我々を余儀なく地底に幽閉した者の弁にしては度し難いぞ、昴の民よ

 一方、プレア組は、バッパの案内によって敵にも遭遇せず、順調に目的地へと向かっていた。最早バッパを信じて前に進むしかないのだが、彼に対する猜疑心は時を追うごとに膨れ上がる一方で、妹の言い分を素直に受け止めることができなかったことを早くも悔いはじめている。


「グヒッ、ご主人様ここズラぁ」


 長かった通路の行き止まりに見えたのは、広間に続くことを想起させる巨大な扉だった。生唾をごくりと飲み下し、中の様子をスキャニングしようとすると、予期せぬタイミングで扉が開かれたので、プレアは後ろに飛びずさりながらレイブレードを起動して臨戦態勢をとった。外界を切り離したかのような不気味な暗黒の世界がそこにあった。ここからの光が漏れ入ることはなく、暗然として中の様子が窺えない。


「……本当にここであってるの?」


「ほ、本当ズラよ! この奥に進めば奴らの部屋に繋がる階段が見えてくるズラよ……」


 プレアの心は揺れ動いたが、その言葉を強引に信じることで自制し、レイブレードを腰に収め、暗闇の中に足を踏み入れることにした。暗視モードに切り替えた目で辺りを警戒しながら歩いていく。どれほど進んだのだろうか。杳とした先行きに不安を覚え、バッパに語りかけた。


「かなり進んだけど、まだ先は長いの?」


「グヒッ、おやおや? 当局の敏腕エージェントともあろう御方が気後れズラかぁ? それとも妹に先を越されるのがそんなに嫌ズラかぁ?」


 バッパは憎まれ口を叩いて無警戒に笑い飛ばした後、プレアにこう言った。


「プレアデス人というのは、みんなこんな感じズラか?」


「……どういうこと?」


「お人好しかと聞いているズラ」


 バッパがそう言い残して肩から飛び降り、暗視モードの視界から消え去っていく。


「待って、どこ行くの!」


 プレアはこの時首筋に痛みを感じたが、気に留めず脱兎のごとくとび跳ねて逃げるバッパを追いかけようとした。すると突然、部屋が真っ昼間のように明るくなり、合わせて後ろ手にあった扉が閉ざされた。暗視状態の目を光に焼かれ、目頭を押さえて痛みが治るのをまっていると、聞いたことのある凛々しい声が耳に届いた。


「バッパよ、大儀であった」


 プレアは痛みが残る目を薄っすらと開けて状況を確認した。白い甲冑を纏った兵士の軍団が視界の端々に広がっているのがぼんやりと見えてきた。声の主はその先頭に立っていた。艶のある至極色の甲冑を纏ったワニ顔の男、バロッツである。


 視力回復の目処が立った矢先、今度は全身に痺れが襲いかかってきた。やはりあの時、体内に何かを注入されたのだ。このときになってようやく罠に嵌められたことに気づかされる。


 ――ルーちゃん、ごめん。


 プレアは腰から抜き取ったレイブレードを滑り落とし、そのまま体勢を崩して床へと倒れこんだ。バッパは嬉しそうにその柄を触手でつかみ上げ、プレアにこう言った。


「あの高慢ちきな妹を信じてたらこうはならなかったズラに。ヌッヒッヒ」


 バッパは擬態能力を解除して元のカメレオンの姿に戻り、ひたひたと歩いて巨軀の竜人にレイブレードを渡してこう言った。


「旦那様、これでオイラの仕事は完了ズラ。約束通り、妻と故郷に帰らせてもらうズラよ」


 発した言葉通り、バッパはその思いがあったからこそ、己を殺して悪に手を貸したのである。渡したレイブレードを依然として見つめるばかりのバロッツに、バッパは気を取り直し、気を損ねてはならないと無理くり作った笑顔を浮かべ、揉み手をしながら恐る恐る同じ趣旨を述べようとした。ところが、バロッツが先に口にしたのは、兵士に対する指示であった。


「この者を捕らえよ」


 命令に応じた兵士たちがすぐさまバッパの動きを封じ込めにかかった。なんの抵抗もせず拘束されたバッパは、自分の置かれた状況をまだ信じれずにいた。


「あの……旦那様、これは一体どういうことズラ……」


 バロッツは表情を変えずに無慈悲にこう告げる。


「閣下の御命令により、其方はその女と共にここで処刑する」


 故郷を侵略され、意味も分からず妻と共に捕らえられた先に待ち構えていたのは、奴隷兵士としての身分であった。そんな無益な日々を暮らしているなかで得た望外な提案に飛びついた末路がこれだった。少なからず心の片隅でこうなる事も危惧してはいたが、妻と故郷に帰してやるという提案はその不安を押しのけるほどの魅力があった。


「案ずるな、妻の元へ直ぐに逝かせてやる」


 その言葉を耳にした途端、バッパのギョロ目が一際見開かれることとなった。今回の件を除いてだが、これまで他者に迷惑をかけたり傷つけることなど一度たりとてしたことがなかった。ただ気の置けない同胞たちと、辺境の地で平和に暮らしていただけなのに、妻と仲睦まじく一生を終えるはずだったのに、彼らが突然やってきて全てを奪い尽くしてしまったのだ。


 心の中で燻り消えようとしていた火種が瞬く間に燃え広がる。


「仲間たづと普通に暮らしていただけなのに……ッ、オイラたちが一体何をしたって言うズラ!」


 バロッツはいきり狂う彼をよそに、背中から抜き取った長身の棒を一振りさせ、その先端から禍々しく反り返った紅桔梗の光を帯びた大刃をバッパの喉元に押し当てた。だがバッパは、その黙れと言わんばかりの威圧に怯えることはなかった。仲間や妻に先立たれ無念が恐怖を上書きしたからである。


