第3話 そして話は巻き戻る

 この学校の体育館は教室などがある一般校舎と少し離れたところに位置しており、その体育館で『体育館裏』と言えば校舎からは見えない場所のことを指す。つまり人に見つかりづらく、告白するのにはちょうどよい。今では定番の告白スポットの一つである。

 体育館にやってきた俺たちは外壁の角から顔を覗かせ、件の人物がいるかを窺う。この光景を知らないやつが見たら、俺たちは不審者として通報されるだろう。


「お、いたいた……ってあれって三組の佐川じゃねえか」


 大西が目ざとく角刈り頭の男子生徒を見つけた。俺の知り合いじゃないが、なんとなく野球をやってそうな感じだ。完全に見た目だけでの判断だが。


 そして、その佐川とやらの目の前にいるのは、遠目からでも分かる学校一の美少女。腰まで伸びた長い黒髪をなびかせ、きらきらとした宝石のような大きな瞳で相手をじっと見つめている。


「卯崎もいるな。ちょうど良いタイミングだったみたいだ」


 佐川の顔は緊張からか赤く染まっており、対して卯崎は涼しい顔で、ずっと柔らかい微笑みを浮かべている。気負った様子はない。……この状況だけでも結果は分かりきっているな。


「は、初めて見たときから好きでしたッ! お、俺と付き合ってくださいッ!」


 やがて意を決したのか、佐川は大声で言った。誰にも聞かれていないから大声でも大丈夫だと思ったのだろう。ごめん、俺たちが見ているんだ。殴るなら俺の隣にいる馬鹿を殴ってくれ。


「さて、卯崎はなんて言って断るかな……?」


 馬鹿、もとい大西はわくわくした表情で卯崎の返答を待っていた。ていうかフラれちゃうの前提なのかよ。俺もそうだと思ったけどさ。まだ希望はコンマ数パーセントくらい残ってるんだから口に出すのはかわいそうだと思うぜ。


 だが次の瞬間、卯崎は、当然お断りから入るもんだと思っていた俺たちの予想を大きく裏切る発言をした。



「好きって、どういうことなんですか?」



「へ……?」


 返事をもらえると思っていた佐川からは素っ頓狂な声が漏れ出た。隣の大西も要領を得ないといった様子だ。俺も卯崎の言葉に戸惑っていた。発言の意味は分かる。だが意図が分からない。


 卯崎は目の前の佐川の様子を気にもとめず、言葉を続ける。卯崎の表情は変わらず微笑を浮かべたまま。しかし心なしか、身にまとっている雰囲気が先ほどまでとは違う気がする。底の見えない沼地のような、どこか得体の知れない不気味な雰囲気。


「誰かを好きになるって言うのは、どんな状態なんですか? あなたは私の何を好きになったんですか? あなたは私のことがどれくらい好きなんですか? 好きな私のために何が出来ますか?」


「え……うぁ……」


 卯崎の質問攻めにたじろぐ佐川。だがこのままではいけないと思ったのか、震える声で必死に言葉を紡ぎだす。


「えと、好きになるって言うのは、そ、その人のことしか考えられなくなる? みたいな感じになるってことで……き、君のことは可愛いし、その、いつも笑顔ですてきだなと思って好きになって……君のためならなんだってしてあげる自信があるよ!」


 もはや緊張ではなく、羞恥で顔を真っ赤に染め上げた佐川は、それでも言い切った。凄いぞ佐川。俺はおまえを一人の戦士として尊敬するぞ。おまえの勇姿はこの胸にしかと焼き付けた。


 だが、そんな佐川の勇気もむなしく、卯崎には響いていないようだった。表情が最初の微笑から一切変わっていないのだ。雰囲気も一瞬感じたあの底なし沼のような不気味さは霧散していた。まるで俺の思い違いだったんじゃないかと思うくらいに元の落ち着いた雰囲気。挙げ句の果てにこんなことを宣った。


