この先にきっと何かがある。行くよ、二人とも。準備はいい?

 一行が隊列を組み、西に1キロほど進んだ所に分かれ道があった。彼らはそこで歩むのを止め、道を外れてから草葉の陰で小休止をとることにした。


 須賀理はバッグの中からチョコバーを取り出して一口かじり、回して食べるようプレアに渡して胸ポケットからメモ用紙とペンを取り出した。守田にマグライトを照らさせて簡易的な地図を作りはじめているその横で、プレアが渡されたチョコバーをいつまでも食べずに見続けている。当初守田はその様子を黙って見ていたのだが、一向に食べようとしない彼女にとうとうしびれを切らしたのか「食わねえなら先によこせ」と急かしたので、プレアは慌てて須賀理の歯形が残る断面にかじりついた。そのあと回ってきたペットボトルにも同じことを繰り返そうとしていたので、守田に頭を小突かれる。


 休憩を終え、再び山の麓を目指して歩きはじめる。


 市街から確実に切り離されてしまった大地は見渡す限りの平原と変わりはて、肩越しに振り返る闇の地平線が街の残光で薄っすらと輝いている。蛇のように曲がりくねった道や、なだらかな勾配が続く道を着実に進み、目の前に聳え立つ峰広山の麓に近づいていく。その道すがら、一行は実に様々な物を目にした。掘るのを途中で止めて放置された蛸壺。土嚢を小高く盛り上げた防弾壁。バラキューダで偽装された時代がかったトーチカ。刺しっぱなしの標桿と錆びた5.56ミリ弾の薬莢と演習場内立ち入り禁止の白い野立て看板。こういった軍でしか味わえない演習の名残は、一般市民並びに軍事マニアにとって非常にレアなものばかりであるが、喋ることの方が大事な一行にとって、それらは路傍の石ころにすぎず、一瞥すらくれなかった。そして最初の目的地にしていた麓手前の森林地帯までどうにかこぎつけ、そこに突入してから10分ほど歩いたところで橋に差し掛かる。


 手すりのない橋から下を覗き込んでみると、岩場と木々のフレームの中に山紫水明な渓流の景色が月明かりによって幻想的に照らされていた。標高1123メートルの峰広山を源泉とする新鮮な山水が流れている。空になったペットボトルに水を補充して林道歩きを再開する。


 そこでプレアがいち早く何かに気づいた。


「二人とも身を低くして」


 と、いきなりではあったが、二人は反射的に概ねその言葉通りの行動を取った。敵に不意を突かれたか、と思ったのも束の間、それらしき事は何も起きなかった。


 須賀理が安堵と呆れの成分が混ざった溜息をつく。


「で、こんな真似させてどうする気?」


「シッ! あそこに光が見える」


 プレアの指差す方角に二人は目を向けた。距離にして1キロほど先だろうか、木々の隙間から極めて小さな光源が見えた。


「でかしたぞプレ子捜査官(仮)。そのまま警戒を怠るな」


 須賀理がその後にとった行動は実に素早かった。マグライトを消して更に身をかがめ、すぐさま道を外れて山の斜面側を駆け上がるよう二人に指示を飛ばした。建物が俯瞰できる適当な場所まで登り苔むした岩の陰に隠れ、折り畳み式の双眼鏡を取り出して中を覗き込んだ。林道の少し開けた場所がぼやけて視界に飛び込んできたが、倍率を手早く調整し、ぼんやりとした光源に輪郭を与えていく。ドーム型の白い建物が見えてきた。


「目標敵戦艦、前方艦ヨーソロー、方位角右45度、敵速20、距離1500、第一雷速うてー。なんつって、やはは」


 建物は、銀色の有刺鉄線が張り巡らされたフェンスに覆われていた。その入口に小銃を担いだ警備兵が二名、さらに建物の四方を取り囲むようにして三名の兵士が辺りを警戒していた。そしてその近くにジープが二台、幌つきのトラックが一台停めてあり、交代要員が待機していると思われる天幕が張ってある。厳重と聞いていた割には警備の数が少ないとは思うが、入り口を局所に絞って侵入を困難にする企みだとすれば理にかなった作戦だといえなくもない。