「もう失うものはこれっぽっちも残ってないズラ。さっさと妻の元に連れて行くズラ!」


 その時、覚悟を決めたバッパの耳にある者の声が届いた。


「バッパを、はな、して……」


 バッパはその声のする方を見た。麻痺状態にも関わらず、ワニ男の暴挙を阻止すべくプレアが必死になって口を動かしたのである。


「はな、して……」


 通常なら最低30分は身動きが取れない麻痺毒を注射されたにも関わらず、プレアは体を少しずつ前に動かした。弱きを守る銀河警察としての矜持がそうさせているのである。弱った芋虫のように動くプレアを見て、バッパは心の奥底を抉り取られる感覚を覚える。


「う、裏切り者に情けは無用ズラ。それにもう、オイラはこの世にいても無意味ズラ……」


 プレアは声を絞り出すようにこう言った。


「あなたは、しかたなく、やっただけ……だから、悪くない。それに……故郷の星はまだある。あなたがすべき事も、残ってる」


 バッパは、薄氷の上に立たされているのも忘れ、ギョロ目から涙を垂れ流した。プレアの言う通り、故郷の全てが蹂躙されたわけではないのだ。自分に残されたモノがあるとすれば、生き延びた同胞たちと故郷の再建。だが、生きる希望が視えたのは瞬間的なものであった。この状況を覆せる手札はすでに地面で這いつくばっているからだ。


 妻の制止を振り切り、己の信条を殺して得た結末がこれなのだ。


「オ、オイラはなんて事しちまったんだろう。もう死んで詫びるしか……」


「早まってはだめ、悪いのは彼ら……。貴方は、選択の余地も、与えられなかった……心優しき民」


 そこでバロッツが会話に割って入る。


「我々を余儀なく地底に幽閉した者の弁にしては度し難いぞ、昴の民よ」


 バロッツはハミリオン星人から紫刃を退け、今度はプレアの首にそれを当てようとした。好機到来とはまさにこの時を差す言葉だった。バロッツの意識が自分から外れたことを察知したバッパは、ここぞとばかりに蛸の姿に変わり、拘束を振り解いてバロッツに飛び掛かった。触手と吸盤を駆使して、視界をぐるぐる巻きにして塞いだのだ。


「クッ、おのれ小聡い真似を!」


 不意を突かれたバロッツは大童となり、プレアのレイブレードを落として辺りかまわず大鎌を振り回した。兵士たちは混乱する指揮官を見てまごついており、バッパはその隙を見て隠し持っていた注射器をプレアに向かって放り投げた。


「それは解毒剤ズラ! ご主人様早くそれを!」


 プレアは痺れる体に鞭打ち、それを掴み取ろうとした。だがその時、好機は反転した。バッパがバロッツに引き剥がされ、その身を大鎌で斬りつけられたのである。擬態が解け、真横に裂かれた胴体から緑色の血をまき散らしながら、プレアの元へと転がった。


「バッ、パ……」


 バッパは意識を朦朧とさせながら、いまだ他者を気遣おうとする少女に力なく微笑みかけた。致命傷を負ってしまったが、この一連の行動は彼にとって、ハミリオン星人としての誇りを取り戻す機会であった。側から見ればとても小さく、また、その機会を活かすことは叶わなかったが、己がやれる範囲の事をやってのけたのだ。あの世で待つ妻も、きっと褒めてくれるに違いない。と、バッパは薄れゆく意識の中でそう思いながら、ゆっくりと目を閉じた。


 床に広がる生暖かい緑色の血液が、プレアの制服の裾を湿らせている。助からないと悟ったプレアの瞳から自責の涙がこぼれ落ちた。


 バロッツが注射器を踏み潰し、大鎌を高らかと振りかぶりこう言った。


「ミス、プレアデス。永別の刻だ」


 プレアは覚悟を決めた。目を閉じ、懺悔の言葉を口にした。


「恵子、みんな……ごめん」


 そして、大鎌がまさに振り落とされようとしたその時、後方から思考をかき消すほどの爆発音が鳴り響いた。


「オオオオオッ!」


 放電を纏う黒煙の中から鬨の声が発せられ、無数の何者かが広間の中へと傾れ込んできたのである。ルチェアを筆頭とした冤罪組の大群である。


 数百とも思われる多種族の群れの先頭を切って走るのはもちろんルチェアで、彼女は身の丈の二倍ほどもあるバズーカを惜しげもなく投げ捨て腰からレイブレードを抜き取り、隣を走る相棒にこう言った。


「俊雄は姉上を!」


「オウ任せとけ!」


 ルチェアの体が煌々と輝きはじめたので、あまりの眩しさに守田は目を閉じた。目蓋を開けるとルチェアは既に妙齢の女性へと変化していた。ルチェアの視野に憐れな姉の姿が再び飛び込んできたとき、忸怩たる思いが猛烈な怒りへとすげ変わる。


「おのれよくも……、よくも我が姉上をッ!」


 バロッツは控えていた一団にすぐさま迎撃を命じた。不意打ちで既に数十名の兵士が無力化していたが、その数は冤罪部隊を遥かに上回っている。真横に飛び交う光の雨の中、バロッツは剥き出しの敵意を向けて駆ける少女に正対し、大鎌を水平に構え、迎え撃つために地を蹴った。


 肉薄までの距離およそ10メートル。


 ルチェアは敵意をさらに燃え滾らせ、レイブレードのスイッチを力強く押した。


「その咎、万死を以って贖わせてくれよう!」


 黄檗きはだ色に染められた刀身がみるみるうちに象られ、最大出力のエレメントをねじ込んだレイブレードを、薪を叩き割るかのように振り下ろし、紅桔梗と激突する。

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