世界でたったひとりのダチが来ンのを、いまだ待ち続けてンだろが……

 お袋は俺を生んですぐに死んだ。


 活発で気立てのいい女性だったと親父から聞いているが、他はなにも知らない。異種交配による出産が難産を極めたことが容易に想像がつく。それでも両親は、俺を産むことを決意してくれた。


 ――人類が歩むべき未来を示す、証として。


 バロッツが先に攻撃を仕掛けてきた。ほんの少し前なら躱すことすら出来なかった剛拳も、今の守田にはその力加減や振り下ろされる角度もハッキリと読み取ることができていた。腹に一発、身を屈めたところで顎下にもう一発を叩き込む。仰け反りかけたバロッツの体を踏み台にして真上に跳び上がり、体を斜めに捻りながら右足を顔面へと叩き下ろす。重々しい音と共にバロッツが地面にくたばり、守田がその上に馬乗りになる。バロッツの丸太のような首を長い爪の生えた手で絞めあげる。


「勝負あったな、おっさん。降参すンなら今のうちだぜ?」


 バロッツは守田の手をへし折らんとばかりに握りながら、ある質問を口にした。


「親の名は……なんと申す」


 守田は一瞬だけ戸惑いを覚えた。なぜなら頭の中に最初に浮かんできたのは、使だからだ。仮初の名は、守田竜一郎。DNAに刻み込まれている本当の名は――、


「ドゥクトス」


 バロッツが聞き覚えのあるその名に確信をもってこう呟く。


「やはり、そうであったか……ッ」


「アン? 親父のこと知ってンのかよ」


 バロッツは、隙が生まれた守田を触手状に伸ばした紅桔梗のオーラで縛り上げ、ヒビが入るほどの勢いで地面に何度も叩きつけた。守田は苦戦しながらもまとわりついたオーラをなんとかむしり取って逃れ、痛みを堪えながらすぐさまバロッツに飛び掛かった。しかし、これまでと違う凶悪なオーラを纏ったバロッツには、初撃はおろか二の手三の手も弾き返されてしまう。カウンター気味に放った掌底を掴みとられ、勢いづいた攻撃を強制停止させられる。


「へへ、答えになってねーぞおっさん」


「かつては友だった男だ。今では一族の裏切り者」


 バロッツはそう答え、守田を掴んだまま胴を蹴り上げようとするが、強引に振り解かれ高く跳び上がって躱される。


「なにがあったのか知らねぇが、どうやらアンタとは反りが合わなかったようだな」


「息子同様にな」


 バロッツもすぐさま跳び上がり、守田を追い越しながら今度は口から紅桔梗の火焔を吐きつけた。守田は両手をクロスしてその攻撃に備えるが、苛烈さのあまり防ぎきれず、滝のようなブレスに飲まれながら激しく地面にへと叩きつけられる。上空に停滞しているバロッツにチラリと目をやると、いつの間にか幅広い竜の翼を生やしていた。竜人族の特殊能力である。守田は火傷によって爛れた両腕を一瞥して起き上がり、前傾姿勢をとって構える。バロッツが翼をはためかせながら地上へ舞い降りてくる。


「チッ、竜人はンなことも出来ンかヨ……ヨシ、俺もやってやる」


「混ざり血の貴様にはできまい」


「うるせー、俺はヤルッつったらヤル男なンだヨ」


 守田のその一言が、バロッツの脳裏に在りし日の情景を懐古させた。


 あいつが地上に出ると私に言ってきたのは、野戦訓練の最中に、地上へ繋がる道を偶然に見つけた翌日のことであった。もちろん引き止めはした。私とは違って将来を有望視されていたし、何より、苦楽を共にしてきた仲間であったからだ。しかしあいつの意志は、変わることはなかった。


『なぁバロッツ、地上の猿人ってどんな奴らかな? 一応、身は似せる予定だけど、こんな俺でも迎え入れてくれるのか心配で』


『亡命の片棒を担がせておきながら、今さら怖気付いたとは言うまいな?』


『それはないけど……あぁ、うまくやれるかな。猿人の好きな物ってなんだろ? やっぱりバナナかな』


『……やはりお前には無理だ。今からでも遅くない、考え直せドゥクトス!』


『いや、俺はやると言ったらやる男だバロッツ。同じ話を繰り返すことになるが、このままだと竜人族は衰退の一途を辿ることになる。地上に出て、猿人たちと共存共栄の道を探るしか方法はない』


