第6話 はじめての相談
そして、一気に時間をすっ飛ばして放課後。俺は卯崎に指定された通り、特別棟一階の旧写真部前に来ていた。
旧とあるのはもちろん今この学校には写真部が存在していないからだ。俺が入学する十年ほど前に廃部になってしまったらしい。その部室は意外に広く、部室内からしか行くことの出来ない暗室なんてものも存在する、結構本格的な部活だったという。まあ、そんな本格的な部分が昨今のデジタルカメラの登場で無用の長物となり、結局廃部になってしまったのだから哀れというか、何というか。
「卯崎が来てるのかは知らんが、取りあえず入っておくか……ってここ開くのか?」
遙か昔に無くなった部活の部室とはいえ、ここも学校の施設の一つだ。施錠はされているに違いない。
そう思いながらドアノブをひねると、十中八九開かないと思っていた俺の予想を裏切り、ドアは何の抵抗もなくガチャリと開いた
ドアを開いてまず目に飛び込んできたのが、ソファが机を挟んで二つ向かい合わせに並んでいる、まるで会社の応接室のような旧写真部内。そしてそのうちの一つに座り、こちらを向いて微笑みかける少女。
「お待ちしていました、先輩」
「よう、卯崎」
「取りあえず、適当なところにおかけください」
そう促された俺は、卯崎の対面に位置する場所に座る。ってなんだこのソファ。超ふかふかなんですけど。
俺がソファの座り心地を堪能していると、横からすっとソーサーに乗せられたティーカップが差し出された。思わず差し出された方向を見ると、そこにはトレイを持った卯崎。
「どうぞ、遠慮無くお召し上がりください」
そう言われて、ほのかに湯気が立っているそれを一口飲む。とてもおいしい紅茶でした。口に入れた瞬間の香りがなんか凄い。
「……うまいな、これ」
「それは何よりです。何のお茶か分かります?」
そう言われても、紅茶に詳しいわけじゃないから名前とかわからないよ? 取りあえず知っている名前を適当に出してみる。
「だ、ダージリン?」
「アールグレイです」
知らねえよ。何だよアールグレイって。かっこいいな。
「ほんとはアイスの方が良いんですけど、あいにく氷を切らしてしまっていて」
「ああ、そう」
なんか妙に生き生きしてるな。卯崎桜は紅茶好きという意外な一面が知れてしまった。
「……とまあ、お茶はこのくらいにして。先輩、何か私に聞きたいことがあるような顔ですね?」
「ん、ああ。まあな」
十年前に潰れたとは思えないほどこの部室の設備は充実していて、しかもそのどれもが比較的新しいものに感じる。そもそも旧とは言え、仮にも学校の施設であるここにどうやって出入りしているのか。それに卯崎の請け負っている恋愛相談とやらも詳しく把握しているわけじゃない。聞きたいことはたくさんある。
「そうですね。依頼者が来るまでまだしばらくかかりそうですし、少し説明しますね」
「ああ、頼む」
「まず、相談についてですね。これは私の元に来た依頼者の相談事に合わせて、私がアドバイスをしていくという形で行っています」
「相談者ってどうやって集めてるんだ? 何も無いところから急に卯崎に相談しようって奴はいないだろ」
「ああ、それは私が入学したときからそれとなく噂を流してあるので。聞いたことありませんか? 卯崎桜に恋愛相談をするとうまくいくって」
「そういえばそんなことも聞いたような」
そうだ、確か昨日大西がそんなこと言ってたな。あれ本当だったのか。ん? でもそうすると……。
「俺が聞いたのは卯崎桜に金を払って恋愛相談をするとうまくいく、みたいな内容だったが」
「む、それは少し不本意ですね。私は相談の対価に金銭を要求したことなんて一度も無いですよ?」
心外、みたいな少し怒った口調でそう言った後、「流れてしまったものはしょうがないですけど」と呟いた。大切なのは卯崎が恋愛相談を請け負っているということが噂として広まっていることで、そこに多少真偽に誤差があっても気にしないのだろう。
「でもお前、恋愛がよく分からないんだろ? それなのにまともなアドバイスなんて出来るのか?」
俺がそんな疑問をぶつけると、卯崎はどこかたしなめるような口調で返してきた。
「良いですか、先輩。ここにやってくる人たちのほとんどは、私に頼るまでもなく自力で解決が出来る内容を依頼してきます」