「本丸は多分地下。ま、想定内だけど、どうやって入ろっか」


 守田は手渡された双眼鏡を覗き込み、


「……え、あれか? なんか、もっとこうでっかいの想像したんだけど」


「だから地下って言ってるし! 搬送口はあるみたいだけど、あれは多分表向きの施設」


「げっ、マジか。なんか更にメンドーになってきたな、あんなのどうやって入ンだよ?」


「今それを考え中。もー、いつまで見てんのよ、さっさと返してよ」


「まぁ待てって。今侵入経路を探してやってンだから」


「嘘つけ! なんも考えないくせに!」


「お、あそこいいんじゃ……あ、テメー何しやがる!」


「ひとり10秒って言ってんだろがこのクソボケ!」


「お前は10秒以上見てただろ!」


 双眼鏡そっちのけで取っ組み合いが開始される。


「ほ、他に入り口があるかも!」


 プレアが止めに入り、二人に他のルートを探そうと話を持ちかける。そして話し合いの結果、橋のあった場所まで戻ることにした。警戒の薄い川縁から施設に近づいて調査するためである。


 水際へ降り立ち、起伏の激しい岩場の道のりを歩いて北東を目指す。水面に半月が揺れ、川魚が跳ねる音とやさしいせせらぎが聞こえる世界に岩を踏みしめる固い足音が響き渡る。プレアが思考を凝らしながら前を行く二人からちょうど視線を外したその時、反対側の岩壁にある異変を発見した。


「煙が見えた……ホラ、あそこ」


 二人は後ろを振り返り、プレアが指差す方向へ視線を向けた。一瞬だったが闇の中でもはっきりとわかるくらいの白い煙が岩壁の隙間から漏れ消えるさまを目の当たりにした。その気体は外気に触れると無色になるらしく、プレアの観察眼がなければ見逃していたところである。一行は小川から突き出た岩を踏み台にして対岸へ渡り岩壁を調べた。そして、拳二つ分ほどの小さな穴が開いているのを発見した。幾分も経たないうちにそこからまた煙が排出され、東寄りの緩やかな風と共に消え失せる。臭いはない。プレアが足元の岩に手を当ててこう言った。


「この下から熱を感じる」


 プレアと同じ行動を取った彼らが何も感じ取れなかったのは、地下の奥深くから放射されている微量の赤外線を探知できないからである。怪訝な表情を見せる須賀理に、どういうことかと問われたプレアがこう答える。


「おそらく小川から染み出た水が何かの熱源で蒸発して気体になってる」


「熱源てことはつまり、この真下に施設があるってことか?」


「うん。この穴から施設のどこかしらの場所に潜り込める可能性が高い」


 須賀理は空いた穴に恐る恐る手をかけてみた。すると、周りを固めていた小岩があっけなく崩れ落ち、拳大の穴がバレーボールほどの大きさとなった。それを見た一行に共通意識が芽生え、競い合うようにして岩をほじくりはじめた。穴はあっさりと広がり、人ひとりが這いずれるほどの空間が出来上がった。一行はこぞって穴を覗き込むが、中は杳として知れず、生暖かい風に顔を舐め上げられるだけであった。


 地下施設に潜り込める糸口をついに見つけたのである。


 須賀理は、おもむろに腕時計を胸の前に掲げた。時刻は午後8時46分で止まっていた。方位計のボタンを押してみるが、いつまでたっても方位を示そうとしなかった。 


 計測不能である。


 口元が緩むのを止められない。須賀理は固唾を飲み込み短くこう言った。


「この先にきっと何かがある。行くよ、二人とも。準備はいい?」


 須賀理のその言葉に、二人は力強く首肯した。

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