『我らの土地を奪ったのは猿人たちの方ぞ! 先祖の悲願は、彼奴等を殲滅し地上を奪い返すこと、我らはそう教えられ、そのために生きてきた。我々が再び地上の支配権を握るためにやってきた血の滲む努力をお前は無駄にしようとしている』


『無駄にはしないさ。ただ、その考え方には同意できない。俺たちの先祖はそんな事を起こさせるために生かされたんじゃない。きっと意味があったはずなんだ。その証拠に、地上への結界が解け始めている。だからまず俺がここを出て、地上と渡をつける。二つの種族が地上で共に暮らせるために。竜人も猿人も同じ地球人って事を忘れちゃダメだ』


 そう残して地上へと旅立ったまま、二度と故郷の地に足を踏み入れることはなかった。別の理念から地上に出てからも、会いに行くことはなかった。


「はあああああああ」


 バロッツの意識の表層に守田の声が這い上がってきた。四肢に力を込め、腹の底から絞り出すように低い唸り声をあげている。


 ――ドゥクトスよ、私はやはり良い縁には恵まれない運命さだめのようだ。今もこうしてお前の息子に手をかけようとしている。


「はあああああああッ」


 ――だがこれはある意味、を決する戦い。貴様の息子とて容赦はしない。


 守田に変化が見え始めたのはちょうどその頃だった。潜在意識のレベルが最上限に達し、全身の皮膚が同色の鱗に生え変わろうとしていた。纏うオーラが黄金色へと変わり、体内より漏れ出る強大な力によって地鳴りが巻き起こる。


 守田は自身の変化に手応えを感じながらこう言った。


「翼は生えなかったが、それ以上のモンを授けてくれたぜ……親父がよ」


 バロッツは爬虫類色が濃くなった守田を見て、驚きを隠しながらこう返す。


「いずれにせよ結果は変わらぬ」


「お、負け惜しみか? ところで話変わるけどよ、一族一族言う割りにはおっさんの周りにそんなヤツはいねぇみてえだが、ひょっとして他の奴らは地上を取り返すとかどーでもよくなってンじゃねーの?」


 バロッツは図星を突かれ、初めて動揺を露わにした。ドゥクトスの後を追う者は流石に出てきてはいないが、故郷では猿人との宥和ゆうわを訴える者が年々増え続け、世論が変わりつつあったのは事実である。


「おっと図星か? この際ハッキリ言わせてもらうけどよ、何万年も前に死んじまった名も知らねぇ先祖に義理立てしても意味なんかねーだろ。過去の経緯知らねーモンどうし、共存する道を選んだ方がアンタのご先祖様だって浮かばれるんじゃねーのかい?」


「知った口を利くな小僧!」


 内心を見透かされたバロッツはあっさりと激昂し、激情を乗せた拳を守田の顔面に叩きつけた。即座に反応できなかった守田は剛拳をまともに喰らって後方へ叩き飛ばされてしまうが、空中で体を器用に反転させ、そのまま宙を駆ってバロッツの元へ舞い戻り、振りかぶった拳を叩き落とす。そこにバロッツも同じように拳に突き合わせてきたので、強大な力とオーラが激しくぶつかり合い拮抗する。


「そんなに頭かてーと、地下に幽閉されてまで生かされた意味なんて一生理解できっこねーぞ!」


「忌み子に同情されるほど落ちぶれてはおらぬわ!」


 バロッツはこの瞬間、強烈な殺意が込められた眼光を守田に向けられる。怒りを噛み殺さんとばかりに牙を軋らせる悍ましき姿を目の当たりにして、再び明確なる戦慄を覚えた。


「確かにアンタの視点から見ればそう呼ばれても仕方がねぇ……だが親父はよ、多くは語らねぇ奴だが男手ひとつでこんなゴンタクレを育ててくれた。お袋が死んだときも泣きもせず、死後悲しみに暮れることもなかったのはなんでだか分かるかよおっさん? それはなぁ……まだ幼ぇ俺を思って、辛ぇのをひたすら堪え忍んできたからなンだよ!」


