第10話 第二の依頼

 放課後。俺は旧写真部にて先に来ていた卯崎の入れてくれた紅茶を飲みながら依頼者が来るのを待っていた。今日の紅茶はウバ茶というらしい。有名なようだがよく知らん。


「そういえば今日、先輩の隣の席の神月楓先輩とお話をしました」


 俺と同じく紅茶を飲んでいた卯崎が、カップをソーサーに置いて唐突に話を切り出してきた。


「ああ、俺に用事があって来たんだってな。すまんな、電車が遅れたせいで今日はいつもの時間に登校できなかったんだ」


「いえ、それはかまわないんですが。それよりも私は先輩があの神月先輩と本当に交友があったという事実に驚きを隠せません」


 全く驚いた風もなく、いつもの微笑みを浮かべたままそう言った卯崎。なんだ、何が言いたいんだ?


「いえ、もちろん先輩が神月先輩と仲が良いというのは情報として知っていたんですが、今までどうも信じることができなかったんです。なにせ神月先輩は人を寄せ付けない人だと一年生の間でも有名でしたので」


「まじか。あいつのぼっち度って後輩にまで知られてるの?」


「ええ。まあ、神月先輩美人ですし」


 卯崎はこともなげに言うが俺は少し恐怖を覚えた。だって、それって顔が良ければ自分のことが自分の全く知らないところで噂されているってことだ。お母さんお父さん、僕を普通フェイスに生んでくれてありがとう。


「確かに神月は美人だし告白されることも少なくない。有名になるのも当然と言えば当然か」


「先輩はそんな神月先輩とどうやって仲良くなったんですか?」


「仲良くなったって程じゃないと思うぞ。去年からの付き合いだけど朝しか話さないし。どちらかと言えば俺が話しかけてるのを神月が毒を盛った言葉で返してくるって感じの会話だし」


 まあ去年の今頃、つまり俺が神月と話し始めた頃に比べればだいぶマイルドな毒になったが。あの頃は言葉だけで殺されるんじゃないかと本気で死を覚悟するレベルだった。


 俺の言葉を聞いた卯崎はあごに手を当てて考え込むような表情を見せたあと、何かを悟ったのか、俺に向き直ってこんなことを言った。


「……もしかして先輩、マゾなんですか?」


「んなワケあるかっ!」


 突然何を言いやがるんだこの後輩は。


「でも先輩、神月先輩に毒を吐かれても会話を続けてるんですよね。しかも一年も。これはもう毒を吐かれることに快感を覚えているとしか思えません」


「待て待て誤解だ。俺はただ朝二人だけの教室で無言っていうのが耐えられなかったから話しかけたってだけであって、断じてそんな性癖の元で行動した訳じゃない」


「怪しいですね。言い訳にしか聞こえません」


 やばい、このままでは俺はマゾ性癖の変態野郎というとんでもない誤解を卯崎に抱かれてしまう。とは言っても卯崎は俺の言葉を聞こうとしない。こうなったらもうあれを使うしかない。俺がいつも桃との会話の中で使っている百八の会話術の一つ、都合が悪くなった時の話題転換を!


「ま、まあそんなことよりさ。その神月が、お前のことを人と関わろうとしないぼっちなんじゃないかとか言ってたんだが」


「話の逸らし方が露骨すぎます、先輩」


「うっ……。ま、まあそんなことはどうでも良いんだ。で、実際お前って友達いないのか?」


 どうやら俺の会話術は桃程度にしか効かないらしい。それでも卯崎の疑惑の目を無理矢理押しきってなんとか言った俺に対し、卯崎はそれ以上の追及を諦めたのか、軽くため息をついた。


「……別に私は特別人と距離を置いているわけではありませんよ。むしろ積極的に関わっている方です。もっとも、それは友達を作るという目的ではないですけど」


 卯崎の目的。それは『恋愛』が何かを知るというもの。卯崎はそのために人とコミュニケーションをとっているに過ぎないと、淡々と口にした。


「じゃあなんだ。結局卯崎には友達がいないってことか」


「ええ、まあ事実だけを述べるとそういうことになりますね」


「じゃあ、俺が友達になってやろうか?」


 俺はおどけた感じでそう口にする。半ば冗談のようなものだったのだが、それに対する卯崎の返答はなんとも冷たいものだった。


「……いえ、結構です。私は『友達』という関係が欲しいと思ったことは、一度もありませんので」


「ああ、そう……」


 俺の曖昧な相づちが虚しく響き、沈黙。どうやらこの話題は卯崎にとって地雷だったようだ。やばい、なんとなく気まずい空気になってしまった。

 俺はその微妙に冷えた空気から逃れるように目の前の紅茶に口をつける。


「冷てえ……」


 淹れられた時にはほのかに湯気が立つほどの温度を持っていたカップも、時間の経過と共にすっかり冷え切ってしまっていた。


 お願いだから依頼者の人早く来て! この居心地の悪さをなんとかしてくれ!


