第8話 知りたい

 そうして部室に二人だけとなると、途端に静かになったような気がする。卯崎が机に置かれたティーカップを回収する音だけが響く。

 なんとなく気まずさを感じた俺は、頭をかきながら言葉を探した。


「……あー、なんかすまんな。お前が引き受けた依頼なのに俺が一人で解決したような感じになって」


「いえ、別にかまいませんよ。実際、この解決方法は先輩にしか導き出せなかったものですから。そういう意味では私の見立ては間違っていなかったことになりますし」


 卯崎は片付けをしながらそう答える。その口調は本当に気にしていないようだった。


 片付けを終えた卯崎は、再びソファに座ると、俺に向き直って「それよりも」と言葉を放った。


「先輩、後藤さんがどうして荒井さんのことを好きになったか聞いてませんでしたよね。気にならなかったんですか?」


「まあ、気にならなかったといえば嘘になるが……特段相談の解決に必要なさそうだったしな。なら深く突っ込む必要はないだろ」


 と、そう言ったところで思い出した。そういえば卯崎が恋愛相談に乗ってるのって、恋愛が知りたいからなんだよな。ならどうして好きになったのかっていう動機は知りたかったはずじゃないのか?


「そういう卯崎は聞かなくてもよかったのか? お前、そう言うの知りたいんだろ?」


「私は前回の相談の時に聞いていますから」


「あ、そう……」


 そういうところはしっかりしてるのね……相変わらず抜け目ない。

 俺がある意味感心して卯崎の方を見やると、卯崎は「……そうですか」と小さく呟き、俺に目を合わせてきた。その顔には、いつもの微笑みとは似て非なる、別の表情を浮かべていた。


 それは、なんというか、自然な笑顔で。

 口に出すことは出来ないが、その姿はさっきまでの何倍も魅力的で。


「先輩のこと、少し分かった気がします」


 ふいに彼女はそう言うと、続けてこう言い放った。


「私、もっと先輩のこと、知りたくなってしまいました」


 その言葉は、思わず吸い込まれてしまいそうになるような、どこか蠱惑的な魅力を放っていた。その笑顔に、一瞬見蕩れてしまう。


  俺は、まじめに言葉を返すことが出来なくて、でも何かを言おうとして、咄嗟に思い出したことを冗談めかして言った。


「……あ、じゃあさ、ラインのID教えてくれよ。メールだとどうにも使いづらい」


「それは無理ですね。私、ラインやってないので」


「え、嘘だろ?」


「いえ、本当ですよ?」


 そう言って卯崎は自分のスマホの画面を俺に見せた。どうやら彼女の言葉は本当のようで、ラインはおろかソシャゲの類も一切入っていなかった。今時の女子高生でラインやってない奴とか存在したのかよ……。

 そんな驚きで、さっきまでの空気はどこかへ行ってしまった。卯崎もすっかり元の微笑に戻っており、まるで先程のやり取りがなかったかのように元通りである。


「……さて、そろそろ下校時刻ですね。部室を出ましょうか」


「ん、もうそんな時間なのか」


 時計を見ると確かにあと十分ほどで下校を促す放送が流れるという時間だった。それに気づくと同時にスマホに桃からの連絡が入る。


「幼なじみさんからですか?」


「ああ、部活が終わったってさ」


「ずいぶんと幼なじみさんに献身的なんですね? 毎日やっていて疲れないんですか?」


「もう慣れたことだしな。それにこれは俺が言い出したことだから」


「そうなんですか。……もしかして、幼なじみさんのことが好きだから、とかですか?」


「まさか」


 卯崎の勘ぐりを一笑に付す。そんなこと、あり得るはずがない。

 何故なら。俺は、弥生桃に恋慕を抱いて良いはずがないから。ただでさえ俺の勝手な自己満足を桃に押しつけてしまっているのだ。これ以上そんなことは出来ない。して良いはずがない。

 そこまで思考を巡らせて、頭を軽く左右に振ってそれ以上の思考を中断する。このことを考えるときはどうも思考がマイナスに傾いてしまっていけない。


「……まあ、そういうわけだから。俺はもう行くわ」


「……分かりました。また依頼があるときは連絡しますので」


 その言葉を背中越しに聞いた俺は、旧写真部を後にした。そのまま昇降口で靴を履き替え、桃を待つべくグラウンドへと歩いていた時、ふと一つの疑問が頭をよぎった。


 ……これ、いつまで卯崎に協力すれば良いんだ?


 昨日、卯崎が俺を脅すことで協力関係が生まれた。だが、いつまで卯崎に協力すれば良いのか、何を持ってこの関係は終了となるのか。具体的な期限が設定されていなかったのだ。

 何故、卯崎は期限を設定しなかったのだろうか。


 仮説その一。あえて期限を設けないことで俺という存在を半永久的にこき使うため。若干想像できてしまったが、そもそも、卯崎の活動は高校生活の範疇に収まるものだろう。ならば、俺が卒業したらこの協力関係は自然消滅と言うことになる。まあ、あとは卯崎が『恋愛』を理解できた時点でも終了になるが、これは判断基準が曖昧なので考慮に入れない。


 仮説その二。素で忘れていた。卯崎の用意周到な性格からしてあまり考えられないが、ないとも言い切れない、なんとも微妙な線だ。保留。


 仮説その三。卯崎が俺と一緒にいたいという願望を持っていて、明確な別れの時期を決めるのが嫌だったから。


「……ねえな。どこのラブコメ主人公だよそれは」


 自分の考えを鼻で笑って切り捨てる。これは一番あり得ない想定だ。天地がひっくり返っても存在し得ない。

 結局、俺が想定しうる中で問いに対する最も適切な答えは仮説その二ということにして、俺はそれ以上の思考を切り捨てた。


 ……きっと、あんな考えが浮かんでしまったのは、彼女のあの言葉が俺の中で今もしっかりとその熱を残したまま反芻しているから。


 たかが1日にも満たない短い時間しか過ごしていないけれど。

 あの、自然な笑顔を見たとき。

 俺は、いや、俺も、卯崎桜のことが少しだけ理解できた気がしたのだ。


 それは果てしなく傲慢な勘違いなのかも知れないけれど。

 でも、だからこそ、俺も卯崎のことをもっと知りたいと、そう思った。

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