たとえこの身が名も知らぬ宇宙の果てで朽ち果てるとしても
ルチェアはノリに乗っていた。こんな逼迫した状況にも関わらず、まるでテレビゲームでも楽しむかのごとく鼻歌を口ずさみながら、戦闘機から人型機動兵器に変身したブラックライトニングの修正プログラムをせっせと打ち込んでいる。
守田は疾風迅雷のごとし敵機が粉砕されていく様が映し出されたモニター画面を見ながら、須賀理恵子のことをおもむろに思い浮かべた。
「宇宙人の次はロボット兵器とはたまげたな……須賀理のやつゼッテー信じねえだろうな」
守田はブラックウィドーが変形したのは知っていはいたが、彼女の全容を知るはずもなかった。彼がそう言い表したのは、機体の全容を表しているモニターと画面から腕のようなものが時折見えるからである。
ルチェアが電子盤をタイプしながら守田に質問した。
「須賀理恵子はこういう人型機動兵器に興味がおありなのですか?」
「あいつの守備範囲は未知なモン全般だ。興味が尽きなくて困ってる。俺が今ここにいる理由がそれだ」
「ふむ……そうですか。姉上が愛してやまないという地球に、余も一度は訪れたいものですね」
守田は寡黙に仕事を続けるルチェアの背中を見ながら、この幼心の願望を叶えてあげたい、とふとそう思った。
「じゃあ、この件にケリがついたら俺が案内してやる」
「は? いきなり何を……けっ、結構です! ひとりでも問題ありません!」
ルチェアは突然の申し入れに心臓がひっくり返るのを覚えた。まさかそうくるとは思ってもみなかったのである。
「そうは言うけど、迷子にでもなったら困るだろ」
文字盤の指を震わせながらルチェアはこう答える。
「ご、ご心配には及びません。と申しますか、いったい余を誰だと思っているのです? 顔見知りでなければ今ごろ濃硫酸の雨が降りしきるガス惑星にケリ落としてやるところです。で、ですが……そのお心遣いだけは、有難く受け取ります」
「じゃ、決定だな」
「は? ……何がです?」
「何がって、地球でデートするんだろ?」
「な、なんでそんなことになるのですか!?」
たまらず振り返ると、守田が小指が突き出していた。
「……なんですか、その指は?」
「いいからお前も出せよ」
ルチェアは意味も分からず入力作業を中断し、左手の小指を守田の前に出した。守田は自分の指をその指に絡め、何度か振って切り離した。呆けるルチェアに守田が付け加える。
「地球式のまじないだ。ひとつ楽しみが増えてよかったな、叶えようぜ」
ルチェアの顔がみるみるうちに赤く染まっていく。
――地球人のくせに小癪です。
「か、勝手に決めつけないでください! それに余は楽しみだなんて一言も、」
――!!
そのときだった。全身に強い衝撃を感じたので慌てて前を向いた。すると、画面には巨大な機体らしき何かが広がっていた。それだけでは分からないので、ルチェアは矢継ぎ早に機外カメラの画面角度を調整して状況を確認した。人型兵器がまさに組していたのは、体長の10倍ほどもある地球型の戦艦に似た白い宇宙船であった。だが、それは一部に過ぎないことがすぐに認識された。監獄船ティスタニアから、無数の戦艦が出航しているのが確認されたからである。あらかた片付けたと思っていた無人機も、さらに増員をはじめている。
『ク……ッ、こ、のおおおおおおお!』
人型兵器がその白いボディの一角に拳を打ち込んで穴を空け、中から配線らしき物を引きずり出した。そのような攻撃を何度か繰り返していくうちに、船の至る所から爆発が生じた。ブラックウィドーは、被害を受ける前にその場から退避し、改めて状況を把握してこう言った。
『こうなる前に母船に侵入したかったのだけど、ちょっと甘かったわね……。ルチェア、稼動限界まであとどれくらいかしら』
ルチェアはすぐさま機体の状況を確認した。細かい数値を言い出すときりがないので割愛するが、酷使し過ぎたせいもあり機体損耗度が激しく、シールド効果率が20パーセントを切っていた。すでに稼動限界すれすれの状況である。
「残念ですが、これ以上、ブラックライトニングでの稼動は許可致しかねます」
ブラックウィドーは『そう』と言って、あっさりと元の姿へと戻りながら敵が攻撃を開始してこない距離に移動した。敵との間合いが十分に取れたその時、プレアが異変に気がついた。目の前で次々と敵の宇宙船が消滅しているのだ。
「なんだか様子がへん。……あ」
だがよく見ると実際は違っていた。無人機以外の宇宙船が次々にワームホールに突入しているのだ。ブラックウィドーはそれを目の当たりにしてこう結論づけた。
『なるほど、根暗男の狙いが読めたわ。この艦隊でフリートス星に攻め込むつもりよ』
プレアの血の気が一瞬で引いた。
「止めなきゃ!」