 両親を尊ぶ気持ちが、守田の胸を締めつける。


「俺を侮辱する事は、苦しみながら俺を産んでくれたお袋と、陰で悲しみながら元気な姿だけを俺に見せ続けた親父を侮辱するも同然だ……」


 その想いが力の源泉に加わり、守田の拳に更なる力を与える。


「そこんとこ知りもしねーでヘンなレッテル貼りやがンじゃねえッッ!」


 圧倒的な力に押し負けたバロッツは弾き飛ばされ、苛烈に全身を床に打ち付ける。そして、応戦する間も与えられず守田にマウントを取られ、顔面に連続的な凶打を浴びせられる。一発一発が芯を打つような重みが感じられた。血が飛び散り、岩で出来たかのような瞼が瞬く間に垂れ下がり、顔面の感覚が失われるのも時間の問題だった。


「親父は確かにオメーラ一族を裏切ったかもしンねーが、考えなしに地上に登ってきたンじゃねえ! 停滞した一族の未来背負しょって、地球人どうし手を取り合って生きてくための道筋をつけるために決断したンだろ! その証がこの俺だッ!」


 バロッツはすでに己の力を凌駕されている事を悟り、抵抗するのを諦めていた。一方的に守田の拳を受けながら、遠のきかけている意識の中でドゥクトスが最後に言った言葉を思い出していた。


 友を失い、はじめて自分が空っぽだったことに気づいた私は、彼の心を奪った地上の民をこの上なく憎むことで道標を得た。最初は賛同してくれる者もいたが、一人、また一人と過去の憎しみと決別する者が増えていった。


 本当は気づいていた。


 友の思想に最初に傾き始めたのは、私だということを。結局、過去の監獄から抜け出せずにいたのは、私だけであった。

 

『なぁバロッツ、お前も一緒に来いよ』


 ――なぜあの時。


『先祖の悲願は誰が成す。お前は今日から、一族に唾棄した裏切り者だ。私に殺される前にさっさと行ってしまえ』


 ――気の置けない友の誘いを蹴ったのだろう。


『そっか。……じゃあ、行くよ。でも、さよならはなしだ。どんな形でも、お前との再会を楽しみにしてるよ。だから、いつか会いに来いよ』


 守田の拳に力と勢いが奪われていく。全身に覆われていた鱗が徐々に剥がれ落ちていき、そこから人間の皮膚が見え始めた。


「なぁ……アンタ親父のダチなんだろ? だったら、こんなくだらねぇ事に加担しねーで、まっすぐ会いに行ってやれよ。やっと手にした最愛の人を奪われ、慣れねぇ環境のなか、ガキの育て方も知らねぇで、ひとり気合入れて、ドラ息子に育っちまった俺に本音も言えず……アンタが会いに来る日だけを楽しみに生き続けてンだろぅが……ダチのくせに、そんな事も分かってやれねぇのかよバカヤロウ」


 バロッツの顔に無数の雨垂れを作りながら、守田の想いはそこで途切れた。バロッツは意識を朦朧とさせながら、戦意を失い本来の姿に戻った守田にこう問いかける。


「其方はなぜ、ここまでしてあの少女を助けたい……?」


 守田は本題から逸れた質問に戸惑わず、くしゃくしゃになった顔を腕で擦りこう答えた。


「いやまぁ、成り行きっつーか、部活仲間っつーか……てか、よく考えたらアイツのせいで散々な目に遭ってンな俺。新品の制服ボロッボロだし……クソッ、なんか段々ムカっ腹が立ってきやがった。そもそもアイツがUFOだのETだのギャーギャー騒ぎ立てっからこんな目に遭ってンだ。そうじゃなきゃ今ごろ……チッ、まぁでも、アイツといるお陰で退屈とは無縁になった。けっこうそこがポイントだと思うぜ俺は」


 ――友を思う気持ちは、種族は違えど皆同じであるか。かつての我等もそのような幼少期を過ごしていた。


「ドゥクトスは元気でやっているか?」


「まーな。仲は悪くねンだが、俺の前じゃ気を遣ってンのか割と物静かでよ。だから景気づけに今度ウチに遊びに来いよ、な?」


「……友の息子の頼みとあれば、断るわけにはいくまい」


 垂れ下がる瞼の隙間から破顔する少年が見えた。その表情に、地球人が辿る行末が見えた気がした。


 さて、どんな顔をするのか見ものだな。

 罪を償う前に、元気付けに行ってやるのも悪くない。

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