第4話 天使のような悪魔にも似た少女

 恋愛とは何ぞや。善か、それとも悪か。大きく暖かい夕日を背に、卯崎桜は突拍子もなくそう言った。それに対し、ようやく話すことが出来るようになった俺は、


「……ちょっと待て。落ち着け。いきなり現れて言われても理解が追いつかん」


 取りあえずタンマ。いやね、急に学校一の美少女に話しかけられるとね、緊張しちゃうんだよね。心の準備とかそう言うの出来てなかったからね、今。


 俺は深く深呼吸すると、目の前にいる卯崎に向き直り、彼女に視線を合わせ……るのはちょっとアレだったので微妙に視線をそらしながら口を開いた。


「……おまえの質問に答える前にいくつか聞きたいことがあるんだが、いいか」


「ええ、どうぞ」


 相変わらずにこにこ笑顔のままの卯崎。ていうかこいつの話すの無駄に緊張して疲れるな。そういう能力でも持ってるんですかね?


「まず一つ目。どうして俺の名前を知っている? 俺は別に有名人というわけでは無いと思うが」


「調べました」


 おおう、簡潔すぎて詳細がこれっぽっちも分からないや。


「なんでわざわざ俺のことを?」


「別に古木先輩に限ったことではありませんよ。私はこの学校の生徒のことなら大体のことは把握しています」


「お、おう……そうか」


 やだなにこの子、なんか凄く怖いんですけど! ……このことをこれ以上深く詮索するのはやめておこう。


「……よし、次だ。俺に恋愛の定義がどうとか聞いてきたよな。アレってどういう意味だ?」


「どうもなにも……言葉通りの意味ですけど?」


 可愛く小首をかしげる卯崎。うーん、言い方が悪かったか。


「言い方を変える。何故わざわざ俺なんかのところまで、そんなことを聞きに来たんだ? その答えを俺が言っておまえに何の益がある?」


 そう俺が行った瞬間、卯崎の纏う雰囲気ががらりと変わった。昼休み、あの体育館裏での告白の時に感じた、底の見えない沼地のような、得体の知れない不気味さ。思わず息をのんでしまう。


「古木新。紫陽高校二年二組。一一月一一日生まれの蠍座。一六歳。部活は未所属。現在の趣味は読書。休日の過ごし方は家から一歩も出ずにだらだらする。ただし幼なじみの弥生桃が部活などで学校に行くときはそれに同行している」


 卯崎は急にそれまでの話題とは全く関係の無いことを事務連絡でもするかのように話し出した。……ってそれ俺の個人情報じゃねえか! 調べたってどんだけ細かく調べたんだよ。怖いわ。

 恐怖から身震いする俺をよそに、卯崎は言葉を続ける。


「幼い頃から正義感に溢れ、個人的に様々な慈善活動を行う。小学校の卒業アルバムに書いた将来の夢は正義のヒーロー。中学生になってもそれは続き、近所ではかなりの有名人になる。しかし、高校に進学してからはそのような行動は見られなくなった」


「……そんなことまで知ってんのか」


 正直、あまり知られたくない情報だった。それらは俺の、所謂黒歴史というものだ。いや、そんな言葉で形容できるほど綺麗なものでは無いのかもしれないが。


 俺が呟いた後、屋上には沈黙が降りた。それは嵐の前の静けさのようだった。俺は目の前の少女の言葉をじっと待つ。

 そして、しばらくの沈黙の後。卯崎は「これは秘密ですよ」と前置きしてから、ついに沈黙を破った。


「先輩。私は、『恋愛』というものが知りたいんです。誰かを好きになるというのはどういうことなのか。なにをもって人を好きになるというのか。そして、本当に恋愛は素晴らしくて、美しいものなのか」


 その言葉は多分、普通に聞いていたらなにを言っているのかと一笑に付するものなのだろう。だが、俺はそれをすることが出来なかった。卯崎が纏う雰囲気が、それをさせなかった。

 卯崎は言葉を重ねる。


「私に告白してきた人にも聞いてみました。少しでも恋愛を知るためにと他人の恋愛相談にも乗っています。それでも、私には恋愛のことはよく分かりませんでした」


 その姿は何かに取り憑かれているかのようで。


「だから私は古木先輩、あなたに聞きたいんです。自分の中で明確な善悪の基準を持っているあなたならその答えが分かるんじゃないか、そう思ったんです」


 その姿に過去の俺が重なって見えた気がして。俺は、すっ、と自分の中にそれまであった緊張が消えていくのが分かった。頭の中が冷えていく。


「……悪いが、俺はおまえが満足出来るような答えを持ち合わせていない」


 そもそも、善悪の基準なんてのは誰もに共通した画一的なものなんかじゃ無い。俺にとっては善かもしれないものがほかの誰かにとって見れば悪であることなんてざらだ。自分の善を、あるいは悪を、誰かに押しつけるのは偽善に他ならない。俺はもうそんなことはしたくない。

