさい」


 その一言でプレアは相好を崩し、二人を連れて来てリエフに紹介した。ルチェアもそこに加わり、身振り手振りを交えて面白おかしく彼らの武勇伝をリエフに伝えた。娘たちの朗らかな顔を見て、リエフは心の底から安堵した。年相応にはしゃぐ自慢の娘たちである。


 ひと通りの紹介を終え、フリートス星を案内すると言って仲間内で騒ぎはじめた段階で、リエフは気まずそうな面持ちで須賀理たちにこう告げた。


「話の腰を折るようで申し訳ないが、今回の件は緊急事態の側面があり、貴君らを巻き込んでしまったのはこちらの落ち度であるが、不干渉区域に指定された星の者と、これ以上の接触は……」


 話の途中で察した守田が口を挟む。


「チッ、よーするに、用が済んだらとっととウチに帰れってことだろ? ったく、いい歳こいて奥歯に物がはさがった言い方してンじゃねーよ」


「……本来であれば、地球の英雄として讃え歓待せねばならぬところだが、そういうことになる」


「お、須賀理きいたか? 俺たち英雄だってよ」


「うっほ、やったー! 曲折浮沈に複雑多っ岐、色々あったけどここまで苦労して来た甲斐があったってもんだよ。よーし皆の者、宴の準備じゃあ!」


「はぁ? お前ほとんど何もしてねーだろ。寧ろ妨害してた側の人間だったンじゃねーかって疑いかけたぐらいだぜ」


「ハッ、これだから素人は困る。観測したものが全てだと思わないでいただきたい。つまり、見てないところで色々してたの!」


「あーはいはい、そういう事にしといてやるよ。まぁとにかく、お前にとっては残念な話だが……宇宙の大冒険はここで終いだ」


「えー! せっかくここまで来たのにそれはないでしょ! ねーもうちょっとだけいいでしょ、おじさん!」


 守田が、困り果てるリエフに問い詰める須賀理を黙らせる。


「ダダこいてンじゃねぇ! 我慢しなきゃならねーのは、俺たちだけじゃねぇだろが……」


 彼らは同時にふたりを見た。プレアたちは先程とは打って変わり、天国から地獄に叩き落とされたような表情で下を向いていた。


 四人ともいつかはこうなる事を予測していた。抗う事の出来ない時が、ついに訪れたのである。


 守田はルチェアの側に寄って屈みこみ、彼女の頭に手を乗せてこう言った。


「お前とは何てっか、こう、馬が合うって言うか……。出会ったときはぶっ飛んだガキに出会っちまったなって思ったりもしたけどよ、お前といると退屈はしなかったぜ。……っと、そうだ、下のオッサンどもの処遇頼んだぜ。あと、バッパにもよろしく伝えといてくれ、それと……とにかく色々と世話になったな、ルー」


 ルチェアが下を向いたまま訥々と話しはじめる。


「貴方は、余の初めてを奪いました。それが、どういう意味を持つのかを、存じておりますか?」


 守田の頭の中でルチェアと口づけを交わしたあの一件が蘇る。予め不可抗力である事を説明して事に及んだはずだが、ルチェアも同じ思いで受け取ると思うのは、たしかに傲慢な話である。守田は、しどろもどろになって弁解の言葉を口にした。


「あ、あれはよ、お前も弱ってたし、その、緊急処置で仕方なく、つい……」


「我は天の川銀河を統べる皇室の第二皇女であるぞ! 代々伝わる契りの儀式をよんどころなき戯言で済ますは非礼千万! 其方でなくば首を叩き斬っていたところぞ!」


 守田に烈火の如く捲し立てたルチェアの瞳から、滂沱として涙が流れていた。ルチェアは引きつけを起こしながら、必死になって言葉を紡がせる。


「あの時交わした約束を覚えていますか! 余が地球に行ったら押っ取り刀で駆けつけないと承知しません! 身持ちの悪い女子おなごと逢瀬を交わすものなら言語道断! 容赦なくペルセウスアームの最果ての髑髏星どくろぼしで液体ヒ素の大海原に突き落とします! うわあん、うわああん、余は貴方のことを、うわああん、余は、貴方のことが……ッ」


 守田がルチェアの頭の裏に手を回し、そっと胸に引き寄せる。


「次会えるまで、その言葉は取っとけ」


「次とはいつの事ですか! 明日ですか! 明後日ですか!」


「いつになるかは約束できねーが……そう遠くない未来に、お前を貰いに行くことだけは約束してやる。それまでお互い我慢だ、な」


 この上ない嬉しさと、切なさで、胸がいっぱいになったルチェアは、守田の胸に身を任せ、声が枯れるまで泣き崩れた。


 須賀理とプレアが顔を合わせて向かい合っている。

 