 そんな俺の切実な願いが神に届いたのか、旧写真部のドアがノックされたのは、それからわずか数分後のことだった。


 ***


 昨日と同じように俺がドアを開けると、そこにいたのは一人の女子生徒。黄色のリボンタイをつけているので俺と同じ二年生だ。俺も何度か廊下ですれ違ったような記憶がある。


「あんたって確か、二組の……。そう、あんたが協力者だったのね」


 どうやら向こうも俺のことを知っているらしい。俺の存在に軽く驚いているようだが、今の口ぶりと、前回の後藤の時のような警戒されている雰囲気を感じないことから、卯崎が事前にある程度協力者である俺の存在を教えておいたのだろうと思われる。相変わらずぬかりない。

 ともかく、相手はこちらのことを多少なり知っているとは言え、ほとんど初対面だ。軽く自己紹介くらいはしておいた方が良いだろう。


「二年二組の古木だ。ご存じの通り訳あって卯崎の協力をしている」


「四組の南川よ。よろしく」


 勝ち気そうな瞳でこちらを見つめる彼女は、意外にも律儀に名乗り返してくれた。


「二年四組の南川椎名先輩ですね。お待ちしておりました」


 俺たちの自己紹介が終わるタイミングを見計らってか、後ろから声をかけてきた卯崎がソファから立ち上がり、どうぞ、といって反対側のソファを勧める。南川とやらは勧められたとおりにソファに腰掛ける。昨日同様またしても席を失った俺はおとなしくドアにもたれ掛かることにした。

 卯崎は慣れた手つきで新しいティーカップに紅茶を注ぎ、南川に差し出すと、話を切り出した。


「それで、南川先輩。本日はどういったご用件でしょうか」


「あ、うん。えーっと、実は……」


 話を引き延ばすように、間延びした声で唸る南川。まあ、自分の恋愛事情なんてそう簡単に他人に話せないよな。だが話して貰わないと話が先に進まない。南川はしばらく唸った後、やがて意を決したように話し始めた。


「じ、実は、私今付き合ってる人がいるんだけど、その、うまくいってないって言うか……」


「なるほど、その相談をしに来たってことか。で、誰と付き合ってるんだ?」


「え、えっと……」


「相田聡。二年二組の生徒ですね」


 俺の質問に答えたのは南川ではなく卯崎だった。当の南川は「うえっ!?」となんか変な声を漏らしていた。まあ言いふらしている訳でもないのにいきなり自分の付き合ってる人を言い当てられたら誰だって驚くよな。俺はもう慣れた。


「相田っていうと……あいつか」


 相田聡は先ほど卯崎が言ったとおり二年二組、つまり俺と同じクラスである。確かクラスでも二番目くらいのグループに属しているスポーツ出来そうな雰囲気の爽やか男子。バスケ部だったかのエースでもあるらしい。その上彼女までいたとは。ちっ、勝ち組め。


「で、うまくいってないって言うのは具体的にどういうことなんだ?」


 俺の質問に、南川はゆっくりと答え始める。


「……その、私たち、付き合いだしてもうだいぶ立つんだけど、最近少し距離が出来てきたって言うか。いや、もちろん今でも時間があえば一緒に帰ったりしてるんだけど、前ほどは頻繁じゃなくなっちゃって。二人で遊びに行くこともなくなっちゃったし。でも私は聡君が今はバスケで忙しいからごめんって言ってたし、しょうがないなって思ってたの。そんなときに、聡君についてのある噂が流れきて……」


「どういう噂なんですか?」


 卯崎のその質問に対して少しためらうような様子を見せる南川。そんなに悪い噂なのか。


「……えっと、その、聡君がいろんな女の子と遊んでる、って、言う噂で」


 途端に部屋の雰囲気が沈んだものになる。その空気の発生源は間違いなく南川。うん、これはやばいわ。どう返したら良いのか分からないよ。


「ああー……その、なんだ」


「つまり、南川先輩はその相田先輩に浮気されているのではないか、もしくは自分も遊ばれているだけなのではないか、と思っている、ということですか」


 ……あの、卯崎さん? それはいくら何でも速球ストレート過ぎやしませんかい?

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