第三章 絶対に不可能な任務
おい……あれ本当にお前の妹か?
午前8時55分
プレアデス星団内アルキュオーネ系第四惑星コキュートス近傍
最初に目覚めたのは守田だった。外はいつの間にか紫から黒に変わっており、宇宙船がワームホールを抜け出したことを物語っていた。船はどこかに進んでいるらしく、目線の下には可愛らしい金色の丘が見えた。守田をベッド代わりにして眠るプレアである。しかしその姿はとても皇女とは思えないほどのあり様で、口を半開きにして涎を垂れ流し、手入れを怠った髪はぼさぼさで白い肌は煤にまみれている。このような姿をじいやに見られたら一発でカミナリが落ちる。もちろんその様子は守田の角度からは見えない。気持ちよさそうに寝ているのでもう少しだけこのままにしてやろうと考えてから早や30分が経過した。依然と進む船の進路が気になりはじめた守田はプレアを起こすことにした。
「おい船長さんよ、そろそろお目覚めの時間じゃねえのか?」
「……ふにゃ?」
プレアは一瞬目を半開きにするが、図々しくも「あと5分」とか言ってすぐ寝に戻る。
「チッ、こいつ完全にやること忘れてやがる……おいプレア! いい加減起きねえとインペリアルクローってやつが、」
名称は違うがプレアはその一言で跳ね起きた。固い天井に打ちつけた頭を手で押さえ、涎を拭いながら何もない空間にバーチャルリアリティのように浮かび上がる電子盤を素早く操作して、やがて青ざめる。
「寝過ごした。なんでもっと早く起こしてくれなかったの!」
「いや、だってホラお前気持ちよさそうに寝てたし、起こしちゃワリィと思ってさ。てかなんか寝ごと言ってたぞお前」
「そんなの言ってない!」
「はいはい、思っきし言ってたっつーの。むにゃむにゃ言って何しゃべってンのか分かンなかったけどよ。てか今どのへんだよ? ずっとこんな景色だからわかンねえよ」
プレアは色んなパネルを呼び出して操作しながらこう言った。
「予定よりも1時間半遅れた。しかも軌道が逸れて見当違いのところまで来てる。このままだと、」
「おい、プレア前まえ!」
プレアは操作盤から弾かれるようにして前を見た。目の前には宇宙船と同程度の大きさの小惑星が迫っていた。プレアは操縦画面を素早く顕出させて力強く右下へフリックした。機首から手前2メートルのところでなんとか岩を振り切ることに成功する。
「ふー危っぶね、誰かさんが寝坊かますお陰であわや木っ端みじんになるところだったぜ……て、おいあれ!」
守田が驚くのも無理はなかった。困難を乗り切った機体の前に今度は大小様々な小惑星の群れが広がっていたのだ。プレアは垂れてきた前髪を耳の上にかき上げながらこう言った。
「目的地の星間にある
説明する暇も与えんと小惑星の群れが矢継ぎ早に襲いかかってくる。
「おい何してンだ、左だ左! 早く避けろ!」
「わかってる! 気が散るから黙ってて!」
右へ左へと変則的な回避に守田はその都度遠心力によって体が飛ばされそうになった。プレアは慣れているので体幹を安定させることが出来るが、守田はそれどころではなかった。プレアの腰にしっかりとしがみつき、ようやく慣れはじめたところで彼女に小言をぶつける。
「おい、宇宙人ならもっと映画みてぇにスマートに避けらンねーのかよ。ひょっとしてヘタクソか?」
「否定はしない。けど、この小惑星帯は一旦入るとS級飛行士でも抜け出すのは至極困難。上手い下手の問題じゃない。それにこの船の性能じゃとても……ダメ、避けきれない。俊雄、しっかりつかまって!」
右から来た強い衝撃に、二人は体を強張らせて耐え凌いだ。直径1メートルほどの岩が右翼をかすめたのである。どうやら、性能限界を超える回避操作に、船がついてこられないようだ。そして追い討ちをかけるように、二つのどでかい小惑星が船を襲ってきた。プレアは機体を斜め左に傾け、針の穴を通すように惑星間をすり抜けさせた。身の細る思いとはまさにこのことである。
破損箇所の図解と説明文がプレアの前方にポップアップされ、船内にAIアナウンスが流れた。
『右翼30パーセント損傷、損耗率40パーセント。それに伴い、シールド効果率が35パーセント低下しました。直ちに下船して修復することを推奨します』
守田が青褪めた表情でプレアにこう言った。
「おい、脱出ポッドとかねえのか!」
「そんなの積んでない! あったところでこんな状況じゃ無価値!」
「じゃあ撃ち落とすってのはどうだ!」
「この船は移動専用! 武装なんてしてない!」
不毛な言い争いの外では、機体寿命がどんどん削られていた。無理な動きを強いるたびに損耗率が上昇し、避けきれない小岩がシールド効果をじわじわと奪い去っていく。そして遂に、前方の画面に目で見て分かるほどのヒビが入り始めた。耳障りな警告音が狭い船内に響き渡る。
『シールド効果残り5%。直ちに下船してください』
守田が警告音をかき消すような声で叫ぶ。
「こんな宇宙の端っこで名も残さず散るなんて俺はゴメンだ! どうにかしろよ船長!」
「言われなくてもやってる! 船を降りたら俊雄の口を絶対溶接する!」
そんな彼らの前にこれまでとは比較にならないほどの巨大な小惑星が現れた。
直径5キロは軽くある小惑星である。
「無理……」
プレアは諦めたように脱力した。それを体で感じた守田は、彼女の肩をがっしりと掴んで説得を試みる。
「諦めンじゃねぇ! とにかく避けろ! 下、いや、上だ上!」
守田は気づいていないが、計測器は方位ごとの回避率がすべてゼロを示しており、回避不可能という赤色の電子文字が点滅を繰り返していた。プレアは放心しており、守田の声は全く耳に届いていない状態だ。
衝突までの距離、残り500メートル。
前方のディスプレイには、最早ゴツゴツとした岩肌しか見えない状態だ。
――と、そのときだった。
警告音が消えると同時に、スピーカーが破れるほど声が二人の耳を
『姉上! シールド割当てを船体のみに切り替え、機首を目一杯下げてください!』
メインスピーカーから放たれたその声に、プレアは弾かれたように面を上げ、すばやく指示通りの行動にでた。直後、青白いレーザー光が機体の真上を通過し、二人の視界全体を眩い光が覆った。眼前に迫っていた小惑星が、一瞬で爆砕したのである。
大小様々な岩が光と共に宇宙空間の全方位に向けて放たれていく。両翼を失った機体が、爆風の煽りを受けて回転運動をしながら宇宙空間を漂っていると、いきなりガチンという機械音ともに制止を余儀なくされた。声の主の船に電磁アームでキャッチされ、救われたのである。
その船はいかにも戦闘機といった感じの風貌で、地球産の物と比べると機首部分がとても長く、大げさな前進翼が四つもついており、垂直尾翼には銀河文字で銀河警察とペイントされていた。
そこで、声の主の映像がディスプレイに映し出された。長い金髪を両サイドに結わえた、おぼこくもどこか勝気な表情が自己顕示欲の強さを表している。
『帰還の予告もなしにアラートが鳴ったので来てみればまさかこのような事態になっていたとは思いもよりませんでした。密かに発信機を仕込んでおいたそれがしのお陰と言えましょう』
その少女は、まるで早く褒めてくれと言わんばかりに横目を使ってプレアを見ている。プレアは気の置けない存在の登場に心から安堵したような笑みを浮かべ、お礼を述べた。
「ルーちゃん、ありがとう」
少女は顔全体でにまっと笑い、
『とにかく姉上が無事でなによりであります! が、しかしながらその背後でのうのうと座っている間抜け面は一体何者でありましょう?』
プレアは慌てて彼女に守田を簡単に紹介し、守田に彼女を簡単に紹介した。
二人はプレアの妹に、命を救われたのである。
妹は名を、ルチェアと言った。
「後で詳しく話すから、どうかこの事はお父様には内密に」
『もちろんそうします、そうさせていただきます! 生を享けてから早や十年。姉上に背く者などこの世に存在しませぬゆえ、これまで通り常しえのご安心を。よしんばそのような痴れ者がございましたら直ちにこの世から消えてもらいましょう。ええ、手を下すのは無論それがしです。ですが……』
ルチェアがプレアの背後で訝しげに見てくる守田を鋭い目つきで睨みつける。
『どこぞやの名もなき星の薄汚い難民か、はたまた、図々しくも亡命がてらにその船に乗り込んだ愚か者なのかは存じ上げませんが……そなたからこの上ない敵意を感じます。あとで心行くままタップリと尋問して差し上げますのでどうかお逃げなきよう。では姉上のちほど』
言うだけ言って最後に満面の笑みを浮かべたルチェアの映像がプツンと途絶えた。守田は静まり返った船内で思っていることを口にした。
「おい……あれ本当にお前の妹か?」
「う、うん」
一瞬の淀みがすごく気になった。
「なんか、本能的にスゲー会っちゃいけねえ気がすンだが……気のせいだよな?」
「……うん」
守田は、プレアの最後の詰まり具合がものすごく気になってはいたが、やがて追及することを諦め、改めて背もたれに身を委ねた。ところがプレアも同じようにして身を委ねてきたのでくつろげなくなってしまい、フリートス星に着くまでのあいだ、守田は数字どうしを足し合わせるという単純かつ奥深い計算を延々と繰り返す羽目になったのである。
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