 プレアは何かを言いかけては口を閉じる仕草を繰り返し、須賀理に思いの丈を言いあぐねていた。須賀理はそこで、ある事に思い至り、制服のポケットから家の鍵を取り出し、付けてた小物を外してプレアに差し出した。


「花ちゃん、これ欲しがってたよね……はい、あげる」


 それは、時坂市の花である菜の花をイメージしたキャラクター、ナナたんのキーホルダーであった。少し綻びてはいるが、プレアがいつも欲しそうにしていた物である。


 プレアは目を輝かせてそれを受け取ろうとするが、父親の存在を思い出して、取りかけた手を引っ込めた。思い止まったのは理由があった。銀河法で、不干渉区域の物を私的に持ち帰ることが禁止されているからだ。プレアはおずおずと伺い立てる目で父親を見た。須賀理がその状況を察して、不貞腐れ顔でリエフを糾弾した。


「うわ何このおっさんケチくさっ! ふーん、あっそう、いいよ別に。そんな堅いこと言うんだったらここに居座って宇宙中を旅するまで帰ってやんないから。あとおじさんの写真インスタにアップして銀河の秘密とかバラしちゃうから」


 銀河警察総監を形無しにする無礼な物言いにプレアは肝を冷やすが、リエフはやれやれといった表情でそれを認める。


「フォローラ、有難く受け取っておきなさい」


「うは! やったね、花ちゃん!」


「うん、一生大切にする! ずっとずっと大切にする! でも、恵子にお返しする物……」


 須賀理はプレアの気持ちを汲み取りこう言った。


「ボクは花ちゃんにまた会えただけで満足かな。それ見て、時々ボクの事を思い出してね。あーあ、ホントはもっと一緒に遊びたかったんだけどなぁ……あっ、うそうそ、泣いちゃダメだってば!」


 プレアの瞳から、我慢していたものが次々とこぼれ落ちる。


「だって……私も遊びたい。恵子ともっと一緒にいたい」


「そんな顔しちゃダメだよ、ボクも悲しくなっちゃう……」


「だって、恵子と離れたくないもん! 一生離れたくないもん!」


 須賀理も我慢に耐えきれず、同じように涙した。


「じゃあ約束して。いつの日か、また会いに来るって、約束して? ね?」


「やだ、ずっと一緒にいる! 一生ずっと側にいる!」


 ――ボクだって、ずっと一緒にいたい。でもそれが叶わぬ願いだということはわかっている。だから――、


 須賀理は涙を拭いながら決意を固め、口内に分泌された甘酸っぱい唾液を飲み込み、プレアにこう告げた。


「だからね……、、記憶を消して」


 須賀理はこうしなければならない事を理解していた。プレアもそうしなくてはならない事を理解しているが、全力でそれを拒絶した。


「いやだ!」


「ボク知ってるよ。海外ドラマの受け売りだけど、こういうの地球人に見られちゃまずいんでしょ? だから、」


「いや! 離れるなんて絶対いやぁ!」


「ボクだってイヤに決まってるよッ!!」


 須賀理の憤る表情を目の当たりにしたプレアの情動の一切が静止した。プレアにとって、一度も目にしたことがない友の光景である。須賀理の瞳から堰切るように涙が流れ出し、喉の震えを抑えながら彼女はこう言った。


「ボクだってずっと一緒にいたいのに、なんで自分ばっかりワガママ言うの? 離れ離れなんて絶対イヤなのに、せっかく10年ぶりに会えて、これから沢山遊べるって思ったのに……でもッ、しなきゃいけないことがあるんでしょ! この宇宙を……この銀河を守るのが、プレ子の使命なんでしょ!!」


 プレアの心に須賀理の言葉が深々と突き刺さる。須賀理は気持ちを落ち着け、今度は優しくこう語った。


「ボクね、地球の外側がこんなもに綺麗だなんて、はじめて知ったんだ。図鑑とは比べ物にならないくらい、不思議な色した星の洪水と七色の星雲。ボクが見たのはホイミスライム型とアトラル・カ型の二種族だけど、きっとどこかに沢山いるはずの宇宙人。それと、夢にまで見たとってもおおきな銀色の宇宙船。まるで映画の世界にでも入っちゃったみたいですっごくワクワクした。思ってたのと全然違ってた。つまりね、花ちゃんのおかげで、ぜんぶ夢、叶っちゃった……ありがとう、花ちゃん」


 須賀理は溢れ出る涙を袖で拭い取り、


「だからね……Xファイル部部員ナンバー03、プレ子特別捜査官。今から、最後の任務を言い渡します」


 その言葉を聞いた瞬間、プレアの瞳から感涙が溢れ落ちた。須賀理がようやく、正式に部員として認めてくれたのだ。感極まり、無言で頷くプレアの手を取り胸に当て、須賀理は優しくこう言った。


