おうし座の首の付け根あたりにあるボクの一番大好きな星団の名前

 午後7時14分

 時坂演習場


 密集する木々の中を一行は果敢に突き進んだ。須賀理が辛うじて進める方向に、あちらこちらへと向きを変えるので、目的地の距離が縮まっているかどうかも定かでない。奥に入り込むほど緑の濃い匂いにむせ返り、街の灯りが乏しさを増していくにつれ、自分たちの耳に入る喧噪は草木を踏みしめる音だけとなった。須賀理が押しやった枝がムチのようにしなり、後ろを行く守田の体に容赦のない一撃を加える。真新しかった制服はたちどころに傷まみれになっていき、着始めて丸一年が経った物に比べても遜色がないほどに仕上がっていた。


 昨日に引き続き森の中に入るなんて予想だにもしなかった、事前に分かっていればもう少しマシな恰好でこれたのに、と守田は心の中でぼやきつつも、後ろのプレアに被害が及ばぬよう、枝を折るといった最低限の気配りだけは忘れなかった。


「それにしてもお前の兄貴、全然お前と似てねえよな」


「えー、そう? ちっちゃい頃はよく似てるって言われてたんだけどなー」


 マグライトを口にくわえたまま喋るので非常に聞き取りづらい。


「……ま、たしかにワイルドなところは似てるかもしれねえ」


 目的地までは気が遠くなるほどの道のりだ。無言で歩き続けるプレアに守田が話しかける。


「お前はロシアから来たンだよな、地名とかよく知らねえけど、どの辺に住んでたンだ?」


 プレアはこの質問に動じなかった。なぜなら昨日のような失敗を繰り返さぬよう、拠点に帰ってロシアのことを勉強したのだ。プレアは得意調子になって鼻を鳴らしこう答える。


「モ、」


「プレアデス星!」


 プレアが周到に用意していた答えを上書きしたのはもちろん須賀理であった。あまりの正確さゆえ、モスクワのモの字しか言えなかったプレアが石のように固まっている。


「は? お前に聞いてねえだろ。てか何だよそのプレアデス星って」


 プレアはひとり立ち止まり、口に手を当てたままぶるぶると震えていた。須賀理は、くわえていたマグライトを手に取り、歩みを止めずにこう語り始めた。


「おうし座の首の付け根あたりにあるボクの一番大好きな星団の名前。和名はすばる。その辺りの惑星に住んでいるのがプレアデス星人。金髪の美男美女の宇宙人がわんさかいるって有名でー、んでもってプレ子がなんでこの星に来たかっていうと、イイとこのお嬢様かなにかで地球のことを勉強しに単身渡星してきたかー、もしくは秘密の任務を帯びてこの星を調査しにやって来た、ってボクは睨んでる。それに、ウチの家の近所の昴荘に住んでるし、夜な夜なひとりで出歩いてるって噂も聞いたことあるし」


 と、自信たっぷりに答える須賀理に対してプレアは何も言い返すことが出来ず、ただ押し黙ったまま思考をフル回転させる。


 ――正体がバレてる? いや、まて、考えすぎだ。恵子の答えは広義的に解釈すれば当たっているけれど、肝心要のところを言い当てきれていない。自分の住む星がアルキュオーネ系第三惑星であることや、その周りを公転する速度と自転速度が地球と同じで、星団には人が住む惑星が六つあって、一括りに皆プレアデス星人と呼ばれているけど、フリートス星が統治していることを知らないようだし、天の川銀河の平和を守る銀河警察本部があることも知らない。とはいえ、ここまでプレアデス人の存在が地球社会に出回っているとは思ってもみなかった。異星人が地球内活動で目撃されてしまった例は年々増加の一途を辿っていると署内報で知ってはいたけれど、防止策を考えるためにもこのような現状を上司に報告すべきか否か……。


「ホーラ、何も言わないってことはきっと図星。仮入部したんだからそろそろ答えろ!」


「ぜ、全然違うっ、プレアデス星団とか、は、は、はじめて聞いた!」


 プレアはそう言って、すっかり開いてしまった彼らとの距離を縮めるべく、足早に追いかけながら再び思考の泥沼に潜り込む。


 ――それにしても毎度のことながら恵子の洞察力には頭が下がる。銀河法の縛りがなければ今ごろ当局に掛け合って恵子を地球代表として推薦しているところだ。彼女の愛らしい姿を見れば一発で合格すること間違いなしだし、じいやだって諸手を挙げて賛成するに決まってる。もしそうなったら何が何でも私の家に住んでもらおう。もちろん部屋は私の隣。寝食共にずっと一緒。絶対誰にも文句を言わせない。


 だめだ、頬が勝手に緩んでしまう。


 そうだ、いいことを思いついた! もしそうなれば警察学校に通うことになるのだから今のうちに現職教官たちに掛け合って教官職に就けるよう自ら買って出るというのはどうだろうか。いざとなればじいやにお願いして……そうすれば四六時中ずっと恵子と一緒に夢の――、


「おいプレア、何そんな所でブツブツ言ってンだよ。まさか、この木は私の友達とか言うンじゃねえだろうな? また、もたもたしてっとあいつに置いてけぼりくらっちまうぞ」


 気が付けば巨木の前に立っていた。須賀理たちがプレアを置いてどんどん先に歩いていく。須賀理の含み笑いが、草木の折れる音の闇の向こうから聞こえてきた。


「いーの、いーの。プレ子は元々ぼっちちゃんなんだから、置いてけぼりの刑に処される運命なの」


 ――恵子が私を置いてどこかへ行ってしまう。


「いやっ、待って、どこにも行かないで!」


 それからも二人は無理な質問でプレアを困らせた。そして、下界と場内を区切るおよそ500メートルほどの密林地帯を無事に抜け出し、轍のできた赤土色の大地へと足を踏み入れる。


 まず最初に目に飛び込んできたのは、東西にまっすぐ伸びる幅3メートルほどの道で、東の先に見える灯りは駐屯地のものに違いなく、西の先は闇の奥へと続く果てしない一本道であった。


 道を挟んで北側は雑草が伸び放題の荒涼とした平原地帯で、空には上弦の月が浮かんでおり、時折雲の裏側に隠れては、まるで世界地図のような幻想的で複雑な光景を生み出している。


 辺りには誰もおらず、虫の声すら聞こえてこない。吹き抜ける風に闇の中で揺られる草木が心地よい葉擦れの音を辺りに響かせている。

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