第9話 主人公がいなくとも世界は廻る
次の日の朝。俺は、いつもよりも少し遅れた時間に登校していた。というのも、いつも利用している電車が人身事故かなんかで止まってしまったのだ。俺がこの学校に来るにはその電車を利用するしかなく、結局、電車が運転再開するまで俺と桃は駅のホームで足止めを食らってしまったのだ。桃の朝練の時間には十分間に合う時間だったのが救いだ。
ところで、遅延が発生した朝の電車内、および駅のホームというのは非常にぎすぎすした雰囲気に包まれている。ただでさえ眠くて機嫌が悪い朝の時間に、自分とはなんの関係もない赤の他人によって自分の生活リズムが乱されるという不快感。それが狭い駅構内や車内で大量に発生するのだから、その空間内における不快指数は天井を突き破る勢いの数値を示すのは必然である。乗車率の低い俺の利用する電車でもそう感じたのだから、きっと都会の人たちは俺の想像もつかないようなひどい苦難を味わっていることだろう。就職先は地元が良いな。都会怖い。
そんなことをつらつらと考えていると、いつの間にか二年二組の教室の前までやって来ていた。
ドアを開けると、そこにはこのクラスの住人が一人。黒色のショートカットの髪を持つ女子生徒、神月が俺の隣の席に座って読書をしていた。彼女は俺の存在に気づくと、本を閉じてこちらを向いた。そして口を開くと、流れるように毒を吐き出し始める。
「あら、ちゃんと来たのね。てっきりいじめに遭って登校拒否になってしまったとばかり思っていたのに」
「それは残念だったな。俺は人畜無害をモットーに日々を生きているからいじめられることなどあり得ん。昨日のラブレターのことも杞憂だと分かったし」
「あら、そうなの」
「ああ、卯崎って知ってるか? 一年の有名人」
「ええ、まあ。……なに、あなたもしかしてその卯崎さんから貰ったとか言うつもりじゃないでしょうね。もしそう思っているのならそれは痛々しい妄想よ。今すぐその恥ずかしい勘違いをやめなさい。気持ち悪いわ」
「おい、まだ何も言ってないのに人の心を傷つけるのをやめろ。……確かに卯崎から貰ったものだが、まあ、なんだ。なんというか、そう言うのじゃねえんだよ。卯崎の知的好奇心が爆発した結果、みたいな」
「……そう」
神月はよく分からない、といった表情でそう答えた。確かに今の説明では要領を得ないものだっただろう。だが、詳しく話そうとすると卯崎の個人的な事情にまで踏み込んでしまうことになる。それは避けたかった。あとは単純に全部話すのがめんどくさい。
「……そういえば」
「あ?」
俺が席に着いたのを見計らってか、神月が言葉を漏らした。
「さっき、卯崎さんがこの教室に来たわね」
「え、そうなの?」
「あなたに用があるとも言っていたわね」
じゃあなんですか、神月さんは俺と卯崎に面識があることを分かった上で俺にあんな毒を吐いたんですか。
げんなりする俺をよそに神月は言葉を続ける。
「あなたはいないと言ったら彼女にこんなものを預かったわ」
「封筒と……鍵? どこのだ?」
「さあ。聞いていないから分からないわ」
肩をすくめる神月を横目に見ながら封筒を開封した。そこに入っていたのはつい先日も見たメッセージカード。そしてそこに書かれていたのもつい先日見た文字。間違いなく卯崎からのものだ。
『新しい相談を受けました。今日も旧写真部に来てください。あと、旧写真部の合鍵を渡しておきます』
手紙の内容からすると、どうやらこの鍵は旧写真部の合鍵らしい。てか勝手に合鍵とか作って良いのだろうか。
「それにしても驚いたわ。まさかあなたとあの卯崎さんが手紙のやりとりをするような仲だったなんてね。このことを学校中に広めたら人気者になると思うのだけれど、古木君?」
「勘弁してくれ。人気者じゃなくて怨嗟の対象の間違いだろ、それ……」
そんなことをされては俺の今後の学校生活に支障を来しかねない。もうすでに支障を来している気もするが、それはきっと勘違いだろう、うん。
「……てかお前。卯崎と話したのか?」
「そうだけれど……何よその我が子の成長を喜ぶ親のような顔は。激しく不快だわ。言っておくけれど、彼女の方から話しかけてきたから仕方なく会話に応じただけよ」
「いやでもお前、普段誰かに話しかけられても存在を認知してないのかと思うレベルで無視してるじゃねえか。その神月さんがついに人と会話するようになったって言うんだから、それを喜ばずしてどうする」
しかもこいつの場合、やたらクールな印象の方で顔が整っているから、近づきがたい印象を受けるんだよな。その上奇跡的な確率で会話が成立したとしても持ち前の毒舌で相手を再起不能に陥らせてしまう可能性大である。とことん意思疎通のスキルがマイナスに振り切れてる奴だな。
俺の若干芝居がかった表情が気に入らなかったのか、神月は俺を睨み付ける。しかし、しばらくして諦めたのか呆れたのか、「はあ……」とため息をつくと、淡々と話し出した。
「さすがに私だってわざわざ一学年上の教室までやってきた後輩のことを無視したりしないわよ。……それに、彼女にはどこかシンパシーを感じたから」
「へえ……どの辺に?」
「彼女、なんとなくだけれど、あまり人と関わろうとしたがらないような雰囲気を感じたの。……いえ、なんだかそれとも違う気がするわ」
「なんだそれ。ぼっち的なシンパシーとかそういうことですか」
俺がそう言うと神月が人を殺せそうな圧力を伴った目で俺を睨んだ。俺は即座に謝った。あれはやべえ。ぼっちって言葉に親でも殺されたのか、神月。
俺は神月の無言の圧力から逃れるように言葉を切り出す。
「……で、でも、卯崎が人と関わろうとしたがらないって、さすがにそれは違うだろ。あいつ、学校の有名人だぜ。それに他人の相談にも積極的に乗っているし」
まあ後半については完全に自分のためにしていることなんだが。
「そう……まあ、私の勘違いということもなきにしもあらずという可能性も否定できないのだし、あまり気にする必要はないわ」
神月はどこか納得しきれていないという表情で言った。ところで神月よ、それは自分の勘違いを認めているのか、いないのか、どっちなんだ。
そこまで話したところで三人目のクラスメイトがやって来たため、俺と神月の会話も終了となった。そうして朝のホームルームの時間までぼんやりと何を考えるでもなく過ごしていると、ふと昨日の出来事が頭に浮かんだ。
……そういえば、後藤は卯崎が周りから浮いているということを言っていたような。そう考えると、神月の言ったことも案外外れていないのかも知れない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます