それがしの純潔が野蛮な猿人の手によって穢されました
午後4時31分
本部ビル150階 サーバールーム(プレア側)
プレアはやる事を終え、床にだらしなく身を投げだしたまま荒くなった息を整えていた。
――やれるだけのことはやった。
破壊された窓から入り込む風に、いつまでも身を委ねていたかった。インカムに短いノイズが入り、聞き慣れた声が応答を求めてくる。
『あー姉上、聞こえますか? 聞こえるなら応答願います、どうぞ』
「こちらプレア。俊雄の方はどう?」
『おほ! やっと繋がりました。俊雄の方は辛うじて任務完了です。当初は出来損ないと揶揄しておりましたが、まずまずの働きぶりでした。猿人としてようやくひと皮剥けたのではないでしょうか。これも偏に姉上のお陰でございましょう』
「よかった……」
プレアはそれを聞いてゆっくりと立ち上がり、びしょ濡れになった髪を絞りながら風の入り口へと歩きはじめる。
「これからそっちに向かう。ベランダで待機して、何かあったらサポートをお願い」
『承知しました。最後まで気を抜かずに無事お戻りください』
プレアは無残に砕かれたガラス窓の縁に立って空を見上げた。先ほどまでの悪天候が嘘のように雨があがっていた。赤方偏移で染められた雲の切間から陽の光が差し込んでいる。
回収ボタンを押してワイヤーを巻き取り、銃把を両手で支えながら斜め上に見えるホテルのベランダの手摺りに照準を合わせ、引き金を絞った。ワイヤーが狙い通りの軌道を描いて白い手摺りに絡みつく。手で引っ張り、銛がシッカリと固定されていることを確認してホテルに向かって跳び、ワイヤーの回収ボタンを押した。
ホテル全体が、自室のベランダが、そこからひょっこりと見えるルチェアの顔がぐんぐんと風を切って近づいてくる。あとはタイミングよく手を放してベランダに乗り移る動作に入るだけだ、と思いきや、想定外の事が起きてしまった。無理が祟ったのだろう、突然ワイヤーが断ち切れてしまったのである。
「しまった! これでは距離が……ッ」
プレアはそんな状況にもめげず、慣性力を頼りに、自室の手摺りに向かって懸命に腕を伸ばした。が、あと一歩及ばず、驚愕に口を開ける妹の目前を素通りして、そのまま星の引力に引き摺り込まれるように落下した。が、そうはならなかった。姉を窮地から救い上げるため、視界から姉の体が消えかける寸前のところで紋様力を発動させ、瞬間的に妙齢の女性へと変化した体をベランダに乗り上げ、階下へ落下するプレアの右手をギリギリのところで掴み取ることに成功したのだ。
ルチェアは、プレアに働いている引力を相殺させながら、苦しげにこう話す。
「姉上のやんちゃぶりは今に始まったことではありませんが、今回ばかりは流石に肝が冷えました」
「ご、ごめん、ルーちゃん」
ルチェアは頷いたあと、もう片方の手を加えてプレアの腕を掴み、そのまま釣り上げるようにして部屋の中へと雪崩込んだ。ちなみに、紋様力がこのような形で具現化するプレアデス人はルチェアだけである。なので現在、成人化した煽りを喰らって破けた服がそこら中に散らばっており、ルチェアは全裸の状態でプレアと折り重なって倒れていた。そこに、間の悪い人間がマスクを剥ぎ取りながら部屋のなかに入ってきた。状況を全く知らない守田である。
「いやーまいったまいった、いち時はどうなるかと思ったけど、案外どうにかなるモンだなー。ま、これで俺も一端のエージェント気取れるっつーか……あれ、お前らそんなとこでなにしてンだよ? てか誰だよその女……て、裸あ!」
ルチェアは自分の体に乗っかったままの姉をぞんざいに払いのけ、豊満な胸を揺らしながら守田の所までやって来て、いきなり平手打ちをぶちかました。
「いってー! 急になにしやがンだお前」
ルチェアが涙目になりながら守田を睨みつける。
「殺すつもりで打ったのになぜ倒れないのですか」
守田はルチェアの泣き面ではなく豊かな双丘を見ながらこう言った。
「そ、その口調……お前ひょっとしてルーか?」
「ど、どこを見て言っているのかキサマー!」
「ルーちゃんやめて!」
ルチェアはプレアの呼び掛けで、守田の顔面を振り抜こうとする手を寸前で止めた。紋様力が消え、ルチェアが元の姿に戻る。守田はこのときはじめてルチェアの顔を見た。ルチェアがプレアの元に駆けつけ、胸にしがみつく。
「生まれてこのかた守り続けてきたそれがしの純潔が野蛮な猿人の手によって穢されました、もうお嫁に行けません、うわああん。それがしは、それがしは、こんな銀河いち下等な生物と結ばれたくなんかありません、うわああん」
「はあ? 結ばれるってお前……」
「ルーちゃん、俊雄はプレアデス人じゃないから強制力は……クッ」
「姉上いかがなされましたか!」
プレアはルチェアを床に下ろし、スーツのチャックを胸元まで下げて左肩の銃創を妹に見せた。地球で負った傷のことをルチェアに説明すると、すぐさま救急箱を引っ張り出してきて、青い血液が滲む包帯を解きながらプレアの首元に注射を打ちこんだ。
「感染症阻止剤と回復機能増強剤です。すぐに止血がはじまりますのでご安心を。それにしても解せません。なぜそこでぼけっと突っ立っている盾を使わなかったのでありましょう。俊雄の存在価値などその程度でしかありませんでしょうに」
「おい、聞こえてるぞルー」
「脳に何かしらのチップを埋め込み、我々の命令にしか従わない
「出た、紛れもなく宇宙人発言パート2」
「き、聞こえているぞキサマー!」
守田が会話を程々にして、手に持ったアタッシュケースを待ちあげる。
「ま、ンなことよりこのブツをどうにかしなきゃいけねえよな」
守田の言う通りであった。手当を終えたプレアは、鍵の入ったアタッシュケースを受け取ったあと、守田を正面から抱きしめ、涙ながらにこう言った。
「俊雄がいなかったらこの任務は達成できなかった。本当にありがとう」
「こ、これくらい大したことねぇって。とにかく、須賀理に一歩近づけてよかったな」
無言で頷き返すプレアは汗や砂ぼこりにまみれてもなお、いい香りがした。守田がプレアを慰めようと、がら空きだった手で抱きしめようとしたその時、大人になった全裸のルチェアに二の腕をおもいっきりつねられた。
「イテテッ! なんで俺がつねらンなきゃいけねぇンだ! 放せよコラ!」
「この行動はこの地に骨を埋める覚悟があっての狼藉ですか? この御方を何と心得る無礼者!」
「こいつが勝手に抱きついてきたンだろーが!」
「言い逃れにかけては達者ですね。ところで姉上、いつまでその御身を穢すおつもりですかッ!」
プレアは妹の一喝で慌てて守田から離れ、守田はつねられた二の腕をさすり、未発達の少女体系に戻ったルチェアはてくてくと風呂場まで行き、バスローブを巻いて戻ってきた。そして改めて、テーブルの上に置かれたアタッシュケースの周りを取り囲むようにして三人は座った。プレアは渡されていた通信機器を取り出して、ストラフと連絡をとった。黒髪の男はすぐに出た。電波状態が悪いのか、声がくぐもっている。
『先に言っとくが、時間交渉には応じんぞ? IMGFの小娘』
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