と、スロットルレバーに手をかけるが、ブラックウィドーに行動の意図を読まれ、コントロール権限を奪い取られてしまう。
『ダメ、行っても無駄よ』
「なんで止めるの!」
『決まってるじゃない。あんなの一機ずつ相手してたら私の身が持たないわよ』
「だったら戻ってお父様に知らせなきゃ……ッ」
『それこそ敵の思うツボ。あくまで本丸を叩くのが私たちの役目よ。すでに矢が放たれてしまった以上、その後始末は貴女のお父様に委ねるべきよ』
プレアはその言い分を聞いて黙り込んだ。ブラックウィドーは反論される前に行動を開始した。
『それに今がチャンスよ。あのだらしなく開いた大口の隙間から侵入を開始するわよ』
ところが、ふたたび加速器を回しはじめると、そのうちの一基が鈍い音を立てて回転を停止させた。機体の限界が近づいている証拠だった。内心で、無理をしでかしたことに悪態をつく。
――残りの二基もそろそろ限界ね。やるなら今しかない。
ブラックウィドーは静かに小型加速器の回転リミットを解除し、プレアがそのエラーに気づく前に発進した。機体は流星のごとき目標に向かって突き進んだ。無人機から発射される光の弾丸をその身に受けながらもなお、目的地を目指して猛進した。
「ウィドー何をしてるの! 命令よ、止まりなさい!」
『黙ってないとあの子みたいに舌を噛むわよ』
命令を拒絶したブラックウィドーに撤退の二文字はなかった。紫色の電磁シールドにヒビが入り始め、ブラックウィドーとの意識連結が途絶えたルチェアがプレアに警告した。
「姉上、シールドが消滅します!」
電磁シールドが粉々に砕け散った直後、無数の光弾が漆黒の機体に突き刺さる。
着弾。着弾。着弾。着弾。着弾。
凄まじい衝撃に軌道ずれが生じ、自慢の流麗なボディのあちこちから煙と放電が発生した。右翼が壊滅的なダメージを負って砕け散る。ブラックウィドーはそれでも尚、さらにスピードを上げるために、あらゆる搭載兵器を宇宙空間に向かって投棄した。片翼になってもなおバランスを保ちながら飛び続けるには、相対的な負荷を伴うことは必至だった。
プレアは、最上限値に固定されたスロットルレバーを全力で引きながら、画面全体に血のように広がるエラー表示に向かって声の限り叫んだ。
「やめてウィドー! 貴女が壊れちゃうッ!」
ブラックウィドーのコアにプレアの悲痛な叫びがノイズ混じりの声となって知覚された。プレアの思いを断ち切り、不退転の決意を口にした。
『貴女に無茶をするなと口酸っぱく言っておきながら私も世話ないわね。でも、今回ばかりは私の我儘を聞いて頂戴。貴女たちを絶対にあそこまで届けてみせる』
プレアは権限を取り戻すために、気の置けない親友の暴走を止めるために、子供のように泣き叫びながら、必死になって電子盤の類を操作した。
そんな中、ブラックウィドーの脳裏には、プレアとの懐かしい思い出が走馬灯のように流れていた。
――フォローラがまだ幼かった頃、地球帰りのお土産に、黄色い花をプレゼントしてくれた。それからも事あるごとに、何度も何度も可愛らしい笑顔と共に何かしらのプレゼントをくれるようになった。単なるAIにすぎないこの私に、彼女はいつも私を人間と同じように扱ってくれた。
ブラックウィドーは薄れゆく意識に鞭打ち、最愛の主人に向かって思いの丈を口にした。
『フォローラ、貴女は私にとって掛け替えのない友人であり、胸を張って誇れる偉大な主人。だから、貴女が叶えたいと思う願い事はすべて私の夢。たとえこの身が名も知らぬ
力が無尽蔵に湧いてくるのを知覚する。
『それが私の……果たすべき使命ッッ! おおおおおおおッ!』
ブラックウィドーがさらに力を振り絞ると二つ目の加速器がオーバーヒートを起こして停止した。さらなる追撃で左翼を完全に失ってしまう。幸いにも敵の船底に潜り込むと無人機の攻撃は止んでくれたが、今度は機体から火の手が上がりはじめた。両翼を失いながらも機体を船底に密着させるように飛翔し、ティスタニア側から開始された砲撃をまともに喰らいながらも、コクピットには一発たりとて当たることはなかった。なぜなら、ブラックウィドーが強い思念だけで、そこだけにシールドを形成しているからだ。
残り数キロのところで三つ目の加速器が停止した。一瞬だけ減速したように見えたが、ブラックウィドーはすかさず3基目のエンジンノズルを突き出し、隠し持っていた虎の子のハイパーニトロエンジンに火を入れた。
『とお、どお、けええええええええええッッッ!』