「ボクの記憶を、消してください」


「……はいッ」


 そして、プレアを胸に抱き寄せ、両手で優しく包み込む。


「これは、次に会った時に絶対すぐに花ちゃんのことを思い出すっておまじない。そんで次こそは、其処が何処であれ、ずっと花ちゃんの側にいるって約束する。Xファイル部部長の名に賭けて、誓っちゃう」


 ――この銀河で一番、私のことを愛してくれている地球の友。彼女がいたから、これまで辛い事も耐えることができた。


「うん。ぜったい、ぜったいに、思い出してね、けいこ、」


 ――彼女に会える事を夢見て、今まで頑張ってこれた。彼女に出会わなければ、今の私は存在しない。本当にありがとう、恵子。


「今度は絶対誰にも文句を言わせない。約束する。だから、それまで……」


「うん、私も約束する、じいやにもお父様にも文句を言わせない、だから……」



 バイバイ、大好きな花ちゃん。


 また会おうね、私の初恋の人。



 ………

 ……

 …


 4月10日午後9時6分

 時坂市 菜の花畑秘密基地


 肌寒さを覚え、急かされるように目を開けた。


 虫の声が暗闇の中で僅かに響いている。嗅ぎ慣れた、緑の匂いと、菜の花の匂い。視力の戻った目の先には星が見え、黒い草木のフレームがその端を覆っていた。


 ここが外であることに思い至る。


「え、ここは何処。私はだあれ……」


 須賀理はゆるりと上半身を起こして辺りに目を配ってみた。星明かりに照らされた無数の菜の花が夜風に揺れていた。見慣れた場所である。ここは――、


「て、ここ秘密基地じゃん! え、てかなんでここにいる? どういうこと? まさか、開花しちゃいけないスキル、パラソムニアが発動しちゃったとか……え、手?」


 思わず握りしめていた生暖かい物を拾い上げてみると、それは人の手であった。よく見るとそれは、同学年転校生の守田俊雄の手であり、彼は隣で壮大にいびきをかきながら眠っていた。その安らかな寝姿を見ていると、なぜか得も言われぬ苛立ちが募りはじめた。


「新米のくせにいつまでグースカぶっこいてんだモルダー捜査官! いいかげんに起きろー!」


 激しく揺さぶりを受けた守田が何事かと目を開き、辺りの様子をザッと見て、寝ぼけ口調でこう呟く。


「え? なんでお前こんな所にいんの?」


「こっちが聞きてぇんだよ! たく、異常事態が発生してるってのに上級エージェントを差し置いて呑気に寝てられるとは一体どういう神経をしてるのかね君は。うわ、よだれ。きったなぁーッ」


 須賀理にそう指摘された守田が、バツの悪い顔で制服の裾で口元を拭い、盛大な欠伸をかきながらヨロヨロと起き上がる。


「で? 何してんだよこんな所で」


「だからー! ……ハァ、もぅいい。気づいたらここにいたの」


「ふーん、つーか俺たちお前の兄貴ンとこ行かなかったか?」


「そうそれ! でもその辺の記憶が曖昧って言うか、ぼやけてるって言うか、行ったのか行ってなかったのか……うーん。ねぇ、ダメ元で聞いてみるけど、ボクたちってさー……なんか歴史に残るようなすっごい事しなかった?」


「ああ、そりゃあれだ! プレアの星に行って、でっけー宇宙船に乗り込んでお前を……」


「はぁ? 何ぞそれ。キッモ。てか、君から宇宙船ってパワーワードが出てくるとか思わんかったし。てかプレアって誰やねん?」


「……誰だっけ?」


「うわでたー若年アルツ。ダメだ、こいつ完全にボケてる。モルダー、あなたやっぱり専門的な医者に見てもらった方がいいわ、それも今すぐ! ……ハァ、悔しいど君に聞いたボクが馬鹿だったって認める。きっと悪い夢でも見たんだよ、今の忘れて」


「……なぁ、冗談抜きで、俺たち何か大事なこと忘れてねぇか?」


「うーん……あ、そんな事よりもホラ、見てあれ、すばる!」


 須賀理が指差した西空の一点に、青白く光る星の集団が見えた。


 肉眼では六つほどしか確認できないその星の集団は、地球から遥か443光年離れた、牡牛座の首のあたりに位置する散開星団であり、その名を、和名を昴。欧米では、プレアデスと呼んでいる。


 胸がとどろくほどに、神秘的に美しく輝いている。


 まもなく観測できない時期に入る。


 須賀理が最も好きな星の名前である。


「あの星みてるとさー、なんだか泣けてくるんだよね……昔から」


「ふーん……だっせ」


 彼らはその後何も言わず、誰かを懐かしむように、ただ、その星を眺め続けていた。


 あの星に住むその誰かも、きっと同じように、この星を眺め続けている。

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