「じゃあ、私にあなたの全財産をください」


「え? い、いや、それは……」


「無理、ですよね。では私はあなたとお付き合いすることは出来ません。あなたは私に『なんでも』はしてくれないようですので」


 卯崎はあっさりとそう言い放った。いや、その断り方は揚げ足取りにも程があるだろ……。佐川も納得しないだろ、と思ったら案の定佐川はまだ諦められないようで、食い下がろうとしている。


「あ、ちょっと」


「ああ、それに」


 卯崎は佐川の言葉を遮って、決定的ともいえる一言を言い放った。


「私はあなたのことなんて今の今まで考えたこともありませんから」


 それを聞いた佐川は完全に打ちのめされたのか、がっくりと項垂れてしまった。


「ひ、ひでえ……」


 大西が口を押さえてそう呟いた。あの死体打ちともいえる言葉は当事者でなくとも辛いものがあった。俺も、もし自分があの少女に目の前でそう言われたら平静を保っていられる自信が無い。


「……っておい。卯崎がこっち来るぞ」


「え、嘘マジ!? どうすりゃ良い!?」


「俺に聞くなよ……取りあえず、俺たちは何も聞いていなかった風を装うぞ」


「よし、了解」


 そう言うと大西はへたくそな口笛を吹き始めた。それするくらいなら何もするな……。っと、こっちに来た。


 佐川を完膚なきなでに振った卯崎はすでに相手に興味は無いのか、振り返りもせずにこちらへまっすぐ進んできた。そして角を曲がり、俺たちの目に前まで来たその時。


「……?」


 なんか一瞬、卯崎がこっちを向いて微笑んできたような……? いや、彼女は確かにずっと微笑んではいるのだが、最初の落ち着いた雰囲気やさっきまでの不気味な雰囲気のそれとは種類が違うというか。……もしかして、ばれてたってことか?


 だが卯崎はそれ以上俺たちに接触してくることはなく、そのまま通り過ぎていった。そしてそれからしばらく時間をおいて俺たちも教室へと戻ることにした。


「いやーまさかあの噂がほんとだったとはな!」


 教室へと戻る道中、大西がそんなことを言った。噂って、あれか。付き合う条件として大金を要求してくるっていうやつ。


「そうか? そんな感じのニュアンスではなかったと思うが。あれはただの口実だろ。告白を断るための」


「……なんかやけに卯崎の肩を持つな? もしかして好きになったか?」


「馬鹿を言うな。俺は生まれたときから年上派だ。同年代以下に興味は無い」


 人類はもっと年上女性の魅力に気づくべきだと思う。なんと言っても母性が凄い。あの包容力は年下には出せないものだ。


 何というか、あの告白の場面で卯崎は素、というか本音を出していなかったような気がするのだ。終始変わらずずっと微笑だったのが良い証拠だ。動揺とかそういう感情の揺らぎが一切無かった。……唯一あの不気味、というか不思議な雰囲気だけはよく分からなかったが。やはり俺の気のせいだったのだろうか。


「あーそういえばそうだったな。ま、俺は可愛くって胸がでかい娘ならいくつでも関係ないけど。卯崎なんてスーパー美少女と付き合えるならそれこそ全財産捨てても良いんだけどなー。でも性格がなー。金にがめつい上にあんなこっぴどく振るのはきついかなー」


「そんなこと言ってるからおまえは女子に嫌われるんだよ。もっと慎ましく生きろ」


 そういうのは思っていても口に出してはいけないのだ。口は災いの元……ではないか。

 そんな益体のないことを話しながら俺たちは教室へと戻った。ちなみに、昼休みが終わる前には教室へと戻れたので、昼飯はちゃんと食えた。お母様、いつもありがとうございます。でも弁当に茄子を入れるのは勘弁して。