ノズルから凄まじい豪炎を撒き散らしながらブラックウィドーはさらに加速した。そして、辛うじて敵母艦内に機体を侵入させることに成功させる。しかし、ブラックウィドーはそこで加速をやめなかった。爆炎を上げながら地面すれすれを飛翔する機体の上空には、無数の宇宙戦艦が天井を覆いつくし、フリートス星に向かって出航していた。部屋の中に舞い込んできた羽虫に慈悲を与えるつもりなのかどうかは知る由ないが、歯牙にかける様子もなく淡々と出口へと向かっていた。
――まだよ。もっと、行けるところまで。
機体に火炎を纏いながら5キロメートルほど進んだところで、ハイパーニトロエンジンが燃料切れを起こして停止した。着艦時の衝撃をなるべく和らげるために、残された力を振りぼって機首を上げ、バウンドしながら着艦し、耳障りな金属音と凄まじい火花を周囲にまき散らしながらさらに奥へと進んだ。機体は横方向に傾けた状態でようやく停止を決め、生体スキャンでプレアたちの無事を確認し、コクピットを解放した。
プレアたちは即刻機体から飛び降り、各々消火キットを手に取って消火活動をはじめた。鎮火の目途が立ったところで、プレアがキットを投げ出して機体に飛びつこうとするが、ブラックウィドーに止められる。
『だめよ、まだあつ、いから……火傷する、わ』
ノイズが交じり、途切れ途切れになるそのか細い声が手の施しようがないことを物語っていた。プレアは、彼女の凄惨な姿を見てその場にへたり込み、泣き崩れた。
「私のせいでウィドーが、うわあああああん」
守田は悲しすぎるその光景を茫然として眺めていた。ルチェアは大粒の涙を瞳に浮かべ、必死になって泣くのを堪えている。
『あなた、のせい、じゃない……これは、わたしの、意志』
「違う! 何度も叱られたのに、私がしっかりしないから、貴女の言うことを聞かないから、」
『あなたが、けいこ、思うきもち、同じ……あなた、を守るこ、ができて、うれし、い』
「死んじゃいや! ウィドーがいないと生きていけない!」
『だい、じょう、ルチェア、に、わた、の、バックアッ、とって、もらった、安心、して』
プレアはそのことがどのような意味を持つのかを知っていた。一度外部に取り出した人工知能は初期化する必要があるのだ。こればかりは最新の宇宙技術を使っても、まだ歯が立たない分野なのである。
「今のウィドーじゃなきゃいや! そんなのいやあ!」
次に会うときは、生前の記憶が一切残されていない状態で、電子仕掛けの音声で「はじめましてご主人さま」と挨拶されるのである。プレアの脳裏では、ブラックウィドーと苦楽を共にした日々が複雑に去来していた。物心ついた時からほぼ一緒に暮らす日々を送っていた。友達と呼べる者は彼女だけであった。涙が滝のように流れだして止まらない。
『はじめ、頃は、よく、けんかし、けど、こうし、友達、になれ、だいじょ、私、たち、は』
と、そこで聞きなれた電子銃の放たれる音が聞こえた。たまたま当たったのか、はたまた狙い撃ちをしたのかは分からない。ひとつ言えるのは、その無慈悲な光弾がブラックウィドーの
皮肉にも、ブラックウィドーの最後の言葉だけはまともに聞き取れることができた。人間味のある声で、自律型AI搭載型宇宙戦闘機ブラックウィドーは、こう言って幕を閉じる。
『フォローラ、ずっと愛してる』
大爆発が巻き起こった。爆風と機械片と炎をまともに浴びながらも、プレアたちに1ミリたりとも傷つかなかったのはブラックウィドーのお陰だった。プレアは茫然として、その炎を眺め続けた。守田とルチェアが振り返ると、数十名にも及ぶ兵士たちが50メートルほど先で小銃を構えているのが見えた。さらに駆けつけきて、およそ30名の小隊が出来上がる。皆、地球上で見たことのある、あの白い甲冑を身に纏った兵士たちである。
プレアは涙を拭い、ブラックウィドーの命の
「必ず貴女を復元させる方法を見つけてみせる。だから、ちょっとのあいだ眠っててね、ウィドー」
誓いを立てた直後、握り締めた柄の先から青白い電流が迸り、どぎつい音と共に光り輝く刀身が象られた。敵兵はそれを抵抗意思とみなして射撃を開始した。ルチェアは咄嗟に守田と退避したが、プレアは当たると微塵にも思っていないのか、一切避けようとはしなかった。やがて振り返り、ようやくまともに顔面に跳んできた弾丸を袈裟切りの一閃で打ち返し、返弾をまともに喰らった兵士のひとりが地面に崩れ落ちた。決意に満ちた表情で向かいくる弾丸を跳ね返しながら、一歩、また一歩と間合いを詰めていく。その姿に圧倒された兵士たちが、攻撃の手だけは緩めずにじりじりと後退を始めた。
小銃から繰り出される甲高い発射音と、青白い刀身を振るうたびに発せられる野太い電子音が艦内に鳴り響いていた。プレアが地を蹴り、烈帛の気合いと共に敵に向かって駆け出していく。
「うおおおおおおおおおおおおおッ!」
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