 だから俺は卯崎に言った。今度はしっかりと目を合わせて。


「恋愛が善か悪か、それはおまえが決めることだ。誰かに教えてもらうようなことじゃ無い。だから俺はおまえになにかを答えることは出来ない」


 その言葉を聞いた卯崎は、くすりと笑った。その姿は、元の落ち着いた雰囲気で静かな微笑を浮かべる卯崎桜だった。


「……そうですね。先輩ならそう言うと思っていました」


「そりゃ、俺のことをよくご存じのようで」


「ええ、調べましたから」


 卯崎は少し得意げにそういうと、一歩、俺との距離を縮めてきた。


「ですから先輩、内容を変えます。私に、協力してください」


「協力って、なんの」


「私が恋愛を知るための協力です。安心してください、やることは簡単ですよ。私が今やっている恋愛相談。それに協力してくれれば良いんです」


 ふむ、それなら大して大変なことでも無い、と思う。卯崎に相談を持ちかけてきた相手なんかに簡単にアドバイスしてやれば良いだけだろうからな。果たしてそれが俺に出来るかは置いておくとして。

 だが、一つ重要なことがある。即ち、それは、


「……それ、俺にメリットが無いんだが?」


 メリット、見返り、報酬。いや別に言い方なんてどうでも良いんだが、つまりはあれだ。俺が卯崎に協力する理由がないのだ。理由も無くて動けるほど今の俺はお人好しでは無い。

 だが卯崎はそれすらもしっかりと考えていたようだ。


「メリットならしっかりとありますよ。先ほど私が言った先輩の過去を含む個人情報。先輩が協力してくれるなら秘密にしておいてあげます。先輩、あまり知って欲しくなさそうでしたよね?」


 それはつまり俺が協力しなかったらばらすってことですか、そうですか。


「どうです? 先輩は私に協力する。私は先輩の個人情報を秘密にする。ウィンウィンな関係じゃ無いですか?」


「それは脅しって言うんだよ……」


 相変わらずの微笑で平然と先輩である俺を脅迫してくる卯崎。こいつ、悪魔だ……。美少女の仮面をかぶった悪魔だ……。


「……分かった。おまえに協力しよう」


「ありがとうございます、先輩」


 悲しいかな、無力な一般人である俺は悪魔の要求を飲まざるを得なかった。


「では先輩。これどうぞ」


「なにこの紙切れ。早速俺をゴミ箱までパシらせようってか?」


「違いますよ。それは私のアドレスです。先輩は私をなんだと思ってるんですか」


 割と本気で言った俺の言葉に卯崎は少しだけむっとした顔をした。ずっと笑顔だけを見て、実際卯崎に関する噂なんかでもいつも微笑んでいる彼女のことしか知らなかった俺にとって卯崎のその表情は新鮮だった。

 あと、この紙切れをこの学校の男子に売ったら凄い高値がつきそうだな、とも思った。


「では先輩、私はこの辺で。明日のことなど細かいことは後でメールするので、ちゃんと登録しておいてくださいね」


「ああ……っておい。俺だけおまえのアドレス知っててもおまえが俺のアドレス知らなかったらメール遅れないだろ」


「それなら心配いりませんよ。先輩のアドレスはきちんと把握しています」


 さらっと言うなよ。ここまで来るとむしろどこまで俺の個人情報握ってんのか逆に気になってきたわ。


「あと、そろそろ行かないと幼なじみさんが待っているのでは無いですか」


「ああ、はいはい。そのことも知ってんのね。もう驚かないよ」


 スマホを確認してみると確かに桃から部活が終了した旨の連絡が来ていた。俺は結局ほとんどページが進まなかった文庫本を鞄にしまい、ついでに卯崎のアドレスが書かれた紙切れを制服のポケットに突っ込んで立ち上がる。


「では、さようなら先輩。また明日」


「ああ、またな」


 短く別れの挨拶をして去って行った卯崎の背中を見送り、しばらく時間をおいてから俺も屋上を後にした。ほら、さよならって言ってからバッティングすると気まずいじゃん?


 卯崎と別れた俺は昇降口で靴を履き替え、グラウンドへと向かう。この学校の運動部の大半は校舎とグラウンドを挟んだ反対側にある部室棟に部室がある。そのため、桃と合流するにはグラウンドに出てくるのが一番なのだ。


「あ、おーい新―」


 しばらくも待たないうちに桃が部室棟から現れた。


「おう、お疲れ桃」


「うん、ほんとに疲れたー。……ってあれ? 新、何かあった?」


「え? どうしてだ?」


 そう問い返すと、桃は何故か少し嬉しそうに口を開いた。


「なんかいつもと違うって言うか……なんというか、昔の新っぽい、かも」


「……いや、気のせいだろ。ちょっとな、天使の皮をかぶった悪魔と会話をして疲れたんだよ」


「ふーん? まあ、いっか。……あ! あのさ、コンビニでアイス買おうよ、アイス!」


「あーそうだな。もう夏か」


 今は六月のちょうど頭。季節的にはそろそろ初夏と呼ばれる時期だ。運動後には冷たいものが欲しくなるのだろう。運動部どころか部活に所属すらしていない俺はそういうのとは無縁だからよく分からんが。


「じゃあ駅前のコンビニでな」


「うん! 何にしようかなー」


 まだ校門から出てすらいないのにもうアイスの吟味を始めている桃を横目に、明日からのことを考えて、俺は小さくため息をついた。願わくば、卯崎の言う恋愛相談の協力が面倒なものになりませんように。

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