 ***


 昼食後の襲い来る睡魔と戦いながら午後の授業をなんとかやり過ごし、終礼も終え、放課後がやって来た。隣の席の神月は終礼が終わるのと同時に光の速さで帰って行った。荷物をまとめた俺は、教室の中央、桃の席へと向かった。


「よ、桃。今日も待ってるから、部活終わったら連絡してくれ」


「あ、うん……ありがと!」


「なんだー桃ー? 今日も今日とて愛しの古木君に帰り道を送ってもらうなんて相変わらずラブラブですなー?」


「ちょっ、そんなんじゃないって! やめてよ澪!」


「またまたそんなこと言ってー。顔が赤くなってますぞー」


 横から茶々を入れてきた三山澪……だったかと話し始める桃。その光景を横目に、俺は教室を後にした。廊下を歩きながらふと先ほどのやりとりを思い出す。


 桃の言う通り、本当にそんなものではないのだ。朝わざわざ同じ時間に登校するのも、帰りに桃の部活終わりの時間に合わせて一緒に下校するのも、すべて俺のわがままだ。桃はむしろ迷惑しているのかもしれない。朝は冗談めかして言ったが、もし桃に好きな人がいるなら、ずっと彼女につきまとっている俺はさぞかし邪魔なことだろう。

 我ながら、本当に気持ちの悪い自己満足だと思う。そう考えて苦笑した。同時に思考を断ち切る。


「さて、桃の部活が終わるまで、どこにいようか……」


 そう呟いたが実際俺が毎日いる場所なんて限られている。図書館か屋上の二カ所だ。俺は部活に所属していないので部室という選択肢はない。


「今日は屋上かな」


 冬の寒い日や、雨の日、風の強い日なんかは図書室に行って適当に見繕った本を読むのだが、今日のような暖かくて風の穏やかな日には専ら屋上に行くことが多い。うちの学校の屋上は生徒にも開放されており、比較的良い場所なのだが、行き方が複雑なせいで認知度が低いのか、人がいることが少ない。おかげで一人でいることが出来るため、なんなら図書室よりも落ち着く場所かもしれない。


 屋上へと向かうことを決めた俺は、そのまま直行するのではなく、まず購買部へ行き適当に飲み物を買ってから三階分ある校舎の一階部分、一年生のフロアの端にやって来た。その微妙に目立たない場所に取り付けられたドアを開き、外階段を登って屋上へ。そう、この学校の屋上へ行くには最も近い三階から行くのではなく、最も遠い一階からしか出入りできない外階段を通る必要があるのだ。なんでそんな面倒な設計にしたんだ。


「ま、おかげで知る人ぞ知る場所になっているんだからむしろ感謝か」


 俺は適当な一角に座り、家から持ってきた文庫本を開いて読み始めた。だが脳裏に浮かんでくるのは今朝のあの手紙のことばかり。時間がたてば忘れるものだと思っていたが、むしろより強く思い出してしまう。主にいじめへの恐怖のせいで。いじめ、ダメ、ゼッタイ。


 そんな風に内容が頭に入ってこない文庫本のページをペラペラめくりながら考えていると、カツ、カツと屋上へと上ってくる誰かの靴音がした。

 屋上で誰かと会うことは、珍しいがないことではない。こんなところへやってくるのは大体がおとなしめの生徒なので、会っても軽く会釈する程度で終わるのだが。


 しかし、今日は違った。屋上へとやってきたのは、俺もよく知る、しかし全く予想していない人物だった。


「あ、やっぱりここにいました」


 ついさっきも聞いた、その鈴の鳴るような声の主は。


「古木新先輩、ですよね」


 校内屈指の有名人。

 きらきらとした宝石のような大きな瞳と、光を反射して艶やかに光る腰まで伸びた長い黒髪を持つ美少女。


「少し、いいですか」


 卯崎桜は柔らかい微笑みを浮かべてそう言った。


 ……そして話は冒頭へと巻き戻る。

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