「どういうことだ?」
自力で解決できるならわざわざ卯崎に相談しに行くまでもないはずだ。そう思いながら話の続きを聞く。
「確かに自分だけでなんとかなる。誰かに頼るまでもなくうまくいくことは分かっている。それでも自分の気持ちを好きな人に伝えるのは躊躇するのでしょう。だから誰かに背中を押して欲しい。そう思って皆ここへやってくるのです」
「……なるほどな」
さらにその相手が、相談すると必ずうまくいくと噂の卯崎なら文句のつけようがないって訳か。
「……ん? でもそれだと俺いらなくない?」
たいしたアドバイスをしなくて良いのなら卯崎一人でも出来るはずだ。
「いえいえ、先輩は必要ですよ。私が恋愛を知るために男性側の意見も重要ですから」
「あ、そう……」
つまり依頼者のためじゃなくて卯崎のためなんですね……。
納得した様子の俺を見て、卯崎は話を先に進める
「それで、相談を聞くためにも学校内でほかの生徒が入ってきにくい場所が欲しかったんです。依頼者のプライバシーと秘密を守るためにも」
「だから旧写真部か。でもよく教師の許可が下りたな」
「ええ。そこは先生方との交渉の結果、です」
にこりと微笑む卯崎。怖い、怖いよこの子。交渉ってまさか教師まで脅したのか? 怖いから深くは聞かないが。
「……で、このやけに充実した家具の数々は?」
「それも先生方との交渉の結果、少し融通してもらいまして」
一体何をネタにされたんだ、先生……。
こいつは入学して約二ヶ月の学校の全校生徒の個人情報を平気な顔で握っているような奴だ。教師の弱みの一つや二つ、知っていてもおかしくは無いのかもしれない。改めて卯崎桜の恐ろしさを知った。
***
そうして卯崎の説明も一段落したところで、扉がコンコンと叩かれる音がした。それを聞いた卯崎が俺に声をかける。
「依頼者が来ましたね。すみませんが先輩、ドア開けてもらえますか?」
「ここから声かければ向こうが開けるんじゃないのか?」
「ここは完全防音なので。こちらの声が向こう側に聞こえないんですよ」
そんなに徹底してるのか、この部屋。
俺はソファの座り心地の良さに名残惜しさを感じながらも席を立つ。はいはい、今開けるから何回もノックしないで地味にうるさいから!
「あ、やっと開いたー。もー遅いよー……って、え?」
ドアの向こうにいたのは明るく染めた茶髪が印象的なギャル風の女の子。リボンタイの色が赤なので一年生、つまり後輩だ。
「ようこそ後藤さん。どうぞこちらにおかけください」
「あ、うん」
後藤とやらがソファに座り、彼女に紅茶を出した卯崎がその対面のソファに座る。そして座る場所がなくなった俺はドアにもたれかかるようにして立った。ほら、このソファ二人がけ用だからね? 隙間空けて座れないんだよね。
ところでさっきからずっと後藤さんがこちらをちらちら見てくるんですが……。「なんでこんなよく知らない奴がいるの?」とでも言いたげだ。まあそりゃそうですよね。
「そういえば紹介が遅れましたね。こちらは二年の古木新先輩。私のお手伝いをしてくれる方です」
その視線に気づいた卯崎が俺のことを後藤に紹介する。
「先輩、こちらは今回の依頼者、一年の後藤菜乃花さんです」
「……ども」
紹介された後藤は疑わしげな目でこちらを見てくる。かなり警戒されているようだ。仕方ないっちゃ仕方ないが、このままでは俺も居心地が悪い。
「二年二組、古木新だ。趣味は読書。得意科目は国語で苦手科目は理系全般。部活はどこにも入っていない、つまり帰宅部。今は訳あってそこの卯崎に協力している。人の秘密を誰かに言いふらす趣味はないから安心してくれ」
こちらの情報を先に開示して自分に害はないとアピールすることで相手の警戒を解く。そういう狙いだったのだが、どうやらうまくいったみたいだ。後藤の疑わしげな視線が幾分か和らぐ。良かった、後輩から不審者のような扱いを受けるのはごめんだからな。
「……後藤です。よろしく」
後藤からの控えめな自己紹介。よし、取りあえずこれで話を聞くには問題ないだろう。
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